これは今日二本目の記事だ。一本目の皇室結婚のほうがおもしろい。タイ北部のチェンラン県の洞窟で、行方不明になっていた少年12人とコーチひとりが9日ぶりに発見された。全員無事であった。かなりやせていたが、健康状態は良いとの事だ。よかった。神は見捨てなかった。早く家に帰って、たくさんご飯を食べてください。救出に駆け付けた世界各国の救援隊、お疲れ様でした。あなた方の愛が少年の命を救った。人間、まだまだ捨てたもんじゃない。日頃、破壊と憎しみの殺し合いばかりやってる人間でも、愛はあるのだ。人間、万歳。
高円宮家の三女、絢子さんが結婚の内定をされた。個人的にはおめでとうと、言いたい。良き伴侶を得て幸福な人生を歩んで欲しい。しかし、TBS、NHK、日本テレビ、フジテレビの4局が内定の様子を午後3時頃、ライブで放送した。直系でもない皇室の結婚を4局で放送するほどの事なのか。加えて、相手の男性や絢子さんのエリート性を強調して、欠点ひとつなき人間として扱うには違和感を感じる。最近の日本のマスコミの皇室賛美はやり過ぎだ。日本社会が右傾化しているとはいえ、大手マスコミが皇室の報道官のような態度を取るのは報道の公平性、中立性の観点から問題だ。皇室の人間といえども、うんこするのだ。人間は様々な欠点を持ってるのが普通だ。人間、皆平等だ。戦前では皇室のトップ、天皇は現人神(あらひとかみ)であった。天皇は人間を超越した存在でまったく批判のない神として君臨した。戦前の軍国主義者は天皇の権威を利用した。今、また安部や日本会議などの右翼の連中が天皇、皇室の権威を利用しようとしている。民主主義の国、日本で天皇や皇室を政治の中心に置き、ファシズム体制を復活させたい連中には気をつけなけらばならない。皇室賛美は彼らの狙いでもあるのだ。皇室や天皇を神格化させ、偶像崇拝させる事は問題だ。国民の間に皇室の特殊なエリート性を浸透させ、芸能アイドルのような人気を作り出したいらしい。天皇、皇室の政治利用はしてはいけない事だ。戦前の軍国主義への反省から、戦後は天皇、皇室の政治利用は禁じられ、天皇の位置づけは象徴天皇性になった。天皇、皇室は政治活動が出来ないのだ。それにもかかわらず、最近の日本では、政治の場に出させたい動きが活発になってる。当事者の天皇自体、今の日本の右傾化を心配してるようだ。数年前に行われた退位に向けての天皇のテレビ会見でも、天皇の口から象徴という言葉が7,8回出た。私を政治利用するな。私は象徴の天皇なのだという事を強調したかったのだ。安部政権に対しての牽制なのだ。私はそう解釈している。皇室の結婚といえば、イギリスのダイアナとチャルーズ皇太子の世紀の結婚が有名だ。そして、世紀の離婚をした。皇室の結婚は別世界の事と思われるかもしれないが、生身の人間が一緒に生活するのだ。普通の人々と体感生活は同じであろう。超エリートカップルの結婚とはいえ、お互いのおならに、便器についたうんこに嫌悪感を感じるようでは結婚生活はうまくいかない。人間の心は、ころころ変わる。結婚当初の熱愛が時間が経てば憎しみに変わるのは良くある事だ。皇室の人間もそうでない人間も人間としては平等なのだ。人間的に愛し、憎しみ、悩み、喜び、怒り、悲しみ、うんこをする。そんなに違いはないのだ。私の今日、書いた内容が皇室の威厳を傷つけ、皇室をバカにしているような印象を与えるかもしれない。こんな程度の事、イギリスでは普通だ。もっと過激な事が書かれてる。日本のマスコミはイギリスでの皇室批判を伝えないから、日本人はわからないのだ。皇室批判が自由に言える国は民主主義が健全に機能している国なのだ。日本のマスコミは安部の意向に合わせるような態度を改めなければならない。皇室賛美はほどほどにすべきだ。