町内に篤志家がいる。
木材関連の工場を経営していたおばあさんだ。
公民館に折りたたみ椅子が60脚ある。
それがこのおばあさんの寄付だと先日知った。
おばあさんの孫が息子の同級生だった。
小学校の時に海外旅行のお土産を全学年の全員に頂いた。
町内のイベントには必ず寄付を寄せる。
ふれあいの為に公民館で駄菓子屋をやる団体がある。
自治会でも助成しているが、ここに寄付を申し出た人が居る。
多分、あのおばあさんでは無いかと思うのだ。
私の父親も零細企業の経営をしていたが、やはり篤志家だった。
しかし、その方向はおばあさんとはかなり違う。
ほとんどがお寺への寄付だった。
檀家寺だけでなく宗派を超えて寄付をしていた。
お金も無いのに十万、百万単位の寄付だと後から知った。
おばあさんも父親も思いは同じなんだろう。
生活さえ出来れば、儲けは社会還元に使う。
社会還元の方法は異なろうと、小市民の良き心がけだ。
極小市民の私は生活にカツカツしている。
それでも月に2千円をユニセフに寄付している。
なんとか30年以上続けている。
あと十数年続けば、ようやく100万円単位の寄付になる。
一生をかけてたったこれだけかとも思う。
これを始めたのは小学校の時の恩を返そうと思ったからだ。
戦後の貧乏な国日本において、子供の栄養不足を気遣ってくれたユニセフ。
米国に余っていた脱脂粉乳を大量に送ってくれた。
脱脂粉乳はそれが大好きだった私の体躯を培ってくれた。
そのお礼だと思い、少額を工面している。
その額さえ年金暮らしの我が家にボディブローの如く効いている。
だからといって、止めようとは思わない。
ひょっとしたら内戦や難民として困窮している子供達に役立っている。
そう思うからこそ続けることが出来る。
世の中には他人を騙して手にした金で豪遊している人が居る。
心が貧しいのだろうなと可哀想に思う。
清貧とか赤貧という言葉を知らない人なのだろう。
ビルゲイツのように大富豪の篤志家も清貧の篤志家も思いは同じ。
人の優しさを知り・信じているからこそ出来る事。