明日、2010 12/12
PM14:00.
全世界生中継!
和歌山 【TeaRoom BURFORD】でのヒーリングピアノコンサート!
「松尾泰伸」
「TeaRoom BURFORD」
で検索、
是非ご覧ください!
私が捜し求めていた場所はここでした!
撮影:阿部淳氏
確かにこの場所。
間違いありません。
涙が溢れました。
私は28年前にここに居ました!
その間に沢山の気候の変化もあったのでしょう。
少しガジュマルは小振りになっている感じでしたが、
今もその杜はそのまま残っていました。
私達が、一番精神性の高いパフォーマンスをバリで捧げる事が出来た場所です。
村人が焚くたき火の煙に、
頭がくらくらしてしまいました。
これは私達の妄想ですが、
マジシャン(シャーマン)が、ある薬草を焚いているという噂が広がっていました。
当時のバリでは、ブラックマジックが普通に横行していて、
私達もその事をひしひしと感じさせられる事に遭遇していました。
やはり光の虹は顕れます。
このウエルカムに、
私は心より祈りを捧げました。
こんな事があるのですね・・・。
「どう・しましたですか・・・」
お店の外、声が聞こえるその方向には、赤ちゃんを抱いた男性が立っていました。
しかもその方はかなり日本語を話せる方で、
そのお店のお姉さんに今何が起こっているのかを聞き、
私達に話しかけに来てくれました。
早速私が写真を見せると、
「この写真の場所は、すぐここの裏です。」
「本当ですか!!!!!!!!」
私達の、短時間捜索の判断は間違っていませんでした。
この、車を止めた場所がまさに当時のタガス公演のエリアでした!
本当に心より感謝のこの偶然の出会いでした!
たぶん彼が現われていなかったら、私達はさらにプリアタン側に車を走らせて戻っていた事でしょう。
(何で日本語をしゃべれる人がここに???
何で赤ちゃんだっこしているんですか???。)
何も解りませんが、
とにかくあの28年前の場所に辿り着く事が出来る!
それだけで頭の中は一杯でした。
しかも・そこに向かう途中、なんとあのタガス村の長老「Mr.グリンナム氏」の息子さんがバイクで家を出て行くのとすれ違いました。
私達を案内する子供をだっこした方よりそれを聞いて、あわてて
声をかけましたが、急な事で呼び止める事は出来ませんでした。
「ここです。
今も子供のケチャは演っていますよ、リザーブ(予約制)ですが。」
このガジュマル!
少し小振りになっている感じはありましたが。
ここでした!
左下に虹が出ました。
私もそれを観て間違いないと思いました。
ありがとうございます。
私は、28年振りに再びここに身を運ぶ事に!
撮影:阿部淳氏
私達の捜すガジュマルの下の広場では、当時連日この様な風景が繰り広げられていました。
左端が、今回「自分探しの旅」最後第三チェックポイントの、
プリアタン「マンダラハウス」のMr.カレラン氏。
私のでたらめ英語を翻訳して、タガス村のガムランスタッフにインドネシア語ではなくバリ語で通訳してくれていました。
大変お世話になりました。
果たして今回再会する事があるのでしょうか・・・。
これが写真で広げている台本(進行表)です。
昔のバリの風景。
この辺は路地を少し入ると、今もそんなに変わった様子もなく、
昔のままの風景が広がっていました。
何匹も野犬が襲いかかって来ます。
これはウブドですが、やはり今も日常の中に祭祀があります。
でも、このMr.グリンナム氏の笑顔をもう観る事は出来ません。
少しプリアタン側に戻ったところで、メイン道路にあるお店をみつけ写真を見てもらう事にしましたが、そのお店には若いおねえちゃんしか居ませんでした。もちろんこの28年前の時代の事など、生まれてもいなくて判るはずがありませんでした。
すると・何と・・・、
お店の外から流暢な日本語が聞こえるではありませんか・・・!
「どう・しましたですか・・・」
車を走らせるメイン道路から望めるかなり大きなガジュマルを観つけそこに向かい路地を入ると、
確かにそこには聖なる巨木が・・・。
車を降り周辺を確認するも、
どうもその当時の写真とはアングルが合いません。
すぐ近くに小さな市場を観つけ、
写真右の、まずはドライバーさんが切り込んでくれる。
私も、言葉がしゃべれないのも関わらずでたらめの英語で参戦。
「この辺でこんな写真の場所は判りませんか・・・。」
「いやぁ~・・・この辺はガジュマルは何処にもあるので・・・。」
この写真を観せた時、その店のおっちゃんの顔つきが変わりました。
撮影:阿部淳氏
それは、私達が共演したこの村の代表的なグループ『スマルプグリガン』の長老、Mr.グリンダム氏の写真でした。
「彼らの場所なら、もう少しプリアタンよりに戻った所。ただ・この長老はもう居ないよ。」
「わかりました。」
28年前のタガスを代表する、『スマルプグリガン』というガムランスタイルの、ガムランの楽器使いの名手の長老は既に亡くなられていました。
その楽器とは、プリアタンの『ゴング・クビャール』に比べて薄い青銅で出来たガムランの楽器です。
私はその時長老の自宅で、そのソロ演奏にじっくりと耳を傾けていました。
「今すぐ行きましょう、
その地区へ!」
全景がうかがえるのはこの写真一枚で、
やはり大きなガジュマルの樹が目印でした。
判ってるのは「タガス村」というだけで、でも村と言っても結構広く、
とにかく地図をたよりに行くしかありません。
基本的には緑が続く農村地帯で、
当時は車の移動で、プリアタンの案外近くにある事位しか思い出せない、今回捜索地の一番難解な場所でした。
タガスは当時から子供のケチャが有名で、
かつて、ドイツ人がバリのトランスダンスを演劇仕立てに仕立て上げ、その後、そのケチャをサルドノ氏がタガスで子供仕様に現代風に創り上げました。
サルドノ氏は、当時の白虎社も強いパイプライン持っていたバリ舞踊モダンダンス界の第一人者でした。
これがリアル「白虎社」です。
流石!インサイトでは世界中の方からのアクセスが確認できます。
今では数少ない貴重な映像です。
私は青春の真っただ中を10年近く、彼らと共に「ジャパンツアー・ワールドツアー」を通して、何らかの文化表現を世界中に発信する活動の手伝いをさせてもらっていました。
銃口を向けられたり・多くの囚人や群衆に取り囲まれ、命の危険を伴う場面は何度もありましたが、その判断の良し悪しは別として、
それが今の「癒しの音楽」の活動にツナガッテいるのだと思っています。
バリの伝統芸能は、時代に対応して新しいものが生まれる事で維持されて来ました。
それは、私もプリアタンのマンダラ翁から直接お聞きしました。
日本を比較すると、解りやすいものでは歌舞伎文化があります。
たまたま今、エビちゃんでメディアからのスポットが当たっていますが、日本に限らず芸能の世界では保存され始めるとそれは衰退していきます。
今回のガイドのスーちゃんさんの友人のドライバーに、タガス村に向けて車を走らせてもらいますが、やはり記憶には全くない景色が続きます。
しかも至る所にガジュマルの大木が・・・。
こいつは、手ごわい!
富士の新聞掲載に引き続き、
和歌山の【バーフォード ヒーリングピアノコンサート】の記事が、
朝日新聞和歌山版の「岩橋氏のコラム」で掲載されました!
全世界生中継!
皆様もぜひとも体感を!
ネットで観られる方は
12月12日(日)
JUST, P.M.2:00!
で、 「松尾泰伸」検索なう!
少しずつですが、私の最終ワーク徐々に浸透する「ヒーリングピアノ」 コンサートです。
とにかく・・・、これは今までにない画期的な「ヒーリングピアノコンサート」でした!
子供たちの平和な未来の為に、
まさにこれが「元気な癒し」。
墓参りに行って、ずっと気になっていた家紋の写真を遂に撮影しました。
ネットで調べると、
【石持ち落し三つ柏】
たぶんこれでしょう。
柏(かしわ)。
何故か・家紋が柏かもしれないと思っている感じはありましたが、
本当にそうなのでびっくりしました。
今の家に引っ越してきた時に何故か植えた柏が、
それから5年、どんどんその枝は伸びていました。
五月の節句の柏餅なら、30個位は包めそうな枝振りの葉の数です。
食べれるものなら食べたいと思い調べていたのですが、
柏の葉は食用ではなく食物を置くお皿となるものみたいです。
という事は、私もお皿みたいなものなのでしょうか・・・。
あるものを置く器。
確かに最近は身体を提供し、
使っていただいています。
それが私の役割・・・・・・?。
皆さんも一度調べてみたら面白いかもしれませんよ。
私は、この家紋で先祖捜しには辿り着いていませんが、
思いがけない家系が判るかもですよ。