狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

汝等祈る時、偽善者の如くあらざれ。彼等は人に顕さんとて会堂や大路の角に立ちて祈ることを好む。彼らは既にその報いを得たり。

2019年01月13日 19時44分41秒 | ご近所に関する日記



 本日1月13日は、コンスタンティノープルでニカの乱が起こった日で、明徳の乱が起こった日で、加賀前田家の江戸藩邸に御守殿門(現在の東大赤門)が建立された日で、エミール・ゾラがドレフュス大尉の無実を新聞で主張した日で、ソ連軍がケーニヒスベルク(カリーニングラード)に到達して街を包囲した日で、ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言した日で、チトーがユーゴスラビアの大統領に就任した日で、プラウダ紙が「ユダヤ人医師らがソ連要人の毒殺を企てた」と報道してソ連史上の最大の反ユダヤキャンペーンがはじまった日で、美空ひばりが浅草国際劇場でファンに塩酸をかけられ負傷した日で、リトアニア血の日曜日事件が起こった日です。

 本日の倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は十二度。最低気温は零度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。



 今日は振り袖姿のお嬢様達をよく見かけました。
 成人式なのですね。
 おめでとうございます。
 よい大人になって下さいませ。







 「あなた達が良い職場を見つけますように。あなた達の職場が良い職場でありますように。あなた達がよい未来を見つけますように」と祈ってみる。

 私の今の職場は私にとってとてもとてもよい職場だけど、この世には悪い職場がある事は知っている。
 私はかつてそんな職場にいたのだ。
 だから余計なお世話であるとは思うけど、彼ら彼女らの為に祈りたくなる。
 あなた達が良い職場を見つけますように。あなた達の職場が良い職場でありますように。良い上司と良い同僚に恵まれていますように。よい未来を見つけますように。


 前に勤めていた職場で仕事で出入りしていた倉敷駅横の某ビルの前に立つと、今でも足が震える時がある。
 無意識の内に倉敷駅周辺を避けてしまう時がある。
 かつて勤めていた職場の建物の付近に近付くことに抵抗を感じる時がある。
 そんな事では生きてゆけないと思うのだが、いまだに上手くいかない。
 断ち切らねばと思うのだが、どう断ち切っていいのかよく分からない。
 平気になれる時が来るのだろうか?

 私に強力なサバイバル能力があったなら、かつての悪い職場であっても其処で生き残ることが出来たかもしれない。
 他人を喰い殺してでも自分は生き残ろうとする能力があったなら。
 でも、私はそんなものは持っていなかった。
 私は私の中の一部が壊れかけた時、其処から逃げ出した。
 私は負け犬なのだ。吼える気はない。
 今、私が出来る事は自分の壊れかけたものを修復しつつ過酷な状況にいる人達の為に時々祈りを捧げることくらいだ。


 願わくば、皆様の職場が良い職場でありますように。
 皆様の魂に安らぎがありますように。
 そして、悪い職場であったなら其処から上手く逃げ出せますように。

 世の中、しなくてはいけない苦労というものはしなくちゃいけないけど、してはいけない事やする必要のない事を背負い込むことは無いと私は思うのです。




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『モロッコ』

2019年01月13日 17時02分21秒 | 映画・ドラマに関する日記




 昨日の夜は、映画『モロッコ』のDVDを観ていました。

 モロッコの酒場の歌手アミー・ジョリーは外人部隊の兵士トム・ブラウンと出会う。
 プレイボーイで女絡みのトラブルが多いことを公言するトムを一度は拒絶するアミーだったが、でも彼女は恋に落ちてしまう。
 2人は恋仲となるのだけれども、トムは外人部隊の副官の夫人の情人でそのことでトラブルとなり営倉入りとなってしまう。
 彼は軍法会議にかけられることはなかったが、前線に送られることになってしまう。
 トムはアミーに「脱走して欧州へ逃げるので一緒に逃げよう」と提案する……。
 のだけれども……。

 監督は、ジョセフ・フォン・スタンバーグ。
 出演者は、マレーネ・ディートリッヒ、ゲイリー・クーパー、アドルフ・マンジュー、ウルリッヒ・ハウプト、イヴ・サザーン、など。
 1930年の製作・公開のアメリカ映画です。






 大人のロマンス映画です。
 ロマンス映画なのに直接的な言葉(「愛している」とか「好きです」とか)がほとんど出てこない。
 そしてラストの場面ではセリフは無い。
 出てくるキャラクター達は上辺だけの言葉なんか信じていないし上辺だけの言葉で相手の心を動かせるとは微塵にも思っていない。
 セリフと感情にギャップがあってそれを観ている人が楽しむ。
 そんな映画です。

 シリアスなロマンス映画で甘々な感じはなく「おぉ!」と圧倒されるロマンス映画。
 サイレント映画の演技法が少し入っていますが、違和感を覚えるほどではなく、感情を演技で分かるようにしています。

 セリフはあるけどセリフで説明しない。
 重要なのは「どんな行動をするのか?」。
 行動で感情を表現して物語を動かしている。
 物語は凄く単純なのだけれども、マレーネ・ディートリッヒの力を存分に引き出すように工夫されつくされているお話です。


 面白かったですよ。
 お勧めです。





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芬蘭からの旅行者がモスクワで道にできた穴に足をとられて転んだ。助けに来た警官に彼は言った。「芬蘭では危険な場所は赤い旗を立てて注意を促すのだが?」 警官曰く「国境を越える時に赤旗を見ませんでしたか?」

2019年01月13日 14時33分27秒 | その他の日記




 以下の文は多言語メディア・大紀元 The Epoch Timesの2017年12月4日の『国家が共産主義から離れた後に起こること』と題した記事の転載であります。


    『ワシントン拠点の政策専門の経済学者ダニエル・J・ミッシェル氏はこのたび、大紀元に、共産主義から離脱した国々の経済を分析した記事を寄稿した。
     多く脱共産主義国は自由主義経済をとることで発展が見られたが、法律では社会主義基盤からの脱却に時間がかかるという。

     ロマノフ朝が倒れ史上初の社会主義国家を樹立した、ロシア革命から100年が経った。
     私たちは邪悪なイデオロギーの席巻による犠牲者について考えなければならない。
     今日、共産主義から転換した多くの国々は、亡霊のように取りついていた思想の放棄を祝っている。
     「鉄のカーテン」崩壊から30年、多くの自由主義国が誕生した。

     フロリダ州立大学ジェームズ・グワートニー氏とヒューゴ・モンテシノス氏は、1995年から2015年にかけて、旧ソ連圏諸国の経済成果を分析した。
     中央集権国家または共産主義国と呼ばれていた国々だ。

     これらの国は、計画経済より自由主義経済に移行すれば、経済は改善していくことが分かった。
     財政政策、貿易、金融政策、規制、法的枠組みの5つの主要政策分野で経済自由度の指数を示す、カナダの有力シンクタンク、フレイザー・インスティテュート発表『世界経済自由度』2015版を参考にして、両氏は指摘する。

     「1995~2015年、計画経済の国々の経済データは印象的だ。その変化は、もっとも経済の自由化に力を入れた7つの旧共産主義国にみられる」

     世界経済自由度について、旧社会主義国の世界経済自由度の平均評価は7.5であり、米国の7.94(12位)に接近するまでになっている。
     ちなみに香港が8.97で最も高く、トップ10にはジョージア8位(8.01)、エストニア10位(7.95)が入る。
     日本は39位(7.47)。

     両氏の報告によると、経済の自由度が高いジョージア、エストニア、リトアニア、ラトビア、ルーマニア、アルメニア、アルバニアの7カ国のうち6カ国で実質1人当たりGDPが2倍以上に増加した。
     これらの旧共産主義国は、高所得のヨーロッパ先進国より3倍近い速さで経済成長した。
     しかし、旧共産主義国でも、自由主義経済の程度が低い国ほど、成長率は低い。

     旧社会主義国で、民間に開放された政策や市場参入を自由にする政策の多い国では20年の間に1人当たりのGDPは4.54%増加し、少ない国でも3.30%増加した。
     より自由主義をとる国の所得は、先例の高所得国に早く近づく。
     前者はまた、高所得国と比べ、平均一人当たりのGDPは1995年の19.9%から2015年の40.6%に倍増した。

     ジョージアとバルト3国には特に良い変化がみられる。
     西欧諸国に比べ、ジョージアでは6.7%から20.3%に、エストニアでは33%から61.6%へと収入増加があった。
     ポーランドとスロバキアは「世界経済指数」の値はやや低かったが、良い政策の恩恵を受けて急成長を遂げている。

     世界経済指数スコアの下位層を見ると、ウクライナは貧弱に見える(149位、5.38)自由主義経済の政策がほとんどない国であり、予測できる結果だ。

     しかし、旧共産主義国には欠点がある。
     法的基盤が脆弱であり、進歩もみられないことだ。

     歴史的背景を考えると、驚くべきことではない。
     社会主義の下では、法制度は中央政府が利するよう設計されていた。
     裁判官、弁護士、司法当局は、政府に傾くよう組織され、報酬を受けている。
     個人、民間企業、民間団体の権利の保護は、社会主義の下では重んじられなかった。

     この結果から、政治、経済、司法など、国を席巻した社会主義思想を変えるのは容易ではない。
     残念だが、そう言わざるを得ない』

             転載終わり。







 共産主義・社会主義の巨大な実験は多くの人を不幸にして終わりました。
 経済面・文化面・福祉面・医療面・人権など多くのものに大ダメージを与えて終了しました。
 そして今もなお社会主義体制の国々に傷跡を残しています。
 何故に失敗したのかその原因は詳細に分析されて公開されています。

 本来ならば、日本の社会主義者と呼ばれている人達や共産主義者と呼ばれている人達は旧共産国や旧社会主義国が何故に失敗したのかを徹底的に調べ上げて、現在の自由主義国である日本で社会主義や共産主義はどうあるべきかを議論し煮詰めなければならないはずです。
 しかしそのような動きはまったく見られませんよね?
 労働者の待遇に興味を持たない労働組合って意味があるのですかね?
 何故に日本共産党は共産主義者なのに日本共産党内部で恐ろしいほどの格差社会なのですか?
 何故に日本共産党は日本共産党内部で党幹部による独裁体制を敷いているのですか?
 旧社会主義国や旧共産主義国の失敗を日本共産党は本当にきちんと分析しているのですか?
 「戦争反対」なんて言葉は馬鹿でも言える言葉であって社会主義とか共産主義とかは関係ないですよ?
 何故に日本の社会主義者と呼ばれている人達や共産主義者と呼ばれている人達は、社会主義や共産主義について語らないのですか?
 中身が無いからですか?
 そうだったとして、中身が無いのならば何故に社会主義や共産主義を奉じる必要があるのですか?



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