日本列島は猛烈な暑さだ。飲料水も売れるだろう。飲んだ後のペットボトルは捨てられる。日本中での捨てられるペットボトルは膨大な数になる。日本では、ほとんど回収され再利用されてる。世界ではどうなのか。前置きが長くなったが、先日のワールドカップでの日本人サポーターが、試合後サッカー会場でごみ拾いをした事は話題になった。日本のマスコミは、さすが日本人はすごいと、自画自賛ナショナリズムまるだしの報道をした。しかし、多くの外国人からすると、日本人は変わった事をすると奇妙に思われたようだ。北朝鮮のような全体主義の国に思われたかもしれない。しかし、日本政府が彼らにごみ拾いを命じたわけではないだろ。自主的にごみ拾いをしたのだ。なぜ、ごみ拾いをしたのか。ごみを放置する事は恥ずかしいから、外国人にほめられたいから、日本人は他の民族違とは違うところを見せつけたかったから、いろいろ理由はあるようだ。日本国内の競技場では同じ事をやるのか。外国だからやったのではないか。日本人には二面性がある。最近、河川敷でのバーベキューした後、大量のごみを捨てが問題になってる。国内ではまったく逆のモラルのない行動をする。その他にもごみの不法投棄は日本中で行われてる。すべての日本人が不法投棄をするわけではない。それは理解している。外国では最高級の行儀のいいふりをして、国内では傍若無人のギャングだ。この二面性はどこから来るのか。日本では建前と本音を使いわけるようだ。このあたりは多くの外国人には理解できないであろう。口では、はいと言いながら、心ではノーなのだ。にこにこしながら心の中では、拒否反応する日本人は多い。日本人は同調性の強い民族だ。全体が白と言ってる時にひとりだけ黒とは言いにくいようだ。最近の若者言葉にも、空気を読めよなんていう言葉がある。個より、全体を大切にするようだ。いい事も悪い事もみんなでやれば安心なようだ。赤信号、みんなで渡れば怖くないのだ。群れで行動する草食動物のようだ。ひとりだけ違う事を言ったり行動すると、みんなにたたかれるのを恐れてるようだ。ロシアのサッカー場でのごみ拾いも、みんなが始めると、ひとりだけごみ拾いをしないで帰るのは出来ないのだ。そんな事をしたらみんなに非難されるからだ。人間は社会生活する動物だ。全体を大切にしなければならないが、個が埋没してしまうような日本人の同調性は少し問題だ。もう少し個を主張してもいい。日本の今の政治閉塞も、日本人の全体を重んじる雰囲気から来てるような気がする。主張していいのだ。人間は様々な考え方、価値観を持ってるのだ。多様性の中で生活しているのだ。個を大切にするのが民主主義的だ。民主主義とは、人間あっての国家であって、国家あっての人間ではない。個を大切にしなければならない。全体の目を恐れて、個人が物を言えないのは健全ではない。日本人よ!目覚めなさい。言いたい事を我慢するからストレスがたまるのだ。バリケイト伊東の日本人論でした。反論があるなら堂々と言えばいいのだ。反論、言われても暴力でつぶす事はない。