水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

短編小説集(42)人材あります![1]<再掲>

2024年09月23日 00時00分00秒 | #小説

 「ははは…私のところは何でも屋じゃありませんので…。はい! また、よろしくお願いします」
 戸倉真一は携帯を切った。ここは、事務所を兼ねた戸倉の自宅のひと部屋である。[人材あります]と広告は出したが、自分以外は誰もいない個人経営なのだ。とても会社などと呼ぶのは、おこがましいし、店を出してます・・などとも言えない小営業だった。まあ、まだ起業して10日ばかりだから、それほど落ち込むことではないと戸倉は開き直っていた。そんなことで、他に人材はなく、戸倉がすべての人材だった。依頼の電話内容が戸倉に出来ることなら、「伺(うかが)わせていただきます!」だし、出来なければ、「誠に残念でございますが、生憎(あいにく)その手の者が休んでおりまして…」などと断っていた。要は、気楽な稼業なのだ。とはいえ、休日、勤務時間、手間賃の価格表などはキッチリと決められているのだから恐れ入る。さらには名刺もきちんと作られていた。名刺には[人材屋]と、やや大きめの文字が1行目に印字されていて、中央右横に小文字で「人材派遣業、委託派遣専門官、修理全般・業務取扱主任者、庭園管理士…」などと肩書きがズラリと並び、中央に大文字で戸倉真一と印字されていた。そして左下隅に、小文字で住所と電話番号が小文字で印字されていたが、もちろん、店の人材屋は家の住所と同じであり、電話は携帯のみだった。必然的にFAXはない・・ということになる。こんな名刺を貰(もら)っても、怪しい…としか思いようがない代物(しろもの)だった。それでも世間は、さまざまだ。
「はい! それなら出来ますので、係の者が10時頃、伺わせていただきます、ありがとうございます。… … はい! 料金は1日まで修理費込みで2万を頂戴しております。追加料金は1日につき5千円でございます! … … はい! 即金払いでも、振り込みでも…ええ、2回の分割でも結構でございますよ。… … はい! では、よろしくお願いいたします」
 戸倉は携帯を切った。
 その一時間後、戸倉は依頼先の中庭で脚立に乗って松の剪定をしていた。それは、必然的にそうなる。前にも言ったが、係の者といっても戸倉の他に依頼先へ行く者は、いないのだから…。
「ごくろうさま! ちょっと一服して、お茶にして下さいまし~!」
 戸倉が手を止めて声がした方を見遣ると、この家の若嫁が微笑んでいた。
「やあ、どうも! いつも、すみませんなぁ~!」
 この依頼先は戸倉のお得意先で、今回で三度目だった。プロ技の庭園管理士の資格も独自の勉強で修得し、技も独自で身に付けた戸倉だったから、出来上りはプロの造園業者と遜色なかった。しかも料金が格安だったから、人手間のそういらない小口の庭仕事は他の業者と比較して格安となり、今年も依頼されたという訳だ。
 菓子とお茶で一服したあと、戸倉は続きの作業を終えて昼にした。昼はいつも買う弁当屋の弁当持参だが、その冷えたものをこの家のレンジでチン! してもらい食べた。
「奥さん! 終わりました!」
 夕方前に作業は終了した。
「有難うございました。はい、これ! 今日の分です。ちょっと、色つけときましたから、それで美味しいものでも食べて下さい」
「いや~、返って気を使わせちまいましたね。では、遠慮なく…。これ、領収書でございます。また、ご贔屓(ひいき)に!」
 戸倉が軽四輪を始動したとき、空はすっかり暮れ泥(なず)んでいた。家へ戻り、2万3千円入った封筒を確認し、戸倉はフゥ~っと溜息を一つ吐いた。戸倉にとって、今日は運転中に携帯が震えなかったのは幸いだった。バイブ設定にしてあるが、時折り運転中に携帯が震え、戸倉に冷や汗をかかせることがあった。交通ルールが改正され、運転中の電話は罰則の対象となったから、それ以降、━ ただいま、電話に出ることができません。発信音のあと、ご用件をお話し下さい ━ の機能にしてあるのだが、かかった瞬間は振動するからギクッ! と戸倉をさせた。戸倉はそれが嫌だったが、総員一人の稼業では致し方ない。で、フゥ~っという溜息が出た。交通ルールが改正され、運転中の電話は罰則の対象となったから、それ以降、━ ただいま、電話に出ることができません。発信音のあと、ご用件をお話し下さい ━ の機能にしてあるのだが、かかった瞬間は振動するからギクッ! と戸倉をさせた。戸倉はそれが嫌だったが、総員一人の稼業では致し方ない。で、フゥ~っという溜息が出た。
 戸倉の計算では一ヶ月の生活費は十数万もあれば十分、事足りた。ただ、人材屋に係る諸経費を数万は予備費として取っておかなければならないから、二十万は稼がねばならない計算になる。まあ、稼ぎの少ない月もあり、今までの蓄えを取り崩すもあった。ただ、60を過ぎ、早期に年金をもらう手続きをしたから、その分の十万以上はさっ引くことが出来るようになり、随分と楽になっていた。足らないのは諸経費分だけとなり、かなり今までの取り崩し額を償還することが可能になったのだ。そうなると、勢いで元気も出る。人はゆとりが生まれないと生活が荒(すさ)むとは、戸倉が得た教訓だった。
 店の宣伝もしなければ客がつかない。宣伝には広告掲載と直接、車をゆっくりと運転しながら、事前に録音した音声のデモテープを回すという二つの方法があった。それ以外でも、ネットで無料のブログ、Twitter、Facebookを開設し、店の宣伝をした。ただ、総員1名、店員1名の店では依頼が重複し、そのスケジュールのやりくりに頭を悩ませる事態も起きた。その都度、戸倉は客の機嫌を損なわないように苦心した。
「人材屋でございます~! 人材あります! 人材あります!」
 次の日、戸倉はゆっくりと自動車を走らせながら、デモテープを流した。その声はスピーカーで拡声され、辺りに鳴り響く。しかしそのとき、戸倉はハンドルを回しながらふと、あることに思い当った。
━ 待てよ! 廃品回収で閃(ひらめ)いたから、こうして回ってるが、お客に声かけられる訳じゃないよな ━
 確かに、落ち着いて考えてみれば、戸倉の仕事は呼び止められて物を売ったり回収したりする商売ではなかった。
━ これは、無駄か… ━
 戸倉が気づいた結論だった。戸倉はすぐテープを止め、家へと車を反転させた。
 家へ戻ると、急に腹が空いていることに戸倉は気づいた。買っておいた即席のヌードルに湯を注いで、とりあえず腹を満たした。ふと、風呂を沸かそうと思い、浴室へ行くと誰かの声がガラス越しに聞こえた。この家に住んでいるのは自分だけだから、尋常ではない。静かに脱衣場のガラスに耳をあてがうと、自分の声だ。もう一人の自分が鼻歌を唄っていた。よく考えれば、状況は昨日の夕方に似通っていた。選定の仕事を終えて家に戻った。…そして、風呂に湯を張り、入ったのだ。なぜか、この鼻歌が口から飛び出したんだ…。戸倉は昨日の夕方の記憶を辿(たど)っていた。ということは、まだ私は今日の無駄な動きはしていないんだ…と戸倉は思った。ただ、目の前で起こっている事態が科学ではとても信じられない面妖な現象である。戸倉は腕を抓(つね)ってみた。瞬間、激痛が走った。
━ 夢じゃないぞ… ━
 戸倉は、ゾクッと身の毛が逆立った。冷静になれ、冷静になれ…と自分に言い聞かせながら、戸倉は取り敢(あ)えず茶の間へ戻った。
━ これが現実とすれば、このあと俺は風呂から出た自分に出会うことになる。今日の無駄な動きはするなと、上手く伝えられないだろうか…、待て待て待て! そんなことが出来る筈(はず)がない、これは現実じゃない… ━
 戸倉は卓袱台(ちゃぶだい)へ顔を伏せた。戸倉はその姿勢のまま、疲れからウトウトと眠りへと引き込まれていった。そして、30分が経過し、ついに接近遭遇のときがきた。
『やあ、お先でした…』
 自分と瓜二つの男は、落ちついてまったく驚かない上にやけに馴れなれしかった。その風呂上がりの姿は、完璧(かんぺき)に昨日の自分である。戸倉の方が幾らか怯(ひる)んでドギマギした。
「はあ…」
 通り過ぎる昨日の自分にそう返して、軽くお辞儀するしか今の戸倉には出来なかった。いや、それより、ともかく俺の前から早く消えてくれ…という思いの方が強かったかも知れない。
『あっ! そうそう。これだけは言っておかねばなりません。私はあなたですが、異次元のあなた、という存在なのです』
「えっ?! どういうことですか?」
 戸倉は恐怖心を忘れて訊(たず)ねていた。
『どういうこともなにも、…そういうことです』
「いえ、よく分からないんですよ、俺には!」
『ははは…、困ったお人だ。異次元だと私は、こうも違いますか。まあ、それはあなたの方も言えることなんですが…』
 そういや、こいつは少し俺より穏やかな性格のようだ…と戸倉は思った。
「あなたは俺なんですよね?」
『ええ、紛(まぎ)れもなく、あなたです。ただし、異次元の…』
「異次元では一日遅れるんですかね?」
『ええ、そのようですね。私から見れば、あなたは一日先の未来を生きてらっしゃるように見えますが…』
「これから、ずっとおられるんですか?」
『いえ、そうではないみたいです。知人の話では数時間で消えるようでして、次の日、また出現するようです。そういうことが半年ほど続くとか言ってました。原因は知人にも分からなかったようで。むろん、私にも分かりませんが、ははは…。湯冷めしますので、上を着てきます』
 よく話す奴だ…と戸倉は思ったが、瓜二つの自分が話しているのだから腹は立たなかった。男が奥へ消えると、たちまち静寂が辺りを覆った。ただ、ひとりのときの静けさとは異質の異様な恐怖の静けさだった。戸倉は男のあとを追って立とうか、このまま座っていようか…と迷った。結局、五分後に戸倉は立っていた。
 クローゼットへ向かうと、男はパスローブを纏(まと)っていた。昨日の俺とまったく一緒だ…と、戸倉はふたたび、そら怖ろしくなった。
『おお、来られましたか…』
 男は動きながら戸倉に話していた。そういや絶えず動き続けている男に、戸倉は少し奇妙さを感じた。
「あなたは止まりませんね?」
『ははは…そりゃまあ。私はあなたの過去を動いているのです。私の今は、あなたの過去の時の流れですから、止まれないんです』
 そうなんだ…と、戸倉は思った。男の側面は厚みがなく見えなかった。完璧な二次元空間に男はいるようだった。
「なぜあなたに側面がないのか、俺にはよく分かりません? まあ、それはおっつけ聞かせていただきます。あっ! 明日は無駄な動きになりますから、車で動かれない方がいいですよ」
『それが出来ればいいんですが…。今も言いましたように、私は過去のあなたなんです。いわば、あなたの過去で生きる氷上の映像です』
 戸倉の過去の分身は動きを止めず、いつの間にかキッチンのテーブル椅子に移動してワインを傾けていた。もちろん戸倉もピッタリと男に付いて動いていた。男は寛(くつろ)ぎ、戸倉は疲れていた。昨日の俺は楽なんだな…と戸倉は、今の自分が馬鹿馬鹿しくなった。
「あなたはアチラではどういう暮しをなさってるんですか?」
『一日遅れですが、今のあなたのワンランク上の生活です』
「ワンランク上?」
『はい。ちょっと分かりにくかったですかね。つまり掻(か)い摘(つま)んで申しますと、あなたがB級グルメを堪能(たんのう)されているとき、私はA級か超A級グルメに舌鼓(したつづみ)を打っていると・・まあ、そんなところでしょうか』
「ああ、なるほど。そう言ってもらえれば、俺にも分かります」
 道理で俺より上品なはずだ…と、戸倉は納得した。
『あっ! このワイン、美味ですね』
「安物ですよ」
『そうですか? 高級ワインより返って美味なのは、なぜなんだろう…?』
 異次元の戸倉はグラスに残ったワインを味わいながら首を捻(ひね)った。
 戸倉には少し嫌味に聞こえたが、穏やかながらも自分の声だったから、余り腹は立たなかった。
『あっ! もう、こんな時間か。そろそろ消える時間だ…』
 腕時計を見ながら、戸倉の分身は呟(つぶや)いた。
 その時計は戸倉が今、身につけている時計とまったく同じものだった。戸倉も思わず釣られて自分の腕を見た。
「そうなんですか? 俺にはよく分かりませんが…」
『ええ、この前、初めてこちらへ来てあなたを影から眺(なが)めていたのですが、消えるまでが約2時間でしたから』
「はあ…」
 戸倉は黙って話を聞くより他なかった。
 男はそのまましばらくテーブル椅子に座っていたが、やがてスゥ~っと跡形もなく消え去った。戸倉には目の前で起きた超常現象が俄(にわ)かには信じられなかった。だが、自分の分身である異次元の男が飲み干したワイングラスは厳然として戸倉の前にあった。戸倉は否応(いやおう)なしに目の前で起こった出来事を事実として認めざるを得なかった。戸倉はその出来事を確認しようと浴室へ急行したが、浴室には湯気もなく、人が風呂へ入った痕跡もは微塵(みじん)もなかった。戸倉は三度(みたび)、ゾクッ! っと身体に震えを覚えた。
 ともかく、それ以降はいつもと変わりなく時が推移していった。一日を無駄に過ごしたような気分を忘れさせてくれた自分の分身。異次元の自分だとか言っていたが…と、夕方、戸倉は湯を張った浴槽に身を沈めながら巡った。科学万能の世に、こんなことがある訳がない。俺は疲れてる・・と戸倉は自分に言い聞かせた。
 次の日の朝、昨日のこともあり、戸倉は今日は休もう・・と思った。だが、二度寝した途端、携帯音に起こされた。仕方なく戸倉は携帯を手にして耳にあてがった。
「はい! 人材屋でございますが!」
 戸倉は不満げに、いつもより愛想のない尖(とが)った声を出していた。
『ああ戸倉さん、昨日はどうも。一日前の戸倉です』
 戸倉は唖然としてベッドに腰を下ろした。知らず知らず携帯を握る手が震え、脂汗(あぶらあせ)が額(ひたい)に滲(にじ)んでいた。
「いえ…なにか?」
『昨日、言い忘れていたのですが、電話は次元に関係なく、いつでも通じます。それを言い忘れたもので…』
「はあ、態々(わざわざ)…」
 戸倉はそう返していた。

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