川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

偉くなくとも正しく生きよ 正しくなくとも美しく生きよ

2024年12月11日 | 人生
偉くなくとも正しく生きよ。

そう言われる。俗世間で出世ばかり考えているケツの穴の小さい人間になるな。
「人として」何が正しいか、自分で考えよ。

そんな文脈。

さらに。

『組織不正はいつも正しい』。

 
「正しさ」は、歪み、暴走し、色褪せる。
カイシャの「正しさ」は、しばしば社会のそれと相反する。

例えば。

アメリカから見たら、原爆投下は、戦争を早期終結させて戦死者を減らすための「正しい」戦略だった。

アメリカ人の何割かは、今でも、「原爆投下は正しい」と思っている。

かように、「正しさ」は、いくらでも、理屈をつけることができる。いつまで経っても平行線。

そこで、正しさに代り、また、正しさを補う、「美しさ」の評価軸を持つと良い。「カッコ良さ」でもいい。

原爆投下は、長い目で見て、人として、人類として、「美しい」行為ではあるまい。

だから私は思う。

正しくなくとも美しく生きよ。

周りが「歪んだ正しさ」を信じているとき。
世間の「正しさ」が間違っているとき。

例えば、軍国主義。80年前はそれが「正しい」選択だった。
でも、今、軍国主義は、美しくない。

だから、思う。

常に正しくなくていいい。周りが間違っていれば、「正しく」ない選択を、忖度せず、堂々と取れ。嫌われる勇気を持て。

それが、美しさ。カッコ良さ。

まとめると:

偉くなくとも正しく生きよ。
正しくなくとも美しく生きよ。

これ、短冊に書いて、子どもたちに示しておこうかな。
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