学生の頃は本をよく読んだ。
一番読んだ時期は高校生の時だ。
日本の近代文学を作家ごとにまとめて読んだ。
文庫本の一番安い物が70円の頃だったと記憶する。
毎日本屋に通ったし、週に5~6冊は読んでいた。
こういう読み方をすると作家の癖が見えてくる。
言い回しが身に染みてしまうこともあった。
大学生の頃は極端に減ったが、東京新宿の大手本屋には良く通った。
高層ビル全体に本があるような場所は田舎には無い。
本の洪水に身を置くのがとても好きだった。
アフリカ生活が始まったときは失敗だった。
カセットデッキと音楽テープはたくさん持参した。
けれども本は仕事に使えるような物だけだった。
帰国して会社が決まり、通勤を始めると読書時間が無くなった。
朝5時半に起きて1時間以上の道を車で通勤。
夜はほぼ毎日9時を過ぎていた。
結婚してからは暫く会社の近くで暮らしたが、別の意味で忙しかった。
子供が出来てからは読書どころでは無かった。
ただ、子育てに悩み心理学の本を何十冊も読んだ。
その後再び実家で生活するようになるが、再び車通勤の日々。
そんな生活が嫌で、電車と徒歩通勤することにした。
通勤時間は往復で3時間を超したが、電車の中は図書館になった。
この頃になるとまた作者を決めて読むようになった。
私は生存する作家の文学は読まないことにしていたが、この頃から止めた。
と言っても私が選んだ作家は司馬遼太郎。
私の父母と同世代の人だ。
作品数も多いので多分数年間は司馬作品だけを読んでいた。
退職してからは金の掛からない無料の電子本を暫く読んだ。
近代文学が好きな私には格好のアイテムだった。
しかし、原因は分からないが小説を読むのが億劫になってきている。
数年前からは経済学の本や哲学の本、教育学の本が多い。
専門分野で無いために理解できない場合もある。
けれども、そうした無機質的な内容が今の私の思考に合っているようだ。
感情が枯れてきている証拠だろうか。
読書の時間も極端に少なくなっている。
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