今朝は9時から市内一斉の防災訓練日です。
ところがコロナ禍で三密回避。
隣組だけで近所に集合し、出席を取って終了。
係の人が本部に連絡を取るそうです。
本部はその後も取組みがあるのでしょう。
こんな感じで、連帯感も何も無い防災訓練は7分で終了しました。
隣組は全部で16軒あるのですが、集まったのは6軒7人のみ。
係の人だけはもう少し待ちますがと、解散を宣言しました。
大切なことは何なのか、見失っている様です。
目新しいことと言えば、集合者を65歳以上と以下とで分類したこと。
これも意図がよく見えない。
事が起これば年齢も何も関係なく出来る人がやる。
仕分けが必要だとしたら、人の手を必要とする人が居るかどうか。
乳幼児、未就学児、歩行困難な障害者、心に障害を抱える人。
健康でもコミュニケーションがとれない人。
私が子供の頃は近所の家庭の実態を大人はほぼ掴んでいました。
だから、何気ない声掛けが出来ていた。
ところが、今は近所に誰が住んでいるかも判らない人の多いことか。
障害者の多くは外出をよくするようになり。
生活が困難な老人もデイサービスなどを受けるようになり。
外国人も多く見かけ。
子供達も時間を決めて集団登校。
目を見開き、観察すれば意外と多くのことが知れる。
ところが縁台で夕涼みもしない。
将棋も指さない。
見る機会がとても少なくなっているのです。
現代社会は便利を求めた結果、大不便が起きているのです。