狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

読めないのは厭。

2013年08月18日 19時07分49秒 | その他の日記



 本日8月18日は、第1回全国中等学校優勝野球大会のちの全国高等学校野球選手権大会が開幕した日で皇帝溥儀が退位し満洲国が消滅した日で肥後国にポルトガル人が漂着し領主の大友宗麟にカボチャの種が贈られた日で占守島の戦いがあった日。8月18日の時点では太平洋戦争は終わっていない。降伏して武装解除すると宣言しても戦争は続いている。戦争を終えることはかくも難しいのか。


 本日も倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は三十四度。最低気温は二十六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。





 私は学生の頃、学校で国歌の斉唱は強制されていない。
 私は学生の頃は天邪鬼なあんぽんたんだったので、「唄え」と言われていたら唄わなかっただろうし「唄うな」と言われていたら唄っただろう。
 もし、ある漫画を「読むな」と言われたら何としてでも読んだだろう。「読め」と言われたら読まなかったと思う。
 「好きにしろ」と言われたならあんぽんたんではあったけど一生懸命考えただろう。それも言われなかったが。

 子供を信用してみては如何か? 子供とて考える力はある。そして子供が一生懸命考えたことなら(よほど変な考えでないかぎり)尊重してみては如何か? その上で議論してみては如何か? 
 強制された思想はどのような思想にしろ長じるにつけ歪んでいくと思うのだけれども。

 1955年の悪書追放運動の漫画の焚書なんて莫迦みたいじゃないか。
 せっかく漫画はそんな運動から生き延びてきたのに。また同じことを繰り返すのは嫌だよ。
 漫画の読み手はそんなに愚かではないと思うよ。多分。

 ただ、漫画として評価せずに表層的に読んで政治的に利用しようとするなら作者は多分泣くよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『一人で歩いていった猫』/大原まり子

2013年08月18日 16時02分17秒 | 小説・本に関する日記




 昨日の夜は、大原まり子の短編小説集『一人で歩いていった猫』を読み返していました。

 収録されているのは、「一人で歩いていった猫」、「アムビヴァレンスの秋」、「リヴィング・インサイド・ユア・ラヴ」、「親殺し」の4編。
 SF短編集で、4編とも大原まり子の「未来史シリーズ」の作品です。



 大原まり子の文章は私は好きです。

 例えば、「一人で歩いていった猫」の冒頭の部分。



 これはかつて“猫”と呼ばれた人間の物語である。
 猫は比類なき知性に恵まれていたが、おおかた先祖は地球産の猫だったので、外見は直立二足歩行の化け猫といったところだった。もっとも、中には北極グマを祖先にもつ者もいたのだが、例の“猫は猫に帰れ”運動の大旋風のあおりをくらって、誰も彼もが黄金色の目に赤い毛皮をもつ猫形態になってしまった。
 この物語はそういう平凡な猫の物語だ。いささか謙遜で、付き合いが下手で、さほど忍耐強くもなく、人生の九九パーセントを平穏にすごした猫の、残りの一パーセントの物語だ。巨大な歴史の歯車の一つを担いながら、異星の大地を愛でつつ死んだ猫の物語だ。



 こんな文章を読むと私はわくわくします。

 超未来の物語で神話的でイマジネーションが豊かな物語。
 面白かったですよ。


 大原まり子先生は最近本を出していないので新作を出して欲しいなぁと思っております。
 出来ればSFの大作を! 
 お願いいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする