東京はいい天気だ。湿度はやや高いが、私の3階の部屋にはさわやかな風が入ってくる。西日本で水害の悲惨な経験をされた人の事を思うと、ひとり幸福感にひたってるのがすまなく思う。今回の水害では、東京はほとんど被害はなかった。西日本が被害の中心であった。関東には、大量の雨を降らせた雨雲がかからなかったから被害を免れたのだ。たまたまなのだ。東京にも3日間で1000mmを超える雨が降って、荒川や玉川が堤防決壊すれば大惨事になっていただろう。今回の水害の被害状況は水が引き始めて、被害の大きさが明らかになってきた。テレビ画面からすると、最悪の状況だ。死者が150人を超えるのではないか。相手は自然なのだ。人間にはコントロールできないのだ。日本人全体が甘く考えていたのではないか。いつもの事だ。大学が避難警報が出てから休講したり、避難警報が雨音で聞こえなかったり、どこに避難していいのかわからず家に留まってしまったり、人間の災害に対しての甘い認識が被害を大きくしてしまったようだ。人災の側面もかなりある。西日本で大雨が降り続く中、官邸では安部と取り巻きがパーテイをやってるとは危機意識が低すぎる。国民の命を守らずにして、何を守るのだ。自分の権力だけは守るのか。自然は人間の思い、願いなどを無視して自然であり続けるのだ。人間は自然の前では赤ちゃんだ。無力な存在だ。日本人は今まで多くの自然災害を経験してる割には、自然の恐ろしさをすぐに忘れてしまう。自然に対しては敬意を持つべきだ。今回の水害でも早く、安全な場所に避難していれば多くの命が助かった。家、壊れても命が助かれば、家族や友人、知人、被災地のすべての人間が生きていられれば、一番いいのだ。今後も日本には自然災害が何千、何万と起きるであろう。その度に多くの命が失われる。ひとりでも命を失わせないように、防災先進国としてしっかりとした策を考えるべきだ。明日は我が身なのだ。自然災害多発の日本では、誰でも生涯に一回ぐらいは自然災害を経験するのだ。自然災害を自分の問題として、日頃から考えて置くべきだ。最近の日本人は他人の苦しみに共感する能力に欠けるのではないか。被災地で水がない、食べ物がないと騒いでるのにテレビは朝から深夜までグルメ番組のオンパレードだ。バラエティ番組でも、お笑い芸能人が悪ふざけをしてゲラゲラと笑ってる。被災地の人が見たらどんな気持ちを持つだろうか。テレビ業界のいろいろとした裏事情があるだろうが、思いやりを持ってほしい。日本人は今みたいな状況に良く頑張ってくださいというが、頑張らなくていいです。すでに、生きるのに必死になのに、さらにむち打ちするような事を言うべきではない。つらい気持ちに寄り添うのがいい。今、私が出来る事は、コンビにの募金箱に少しばかりのお金を募金するするしかできないが、何もしないよりはいいだろう。家を失い、家族、友人、知人を失い途方に暮れてれる方々にはかける言葉もない。早く元気になって笑顔を取り戻せるように祈ります。亡くなられた方のご冥福を祈ります。
川崎の老人病院での殺人事件の犯人が逮捕された。働いてた元看護士の女であった。供述によれば、終末期の高齢者の死ぬ姿も見たくないし、親族に説明するのがいやであったとの事。なんとも理解しにくい。二人の殺人だけでなく、以前から20人も殺したとの供述もある。そんなに嫌なら仕事をやめればいいのだ。高齢者を殺してうっぷん晴らしをするのは、言語道断だ。20人も殺したなら、大量殺人だ。最近、猟奇的殺人事件が続いてる。富山や新幹線内でのでの誰でもいい殺人事件であり、相模原での障がい者殺人であり、自殺願望の女性9人の殺害であり、気持ちの悪い殺人事件が続いてる。個人の病理、個人の犯罪趣向と言うより、社会の病理なのだ。日本社会が閉塞と虚構の中で腐り始めてる。やたらと日本はすごい国と、ゆがんだひとりよがりのナショナリズムをおあおってるが、日本の本当の姿は国家も国民も方向性を失い、さまよってるだけだ。政治も経済も機能してない。見かけ倒しなのだ。ネットなどの過度の情報依存、格差の拡大、不安のもやもや、ストレスのイライラ、なんとなくかりかりしているのだ。日本人の心は腐ってゆくばかりだ。これはガンの症状だ。ガンも初期は症状がない。症状が自覚できるようになったら、遅いのだ。治療を始めなければならないが、自覚がないから、病院に行く気がない。いい医者も見つけられない。日本にいる今の医者は、政治家だ、評論家だ、学者だとか宗教だとかいろいろいるが、やぶ医者ばかりだ。見当違いの治療ばかりしている。日本のガンを治療できるのは、日本人ではなく自然災害や戦争の破壊力であろう。病気の自覚のない日本人には、荒い治療法が向いてるのかもしれない。大自然災害が起きるだろう。運命とは必然なのだ。偶然な運命などない。日本を再生させるのは破壊と死の洗礼なのだ。日本の歴史を見ると、日本が大きく変わった時には、自然災害や戦争の破壊と死の洗礼を受けてる。70年ばかりの平和など虚構なのだ。平和を望むが、あくびが出るような平和はいつまでも続かない。運命とは冷徹だ。人間が運命を作り出してるのではない。運命が愚かな人間を作り出したのだ。運命の神様も人間を作り出した事を後悔してるだろう。日本だけでなく、世界で自然破壊や戦争による大破壊と死の洗礼が起きるだろう。人生とは、今日、普通の事が明日は普通でなくなる可能性に満ちてるのだ。私の話を聞いてると不安になるかもしれないが、大丈夫だ。なるようにしかならない。大変化が起きにくい日本でも変化は起きる。すでに起きてる。宇宙に存在する物、すべて刻刻変化してるのだ。運命に身をまかせればいいのだ。その時、あなたはあなた自身の運命を信じ、身をまかせればいいのだ。誰でも死にたくなないが、人は死ぬように作られてる。人間個人の命など、最大に生きても100年だ。宇宙137億年の長さに比べれば、100年ぐらい一瞬の短さだ。死を恐れるな!生きる事は死ぬ事なのだ。人は死を身近に置いたほうが生き生きしてくる。生きるとは逆説なのだ。人間いつ死ぬのかわからないのだから、今日を、今をしっかり生きよう。教祖気取りのバリケイト伊東でした。終わり
西日本の水害がひどい。死者、行方不明者が100人を超えそうだ。最近の雨の降り方は異常だ。自然の心は人間には読めない。二酸化炭素による温暖化なのか、異常気象が原因と思われる自然災害が世界中で起きてる。日本は自然災害のデパートの国、自然災害がない年などないのだ。どんなにか災害予防をしても、災害は起きる。人間の願い、思いなど無視される。自然は神なのだ。人間をはるかに超えてる。被害が予想される時は逃げるしかない。安全なところに避難するのが一番いい。自然災害、今日で終わるものではない。今後も続くのだ。今よりもっと大きな自然災害が起きるかもしれない。日本人はコントロールできない自然とうまくつきわなければならない。自然災害、明日は我が身だ。亡くなられた方のご冥福を祈ります。被災された方が、早く心の平安を取り戻せるように心より祈ります。
昨日の朝、、突然、ビッグニュースが流れた。オウム真理教教祖、麻原彰晃と元幹部であった6人の計7人が死刑を執行された。拘置所を移送されたりして、死刑のうわさはあった。ほんとうになった。今後、残り6人の元幹部が死刑執行される予定だ。オウムに殺された人の家族感情からするとすっきりしたかもしれないが、私はすっきりしない。私は死刑廃止論者だ。死刑は前近代的で残酷な刑だ。残虐な犯罪の抑止力にはならない。世界的の流れも死刑廃止に傾いてる。先進国で死刑制度を維持しているのは、日本とアメリカだけだ。アメリカも州によっては死刑廃止になってる。オウム事件とは何であったのであろう。オウムは多くの凶悪犯罪を犯した。麻原教祖の狂気が犯罪に直結している。悩み多き人間を救うという本来の宗教活動からかけ離れた犯罪を多く犯した。犯罪目的の集団と化した。麻原の妄想はしだいにサリンをヘリコプターで散布して日本の乗っ取りを考えるまでになった。まじに考えていたのだから驚きだ。修行すれば空中浮揚ができるとか、超能力が得られるとか、うそ臭い話に多くの若者が夢中になったのだ。国立大学や有名大学出身の優秀な若者が入信し、麻原の妄想と野望を実現させるために能力を発揮した。サリンは土屋幹部が開発を主導した。麻原のカリスマ性は際立ってる。戦後、多くの人物が世に出たが、麻原ほどのカリスマ性を持った人物はいない。もし、あげるなら田中角栄ぐらいか。戦前のドイツにはヒットラーという巨悪のカリスマがいた。総理大臣の安部なんか全然カリスマ性はない。人を引き付ける魅力がある。麻原は盲目であったが、人の心は見えた。頭も切れる。弁も立つ。凶悪犯罪なんか犯さなければ、オウム真理教は大きな教団になっていただろう。剣の使い方を間違えた。麻原のおごりが破滅を導いたのだ。麻原がオウム真理教を立ち上げたのも運命なら、死刑になったのも運命なのだ。今も、オウム事件が多発した25年前も、日本人の心はさほど変わってない。疲れてる。ストレスのイライラ、不安のもやもやを抱えて方向性もなくさまよってる。国家も方向性なくさまよってる。今、また麻原みたいな悪のカリスマ性のある人物が出てきたら、また同じような事件が起きるのではないか。多くの日本人は何かに依存したがってる。吸引力のある人物が出てきたら一気に吸い寄せられる。そして、マインドコントロールされ犯罪的な事をやるのではないか。そもそも、人間の本質は悪と罪だ。うわべは善人ずらしていても、心の奥底には悪と罪のマグマが渦巻いてる。悪には人間は簡単に共感してしまう。人間の歴史を見ればわかるであろう。過去から今に至るまで多くの戦争、犯罪、殺し、残虐な人権侵害を犯してきた。世界中がキリストみたいな人間ばかりであったら、何の問題は起きない。日本にも、世界にもまた第二、第三の麻原やヒットラーみたいな人物が出てくるだろう。歴史は繰り返す。人間の心は変わらない。本質的には悪と罪が人間の基本ソフトだ。民主主義のような政治制度を作り出し、改良しても人間界から戦争や犯罪はなくならない。今、日本中で豪雨、洪水被害が猛威を振るってる。麻原を死刑にしたから、麻原のたたりだなんて思ってはいけない。最近の日本人はすぐにこのようなデマに敏感に反応する。自然災害と麻原の死刑とは全然関係ない。被災者を不安にさせるデマ、フェイクニュースには気をつけてください。被災者の皆様、状況が良くなるよに祈ります。
私はかなり運命論者だ。個人、国や民族、組織、地球など、宇宙に存在する物、すべて運命の意思で動き、運命時計が存在している。日本に安部が総理大臣として君臨し、アメリカにはトランプが大統領として君臨している。北朝鮮にはキムだ。仲が悪かったキムとトランプは和解して戦争の危険性はだいぶさがった。運命なのだ。すべて神様のシナリオには一ページの狂いもなく書かれてる。日本の安部が戦前のファシズム体制を復活させたいと、政治活動しているのも運命なのだ。地球が宇宙に誕生した事も運命だ。そして、人間を誕生させた事も運命なのだ。人間とは神が作り出したですべての生き物の中で、最悪の生物だ。今となっては、神も後悔されてるだろう。過去1万年ぐらいから今に至るまで人間の生き様は、最悪の運命をたどってる。人間の歴史とは、破壊と死の歴史なのだ。そして、戦争の末に人間が絶滅する事も神のシナリオには書かれてる。運命なのだ。1万年どころか、千年後にも人間は絶滅して地球上にはいないであろう。己の愚かさによって滅びるのだ。地球の歴史は46億年だ。まだ若いが、いずれ寿命が来て、爆発して死をむかえるであろう。宇宙も永遠には存在しない。今、急速に膨張してるが、永遠に成長はしない。死を迎える時が来る。どのような死を迎えるのかはわからない。大爆発するのか、手品のように一瞬で消えてしまうのか、わからない。誕生から死まですべては運命なのだ。宇宙が誕生するのが運命なら、宇宙が死ぬのも運命なのだ。この宇宙に永遠に存在する物はない。当然、人間の存在などカゲロウのようなもんだ。人間の知恵などたいした事はない。人間が永遠に繁栄する事はない。絶滅する事は運命づけられてる。人間は長く生きても100年なのだ。宇宙時間に比べれば、100年の時間の長さなど微々たるもんだ。まばたきのごとしだ。人間とは何者と哲学するほどの価値はない。愚か者の集団に待ち受けてるのは死の洗礼だ。神が人間を誕生させたのも運命なら、絶滅の宣告をするのも運命なのだ。運命とは冷徹であり、平等だ。どんなにか権力やお金があっても運命を超えられないし、運命を変えられない。運命は運命としてすべてに超越して存在する。人間は運命の枠組みの中でしか生きられない。人間的には出来るだけいい運命を享受したいが、悪い運命も受けなければならない。自然災害の運命はどうしようもないが、人間が作り出した不条理な運命には、運命とあきらめず戦う事だ。最後には正義は勝つ。不条理な運命を受ける事も運命なら、不条理な運命を克服できるのも運命だ。信じる事だ。不正は正され、最後には正義は勝つ。今、運命の一瞬を我々は生きてる。先に、どのような運命が待ち受けてるのかもしれないだから、今をしっかり時間を大切にして生き抜きましょう。