どんなものにも、染ま
ったり、汚れたり
しないという意味の
言葉に
「不染汚(ふぜんな)」があります。
道元禅師の言葉です。
批判や悪口、誉められ
たり、けなされたり、
金に貧乏に染まる。
役人も長くすると
役人に染まる。
国会議員も肩書きに染
まり、地位や名誉に染まる。
人間はいろいろなもの
に汚れてしまいます。
染まりも汚れもしない
心、それが
不染汚です。
迷った時に思い出した
い言葉です。
また、勇気が湧く言葉
だと思います。
「この世は自分で願っ
たものではなく、無明
(苦の根源)を父とし
て生まれてきたもの。
死もまた望みではない
が、因業(いんごう)
の鬼神がやって来て
私を殺すのだ」
(空海)
過去の悪業が原因となって鬼が我を殺すというなら、
いまこの世でともに修業して、それを断ち切ればよいのだ。
過去にこだわるな。
鬼と戦う自分を作ればよい。
いまを生きよ。
と述べています。
心を奮(ふる)い立た
せてくれる言葉です。
さて、鬼と戦うには
どうすればよいのだろうか。
どんな修業をすればよいのだろうか。
ここで、修行と修業の
違いを説明します。
「修行」とは神との
通信を修めること。
(神との文通の技を修めること)
「修業」とは未熟な
者が成熟するために
修めること。
といわれています。
まずは未熟な私が修業
して、鬼に勝つには
どうしたらよいのだろうか。
私なら、まず鬼を恐が
らず追い返してやる
気迫を持とう。
それと前世や過去の
悪業を問い詰められたら、
「今を見よ!」
と答えるだろう。
献身的な奉仕に
無心に努めて入ればよい。
これを修業としてとらえよう。
自分の為に生まれたのではない。
人の為に生まれてきたのだと。
鬼退治になれると
信じています。
自分を叱咤激励する
時に思い出す言葉です。
「不染汚」
心に刻んでくれたら
ありがたいです。
合掌
ったり、汚れたり
しないという意味の
言葉に
「不染汚(ふぜんな)」があります。
道元禅師の言葉です。
批判や悪口、誉められ
たり、けなされたり、
金に貧乏に染まる。
役人も長くすると
役人に染まる。
国会議員も肩書きに染
まり、地位や名誉に染まる。
人間はいろいろなもの
に汚れてしまいます。
染まりも汚れもしない
心、それが
不染汚です。
迷った時に思い出した
い言葉です。
また、勇気が湧く言葉
だと思います。
「この世は自分で願っ
たものではなく、無明
(苦の根源)を父とし
て生まれてきたもの。
死もまた望みではない
が、因業(いんごう)
の鬼神がやって来て
私を殺すのだ」
(空海)
過去の悪業が原因となって鬼が我を殺すというなら、
いまこの世でともに修業して、それを断ち切ればよいのだ。
過去にこだわるな。
鬼と戦う自分を作ればよい。
いまを生きよ。
と述べています。
心を奮(ふる)い立た
せてくれる言葉です。
さて、鬼と戦うには
どうすればよいのだろうか。
どんな修業をすればよいのだろうか。
ここで、修行と修業の
違いを説明します。
「修行」とは神との
通信を修めること。
(神との文通の技を修めること)
「修業」とは未熟な
者が成熟するために
修めること。
といわれています。
まずは未熟な私が修業
して、鬼に勝つには
どうしたらよいのだろうか。
私なら、まず鬼を恐が
らず追い返してやる
気迫を持とう。
それと前世や過去の
悪業を問い詰められたら、
「今を見よ!」
と答えるだろう。
献身的な奉仕に
無心に努めて入ればよい。
これを修業としてとらえよう。
自分の為に生まれたのではない。
人の為に生まれてきたのだと。
鬼退治になれると
信じています。
自分を叱咤激励する
時に思い出す言葉です。
「不染汚」
心に刻んでくれたら
ありがたいです。
合掌