「東京都青少年健全育成条例」の改正論議で私が思ったことを書いてみる。
我々日本人は公権力に「あれは良い本、これは悪い本」と決めてもらわなければならないほど、物語の良し悪しが分からない情けない存在なのだろうか?
子供にそれが出来なかったとしても、大人が導けば良いことなのでは?
面倒くさいことはやりたくないから公権力にやってもらおうという話なのだろうか?
それとも今の大人にはその能力が無くなったって事なのだろうか?
でも、自己判断の出来ない人間を育てて大丈夫なのかなぁ?
世の中には悪書は確かに存在するけど、それを自分で判断できない人間なんてちょっと恐いぞ。
無垢な人間ほど、嵌り易いし嵌め易い。恐くないのだろうか?
臭い物に蓋をした結果、何も生えない荒野だけが残った……そんな結果にならないだろうか?
今回の改正案が成立すれば、表現の自由に対する規制のステージは一つ上がる。
上手く運用できるのだろうか?
この改正案を利用しようと考える者は出ないと言えるのだろうか?
じりじりと拡大解釈をしていって適用範囲を広げていけば、戦前も吃驚の検閲社会を作る事は可能なのでは?
五十年後或いは百年後にこの改正案を先例として利用して日本を検閲社会にしてしまおうと考える者は出ない、と言えるのだろうか?
それに現状の改正案でも悪意を持って使うなら出版社等への圧力に十分使える。
本当に上手く運用できるのだろうか?
東京都の機関の人が漫画の一部分を取り上げて卑猥か卑猥でないかを判断する為に議論をするなんて、間抜けな話だと思うけど、そうしてもらわないければならないほど日本人の判断力は欠如してしまっているって事なのだろうか??
もしかして、我々日本人は、東京都庁の人達にバカにされてない?
この改正案に反対している人達を「不健全な本を嗜好するエロ人間」とバッシングしている人達は、自分が或いは自分達の子供や孫が自己判断出来ない人間であるとバカにされていても平気なのだろうか?
それとも、そうであっても規制を強化しなければならないほど、事態は切迫しているのだろうか?