今、国会ではIR法案が審議されてる。英語だとかっこうがいいが、博打を合法化する法案だ。ルーレットは今の日本では非合法だが、この法案が成立すれば合法になる。私はこの法案には反対だ。ギャンブル依存者を増やすだけだ。アメリカのラスベガスみたいなギャンブル場を安部は作りたいらしい。町起こし、国起こしで経済を活性化させたいのだろうが、ギャンブルなんて不健全だ。日本人の多くはギャンブルには否定的だ。私もまったくギャンブルはやらない。合法的だが、パチンコ、競馬、競輪、オート、競艇はやらない。勝てる確率が非常に低い。99%損をするのだ。ギャンブルで家を建てた人間はいない、反対に家を失った人間は多い。胴元だけが利益をあげるのだ。誰が運営するのだ。アメリカのカジノ運営会社が経営するのか、それとも国交省の外郭団体が経営するのか、暴力団が経営するのか。ギァンブル依存症になり、破産の運命をたどるのがお決まりのコースなのだ。安部の考え方には、ギャンブルのような不健全な危なさがひそんでる。元々、国家主義的な哲学を持ち、民主主義を壊すような法案を成立させてきた。さらに日本人をギャンブル依存にさせて、日本人の財布からお金を奪いたいようだ。資本主義は人間の欲望をエネルギーにして動いてる。自由と欲望は相関関係にある。自由をコントロールできない人間にとって、自由は毒、青酸カリなのだ。毎日、人間界では欲望暴走の末に罪を犯す。金が欲しいから人をだます。会社から多額の金を横領する。金のために人を殺す。性欲暴走の末に痴漢、性犯罪を犯す。ギャンブルする自由なんて、毒を日本中にばら巻くようなもんだ。依存症はコントロールできないのだ。一度、依存症になると、抜けられない。いつも欲望暴走なのだ。仕事を休んでも、借金してでもギャンブルをやり続けるのだ。こんな人生破壊法案を作りたい安部政権は、日本のガンだ。それでなくても、民心は、ストレスのイライラ、不安のもやもやを抱えて方向性もなくさまよってるのだ。日本人は何かに依存したがってる。人間は依存しやすいのだ。酒、薬物、ギャンブル、ゲーム、宗教などに依存しやすいのだ。人間を依存者に仕立て上げて、儲けたい組織、人間がいるのだ。依存は利権なのだ。やめられない人々はお得意様だ。利権の餌にならないように気をつけよう。民心を破壊するようなギャンブル法案には絶対に反対だ。
あなたにとって一番大切な物はなにですか。人それぞれ違う答えがあるだろう。家族とか、友人とか、健康とか、お金、絵、ペット等いろいろあるだろうが、それらにつらぬいてる精神は、愛だ。夫は妻を愛す。親は子供を愛す。多くの人は健康を愛す。お金を愛する人は多い。ペットはかわいい。権力者は権力を愛す。大切にするという事は愛するという事だ。愛がなくなれば、人の心は荒れ、攻撃的になるであろう。最近の日本での愛のベクトル、方程式はわかりずらくなっている。日本で頻発している誰でもいい殺人などは、愛がないから行われるのだ。愛があれば無関係な人間を簡単に殺せない。子供を虐待する親が多い。日本での虐待件数は年間12万件だ。親に殺される子供も多い。親自身、子供の頃、親に虐待されてる事が多い。だから愛がわからない。愛し方がわからないのだ。この愛という大切な感情は子供の時に親から愛されないと、作られない。親はしっかり子供を愛さなければならない。心に愛がない人間は様々な問題を起こす。凶悪な犯罪を犯して死刑判決を受けた人間には、子供の頃、壮絶な虐待を受けた人間が多い。愛がわからないから残虐に人を殺すのだ。日本でも、世界でも人間界が保たれてるのは愛の力だ。人間に愛がなくなれば、とっくの昔に人間は滅んでいただろう。男女は愛さなければ、子供は生まれないだろう。子供が生まれても、親の愛がなければ子供は育たないで死んでゆくであろう。戦争だ、虐待だとか愛に欠ける行為が横行しているが、人間界全体に愛が充満している。自然災害を除けば、人間が絶滅する事はないだろう。しかし、人間は人間を100回位絶滅させる核兵器を持ってる。権力者が自分の権力やイデオロギーを愛した結果、核兵器が作られてきたのだ。大量殺人兵器を作り、大量殺人を行ってきたのも愛の力なのだ。愛は美しい言葉だが、愛のベクトルの方向性を間違えると、悪魔に汚染された愛になる。愛するゆえに人を殺すのだ。なにかおかしいであろう。人を殺さないのが愛なのだ。このあたりを理解できない人間が、様々な問題を起こすのだ。人を傷つけない、殺さないのが愛なのだ。人だけでなく、動物も食肉動物を除けば、傷つけたり、殺したりしてはいけない。水や空気を汚してはいけない。森を破壊してはいけない。地球を愛さなければいけない。こんな当たり前の事がわからない人間が多すぎる。自分の汚れた欲望や利権を愛し、破壊や殺人を正当化している。愛の力は偉大だ。しかし、使い方を間違えると愛の力は悪魔的になる。薬と毒は紙一重なのだ。正当な愛の力を信じよう。不正や悪を愛さないようにしよう。愛は人間が生きてゆくには、絶対的に必要な感情なのだから。人間を愛す。家族を愛す。すべての生命を愛す。地球を愛す。宇宙を愛す。愛すれば、愛される。愛は傷をいやす。愛こそすべてだ。神の力とは愛だ。
西日本豪雨被害、ひどい状況だ。被災地域は広域だ。死者は200人超え、行方不明者も多い。今回の自然災害が終わりではない。日本から自然災害はなくならない。今も進行中なのだ。今日にも大地震や豪雨、津波、火山噴火があるかもしれない。気をゆるめてはいけない。どんなにか優れた災害対策法が出来ても、政権が変わっても、自然は人間の思いなど無視して自然であり続ける。自然災害は日本からなくならない。過去に多くの自然災害を経験しても、日本人はすぐ悲惨さを忘れる。自然の本質は破壊と死なのだ。富士山はきれいだ。しかし、過去には多くの噴火を繰り返してきた火山なのだ。死火山ではない。いずれ噴火するであろう。星空は宝石のようにきれいだ。しかし、宇宙では毎日、毎秒、星の爆発がある。6500年前には地球に巨大隕石が落ち、恐竜が絶滅した。適度の雨なら恵だ。しかし、豪雨では災害だ。自然は破壊的なのだ。全然やさしくない。自然の本質を十分に理解しておかなければならない。自然災害は他人事ではない。日本人なら生涯に1ッ回ぐらいは経験するであろう。日本では自然災害が日常なのだ。気をゆるめずに心の準備をしてたほうがいいでしょう。自然の悪魔はすぐ側にいる。同時に自然の女神もすぐ側にいる。自然を怖がらず、しかし、なめてはいけない。敬意を持ってつきあいましょう。そうすれば、自然はあなたやあなたの家族を守ってくれるでしょう。亡くなられた方のご冥福を祈ります。行方不明の方が早く見つかるように祈ります。
安部の取り巻き連中の飲み会、赤坂自民亭での振る舞いが問題になってる。酒を飲んではいけないと言ってるのではない。やった時期がまずかったし、みんなでの記念撮影をネェトにアップロードしたりした。写真を見ると、酔いの回った赤ら顔でふざけてる様が伝わってくる。5日の夜、西日本では大雨が降り続け災害が予想される時期に開催するのは問題だ。配慮が足りない。強い安部のおごり、たるみ、ゆるみ、ちゃらさなのだ。けつの穴のゆるんだ下痢便垂れ流しみたいな連中の行為は、今の日本を良く表してる。野党は弱いし、国民は政治に関心がないし、政治を私物化する安部に対しての監視も弱い。これでは、安部が図に乗るのも無理がない。おごれる者、久しからずという言葉がある。傲慢な者は滅んでゆくという事だ。安部も自らのおごりで墓穴を掘るであろう。いくら強い安部でも、死ぬまで権力者の座に留まる事はないであろう。安部が政権の座から降りれば、取り巻き連中もクモの子を散らすようにいなくなる。安部の人格にひかれて安部の回りに集まってるのではない。安部にはカリスマ性はない。ゴマすって大臣ポストをもらいたいか、様々な利権欲しさに集まってにすぎない。日本は閉塞と虚構の中で腐るだけだ。その内にけつの穴から出る物もなくなるであろう。まだ出る内はましだ。そして死ぬのだ。今の日本を変えれるのは日本人や権力者ではなく、自然災害や戦争による大破壊と人間の大量死であろう。がれきと餓えの中で日本人は目覚める。必死に生き始めるであろう。戦後70年ばかりの平和は虚構だ。虚構の生ぬるさの中で、何が真実で何が正しいのか日本人はわからなくなってる。方向性を示してくれるカリスマ的政治家が必要だ。今の日本にはけつの穴の小さい政治家ばかりだ。出てこいや!けつの穴のでかい政治家。
西日本豪雨の被害状況はひどいにつきる。死者は200人を超えるのではないか。いつもの事なのだが、自然災害対策をしっかりさせなければならない。具体的にはどうすればいいのか私なりに考えてみたい。車や防災無線で避難を呼びかけるより、サイレンを鳴らしたほうが緊急性を感じて、すぐに非難するのではないか。ダムの放水量の調整は微妙で神経を使う。ダムにどんどん土砂混じりの水が流入してくるのだ。放水しなければ、ダムの決壊やあふれだす危険性がある。どのぐらいの量の放水をするのかは神経を使う。下流で洪水被害をもたらす可能性があるのだ。すでにやってると思うが、ダム職員は日頃から最悪の状況を考えたシミュレーションをしてたほうがいいのではないか。くそ暑い中、75000人ばかりの警察官、自衛隊が被災地で救援活動をしている。感謝、感謝。自衛隊の中に自然災害専門の部隊を作るのはいいのではないか。外国の攻撃から国を守るのも自衛隊の仕事だが、自然災害から国を守るのも自衛隊の仕事だ。すでに自衛隊には工兵の部隊がある。道路や橋を造る部隊だ。銃より、重機、スコップを使うのが主な仕事だ。東日本と西日本でそれぞれ2万人規模の部隊を作ったらいいではないか。日本では自然災害のない年はないのだから。大規模な水害や地震に、台風にも専門的訓練をしてる部隊があれば、市民は安心できる。政治家や国土交通省の官僚がスコップを持って作業するわけではない。実際に汗水たらし、手を汚す人間が必要なのだ。家を失った市民には生活の住居が必要だが、プレハブのお粗末な住居、体育館では生きる気力を失う。日本は海に囲まれてる国だ。避難船を作ったらいいのではないか。すぐに生活できる。日本にはフェリーという船がある。3千人、4千人規模の船を作るのはいいのではないか。船はでかい。人間も物もたくさん積める。倉庫になる。発電もできる。プラントを積載すれば海水の淡水化もできる。医療設備を積めば手術もできる。今の日本人の生活レベルに合わせた住居空間が確保できる。エアコン、水洗トイレ、個室、風呂、食事の提供。個別に作るより、船なら安いし、すぐに使える。被災地の近くの港に停泊させればいいのではないか。ヘリ空母だとか、イージス艦だとか高額な船を作るより、国民の命、生活を守る船を作ったほうがいい。災害の時には道路が遮断される事が多い。ヘリコプターでの空輸、オスプレイもある。医薬品などの軽い物ならドロンもある。飛行条件が悪くなければ、フルに空輸物流したほうがいい。最低限の水や食べ物は欠かすわけにはいかない。水害が予想される川沿いや、海沿いには最初から保育園、老人ホーム、小学校、中学校などを建設しなければいいのだ。家に帰す途中で水に流されるかもしれない。安全な高台に建設すればいいのだ。避難警報が出ても、学校に留まればいいのだ。水害が予想される所に住んでる住人には、ライフジャケットを行政が提供する。水の飲みこまれても、浮けば助かる可能性が高まる。リュクに空の2Lのペットボトル2本を入れても、かなり浮力を得られるそうだ。まだまだアイデアはいろいろありそうだ。知恵をしぼって生き残りの作をみんなで考えよう。誰でも、死にたくないだろう。不幸、明日は我が身なのだ。死ぬより生きるほうが、はるかに価値があるのだ。生きてれば人を救える。他人の命も自分の命も同じ重さだ。家族を、友人を、見知らぬ人を救えるのだ。自然災害に負けず生き抜こう。