「マンダラハウス」!
当時の私達のベースキャンプで、
伝説の舞台となったのがこの家の門の前の広場でした。
日本の芸能の最先端と言われ、「能」「歌舞伎」に続きその頃全世界を一世風靡していた「舞踏」が、この場所でバリの伝統芸能との融合を実現していました。
競演したプリアタンのダンスとガムランのチーム「ティルタサリ」は、昔も今もワールドツアーを行うバリでも最も有名なチームで、ドビュッシーに代表されるクラシックの「印象派」の音楽家にも大きな影響を与えています。
タガスに比べ、この場所はキオクにも地図にもあったので、案外簡単に辿り着けると思っていました。
向かう車の中で冗談で言ってました。
「無事マンダラハウスに着いたら、バグースさん(この村一番の踊りの名手で、今は亡きプリアタンの長老マンダラ翁の一番若い息子さん)が、普通にコーヒーでも呑んで、椅子に座って迎えてくれたりなんかして・・・。」
もちろん何のオファーもない28年振りの飛び込み訪問なので、その家にいらっしゃるかどうかも判るはずもなく、そんな事はありえないにも関わらず何となくそんな感じはしていました。
当時とはかなり風景は変わってしまい、まるでこの辺のメイン道路かの様にアスファルトで整備された交通量の多い通りを、私達の車は飛ばします。
ここでもやはり目印は、大きなガジュマルの大木でした!
たぶん・・・
これが、「マンダラハウス」にステイしていた時に、毎日のように写真家の阿部さんや風間さんと行っていたカフェの手前にあったガジュマル。
(当時の写真)
この樹を通り過ぎたカフェで、私達は独特のバリコピー(コーヒー)をコップの上に浮いたコーヒー粕を唇で避けながら、毎日半日うだうだしながら呑んでいました。
でも、今回呑んだバリコピーにはそのコーヒー粕もコップには浮いていませんでした。長い年月のうちに洗練されてしまいましたね。
写真家風間さんは、ある時から片足をギブスで固めてそのカフェに来ていました。バイクに乗っていて野犬に襲われ転倒したのです。
カフェと言っても小さな駄菓子屋の様なイメージでした。
もちろん今ここにはありませんでした。
車を止め、その周辺でたむろしている人に「マンダラハウス」を確認。この辺では誰もが知っている王宮の一族の家です。
たぶんここです!
今は車が行き交い、とてもこの門の前であの時の様な舞台が展開される事は考えられませんが、
当時の家の門の前での記念撮影。
観つけました!
間違いありません。
当時この屋敷の中では、元気な子供たちの声が響き渡り、
(ばかしてますが、みんなスターなレゴンダンサー達です。)
毎日のようにマンダラ翁の踊りのレッスンが行われていました!
今の私にとっては夢の中の出来事・・・。
それはやはり最後の楽園でした。