今さっき感動の夢を見ました。 おおまかな内容は、私は書道教師をしています。何故か身体障害者ばかりです。 彼らに少しでも生きる喜びを与えたく指導していました。 一人の生徒から先生! 私達の作品を神様に感謝の気持ちでどこかお寺に奉納出来ませんか? と片言の言葉を聴き、思いを叶えてやりたくなりました。 仲間に鎌倉の由緒あるお寺を借りて書道教師をしている○○先生に相談しました。 その寺に羽織袴の姿で挨拶に行きました。 寺の住職は一般の人の奉納儀式はしていないと言われましたが、何とかお願いしました。 そこで同行させた4人の弟子に即興で書かせました。 最初の弟子は筆を口にくわえて書きました。 2番目の弟子は筆を足の指に挟んで書きました。 3番目の弟子は右腕が使えなくなったので、筆を左の手で握って書きました。 4番目の弟子は寝たきりなので3メートルの筆を脇に挟んで書きました。 その作品を奉納しました。 いつの間にか沢山の拝観者がいました。 それをユーチューブにのせたので瞬く間に有名な寺になりました。 私も弟子も全国の身体障害者も喜んで、生きる励みになりましたとさ。という夢でした。 何か嬉しくなりましたよ。 感謝
12月ですね。今日は良寛の師でもある「道元」の言葉を紹介します。 『努力すれば報われる わけではない』すべての結果というものは自然に出てくるものであって、人間の作為とか努力とかに関係しないと説いています。 結果というものは、人間が出すのではない。 花が咲くごとく、天地自然が結果を生むのだ。 これを『結果自然成(けっかじねんじょう)』と述べています。 水木しげるさんも幸福七ヶ条で、同じこと述べていました。 お子さんやお孫さんに、くれぐれも努力が足りないんだ!と言いませんように。 また道元は『よき人に近づけば、不覚よき人となり』と述べています。 よき人とは、道を求めている人。 道を極めている人。 しかも、寛大で優しい人である。 自分の中に仏性(宇宙の生命)が内在していることを深く悟っていて、自分の生命は宇宙とまったく同じ生命体であることを覚知している人である。 これを『道友(どうゆう)』というと説いています。 何か単純に、いい人ではないのです。 道を求めている人とは、名誉や栄誉や地位とかを求めるのではなく、自然や力のないものに優しい思いやりがある人とでも訳せば、身近に感じて分かりやすいかもしれませんね。 比叡山は、霧が深い。 若い頃道元は、杉木立の霧の中を合掌しながら、いつまでも歩きつづけた。 いつの間にか着ているものが、しっとりと濡れ、重さまで感じて来た。 「いつの間にか」こんなにも濡れている。 学門の教育もこうありたいと述べています。 仕事も学門も生き方も「早く早く」ではなく、「知らず知らず、いつの間にか身につく」ものであると思います。 今日の気づきになれば 感謝