狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

山が高いからといって戻ってはならない。行けば越えられる。仕事が多いからといって怯んではいけない。行えば必ず終わるのだ。

2019年01月26日 23時51分56秒 | 職場に関する日記





 本日1月26日は、平将門が上野国の国衙を倒し上野国・下野国を制圧した日で、ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがヨーロッパ人で初めて現在のブラジルに上陸した日で、江戸幕府が大名監視のための大目付を設置した日で、オスマン帝国とヨーロッパ諸国がカルロヴィッツ条約を締結した日で、イギリスのアーサー=フィリップ海軍大佐に率いられた1030人の流刑囚がオーストラリアに初上陸した日で、ペトログラードがウラジーミル・レーニンの名を取ったレニングラード(現サンクトペテルブルク)に改称された日で、ドイツ・ポーランド不可侵条約が締結された日で、フランコ軍がバルセロナを占領した日で、帝国銀行椎名町支店で東京都衛生員を名乗る男が行員12名を毒殺して現金・小切手18万1千円を強奪した帝銀事件が起こった日で、アメリカと韓国が「相互防衛援助協定」に調印した日で、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店で強盗事件(警官と行員4人を殺害し客らを人質に42時間籠城)があった日で、大阪府吹田市で一和会系組員が竹中正久・山口組組長ら最高幹部3人を射殺した日で、アフガニスタン大統領ハーミド・カルザイがアフガニスタンの新憲法に署名した日です。

 本日の倉敷は雪がぱらりぱらりと降っていましたよ。
 最高気温は六度。最低気温は一度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。






 本日は接客の合間に月末恒例の事務処理をしていました。
 あかん。まったくはかどらへん。
 まぢか。とビビるくらい捗りませんでした。

 嗚呼。私は駄目な奴だ。圧倒的に駄目な駄目人間だ。
 嗚呼。こんなにも出来ない奴だったとは。がっかりです。まことにもってがっかりです。
 倉敷川に身投げして鯉の餌になってしまいたい気分でありますよ。

 しかし、期日まであと一日あるのです。
 まだ大丈夫。期限までにお仕事を仕上げればよいのです。
 そう気を取り直して明日こそは頑張ろう。と思っているところなのでございます。


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「漫画とかゲームって暇潰しのものでは?」 「お前は食事や呼吸を『暇潰し』と呼ぶのか?」

2019年01月26日 14時13分17秒 | VSの日記




 昭和か、平成か、兎に角遠い昔の事である。

 ヲタクの御教を奉ずるものは、その頃でももう見つかり次第火炙りや磔に遇わされていた。
 しかし迫害が烈しいだけに、ヲタクを統べる御主も、その頃は一層この国の宗徒にあらたかな御加護を加えられたらしい。
 秋葉あたりの街々には時々日の暮の光と一緒に天使や聖徒の見舞う事があった。
 現にあの聖・手塚治虫でさえ一度などはヲタク達の聖堂に姿を現したと伝えられている。
 と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げる為、或いは厳格な教師の姿となり、或いは舶来の草花となり、或いは網代の乗物となり、しばしば同じ聖堂に出没した。
 夜昼さえ分たぬ土の牢に、或るヲタクを苦しめた鼠も実は悪魔の変化だったそうである。
 そのヲタクは平成八年の秋、十一人の宗徒と火炙りになった。
 ――その昭和か、平成か、とにかく遠い昔である。

 或る田舎町に、おぎんと云う童子が住んでいた。
 おぎんの父母は京の都から、はるばるその田舎町へ流浪して来た。
 しかし、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。
 勿論、彼等は、ヲタクの御教を知るはずはない。
 彼等の信じたのは基督教である。
 旧教か、新教か、希臘正教か、何にもせよ基督の教である。
 独逸のマンフレート・クレメントは、天性奸智に富んだ基督は以色列の各地を遊歴しながらヤハウェと称する神の道を説いた、と述べた。
 その後また日本の国へも、やはり同じ道を教えに来た。
 基督の説いた教によれば、我々人間の霊魂=アニマはヤハウェと称する神の判断次第で天界に行くか地の底に堕とされるかが決まるそうである。
 のみならず基督は羅馬に対する反逆を扇動したと云う。
 基督の教の荒誕なのは勿論、基督の大悪もまた明白である。と。

 しかしおぎんの母親は、前にもちょいと書いた通り、そのような話を知るはずはない。
 彼等は息を引きとった後も、基督の教を信じている。
 寂しい墓原の松の影に、末は「真のいんへるの」に堕ちるのも知らず、儚い天国を夢見ている。

 しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。
 これはその田舎町居つきの農夫、憐れみの深いじょあん孫七は、とうにこの童子の額へ、ばぷちずもの御水を注いだ上、聖なるヲタクの二つ名を与えていた。
 おぎんは、「深く御柔軟、深く御哀憐、勝れて甘しくまします童女さんた・まりあ様」が、自然と身籠った事を信じていない。
 十字架に懸かり死し給い、石の御棺に納められ給い、大地の底に埋められた基督が、三日の後甦った事を信じていない。
 ただただヲタクの神を奉じている。
 御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「ヲタクの御主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を元の霊魂=アニマに併て甦し給い、善人も悪人も他者の趣味を蔑ろにしない限りは快楽の世界に連れ行く」事を知っている。
 殊に「御言葉の御聖徳により、麺麭と酒の色形は変らずと雖もその正体は御主の御血肉となり変る」尊いさがらめんとを信じている。
 おぎんの心は両親のやうに、熱風に吹かれた沙漠ではない。
 素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。
 おぎんは両親を失った後、ヲタクであるじょあん孫七の養子になった。
 孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。
 おぎんはこの夫婦と一緒に、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。
 勿論そう云う暮しの中にも、町の人の目に立たない限りは本を読んだり漫画を読んだりゲームをしたりしてヲタクの活動を怠ったことはない。
 おぎんは井戸端の無花果の陰に、大きい三日月を仰ぎながら、しばしば熱心にゲームで遊びそして祷った。
 この童子の祷りは、こう云う簡単なものなのである。
 「憐みの御主。御身に御礼をなし奉る。流人となれる冤罪の子供。御身に叫びをなし奉る。哀れこの涙の谷に柔軟の御眼を巡らさせ給え。あんめい。」


 すると或る年のヲタクの聖なる夜。悪魔は何人かの役人と一緒に、突然孫七の家へ入って来た。
 孫七の家には沢山の本の山が積み重なっている。
 漫画本や映画やアニメのDVDが並んでいる。
 役人達は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。
 おぎんも同時に括り上げられた。
 しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。
 ヲタクの楽しみの為ならば、霊魂=アニマの助かりの為ならば、如何なる責苦も覚悟である。
 ヲタクの御主は必ず我等の為に、御加護を賜わるのに違いない。
 彼等は皆云い合せたように、こう確信していたのである。

 役人は彼等を縛いましめた後のち、代官の屋敷へ引き立てて行った。
 しかし、彼等はその途中も暗夜の風に吹かれながら各々好きな物語の話をはじめた。
 悪魔は彼等の捕われたのを見ると、手を拍って喜び笑った。
 しかし彼等の健気な様には、少からず腹を立てたらしい。
 悪魔は一人になった後、忌々しそうに唾をするが早いか、たちまち大きい石臼になった。
 そうしてごろごろ転がりながら闇の中に消え失せてしまった。
 じょあん孫七、じょあんなおすみ、おぎんの三人は、土の牢に投げこまれた上、ヲタクの御教を捨てるように、いろいろの責苦に遇わされた。
 しかし水責めや火責めに遇っても、彼等の決心は動かなかった。
 たとい皮肉は爛れるにしても、ヲタクの楽しみを捨て去ることはできない。
 趣味を他者によって批判されて無理矢理辞めさせられることなど許しはしない。

 のみならず尊いヲタクの天使や聖徒は、夢とも現ともつかない中に、しばしば彼等を慰めに来た。
 殊にそういう幸福は、一番おぎんに恵まれたらしい。
 おぎんは聖・手塚治虫が大きい両手の平に、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。
 また聖・水木しげるが美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。
 代官は、オタクの御教は勿論、釈迦の教も基督の教えも知らなかったから、なぜ彼等が剛情を張るのかさっぱり理解が出来なかった。
 時には三人が三人とも、気違いではないかと思う事もあった。
 しかし気違いでもない事が分かると、今度は大蛇か一角獣とか、とにかく人倫には縁のない動物のような気がし出した。
 そう云う動物を生かして置いては、今日の法律に違うばかりか、一国の安危にも関わる訣である。
 そこで代官は一月ばかり、土の牢に彼等を入れて置いた後、とうとう三人とも焼き殺す事にした。

 じょあん孫七を始め三人のオタク宗徒は、町はずれの刑場へ引かれる途中も、恐れる気色は見えなかった。
 刑場はちょうど墓原に隣った石ころの多い空き地である。
 彼等はそこへ到着すると、一々オタクである罪状を読み聞かされた後、太い角柱に括りつけられた。
 それから右にじょあんなおすみ、中央にじょあん孫七、左におぎんと云う順に、刑場のまん中へ押し立てられた。

 おすみは連日の責苦の為、急に年をとったように見える。
 孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。
 おぎんも――おぎんは二人に比くらべると、まだしも普段と変らなかった。
 が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。

 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。
 そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。

 一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、オタクの御教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もし御教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやると云った。
 しかし彼等は答えない。
 皆遠い空を見守ったまま、口元には微笑さえ湛えている。

 役人は勿論見物すら、この数分の間くらいひっそりとなったためしはない。
 無数の眼はじっと瞬きもせず、三人の顔に注がれている。
 が、これは傷しさの余り、誰も息を呑んだのではない。
 見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。
 役人はまた処刑の手間どるのに、すっかり退屈し切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。

 すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉えた。
 「私は御教を捨てる事に致しました」
 声の主はおぎんである。
 見物は一度に騒ぎ立った。
 が、一度どよめいた後、たちまちまた静かになってしまった。
 それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
 「おぎん! お前は悪魔に誑かされたのか? ただただ楽しんでいることを否定されただけで楽しむことを諦めたのか?」
 その言葉が終らない内に、おすみも遥かにおぎんの方へ一生懸命な声をかけた。
 「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ」
 しかしおぎんは返事をしない。
 ただ眼は大勢の見物の向うの天蓋のように枝を張った墓原の松を眺めている。
 その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦すように命じた。
 じょあん孫七はそれを見るなり、諦めたように眼を瞑った。
 「万事に適い給う御主。御計らいに任せ奉る」

 やっと縄を離れたおぎんは、茫然と暫く佇んでいた。
 しかし、孫七やおすみを見ると急にその前へ跪きながら、何も云わずに涙を流した。
 孫七はやはり眼を閉じている。
 おすみも顔を背けたまま、おぎんの方は見ようともしない。

 「御父様、御母様、如何か勘忍して下さいまし」
 おぎんはやっと口を開いた。
 「わたしは御教を捨てました。その訣はふと向うに見える天蓋のような松の梢に気のついた所為でございます。あの墓原の松の陰に眠っていらっしゃる御両親はオタクの御教も御存知なし。きっと今頃は真のいんへるのにお堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今私一人、快楽に耽る世界に入っては、どうしても申し訣がありません。私はやはり地獄の底へ御両親の跡を追って参りましょう。どうか御父様や御母様はオタクの神様の御側へお出なすって下さいまし。その代り御教を捨てた上は、私も生きては居られません。………」

 おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。
 すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へほろほろ涙を落し出した。
 これからオタクの天界へ入ろうとするのに、用もない歎きに耽っているのは勿論宗徒のすべき事ではない。
 じょあん孫七は、苦々しそうに隣の妻を振り返りながら、癇高い声に叱りつけた。
 「お前も悪魔に見入られたのか? オタクの御教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てるが好い。俺は一人でも焼け死んで見せるぞ」
 「いえ。私も御供を致します。けれどもそれは――それは」
 おすみは涙を呑みこんでから、半ば叫ぶように言葉を投げた。
 「けれどもそれはオタクの天界に参りたいからではございません。ただ貴方の、――貴方の御供を致すのでございます。」

 孫七は長い間、黙っていた。
 しかしその顔は蒼醒めたり、また血の色を漲らせたりした。
 と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔に溜まり出した。
 孫七は今、心の眼に彼の霊魂=アニマを見ているのである。
 彼の霊魂=アニマを奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。

 もしその時足元のおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。
 しかも涙に溢れた眼には不思議な光を宿しながらぢっと彼を見守っている。
 この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。
 あらゆる人間の心である。
 「御父様! 真のいんへるのへ参りましょう。御母様も渡しも、あちらの御父様や御母様も、――みんな悪魔に攫われましょう」
 孫七はとうとう堕落した。



 この話は我国に多かったオタク達の受難の中でも、最も恥べき躓きとして後代に伝えられた物語である。

 何でも彼等が三人ながら御教を捨てるとなった時には、オタクの何たるかを弁えない見物の老若男女さえも尽く彼等を憎んだと云う。
 これは折角の火炙りも何も見損なった遺恨だったかも知れない。
 さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中、刑場に飛んでいたと云う。
 これもそう無性に喜ぶほど悪魔の成功だったかどうか、狐は甚だ懐疑的である。





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間違った意見を持つのは個人の権利の範囲内だが、間違った事実を人に伝えてはいけない。

2019年01月26日 13時52分09秒 | その他の日記




 大韓民国ソウル特別市西大門区峴底洞101番地の西大門独立公園内にある独立門は、日清戦争で日本が清に勝利し下関条約によって清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせて李氏朝鮮が清から独立したことを記念して建てられました。
 李氏朝鮮は下関条約によって清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになったのです。
 清の属国であった李氏朝鮮王朝には軍事力と呼べるものはほとんど存在せず、それ以後も軍事力と呼べる集団を持つことが出来ませんでした。
 清の属国であった時代は、軍事力が必要な時は清の駐留軍にお願いをして軍事行動を清の駐留軍に行ってもらっていました。

 軍事力が無い故に李氏朝鮮は独立後もロシアや清や日本などの国々でその時その時で有利な国と接近し状況が変われば裏切るという行為を繰り返さざるをえませんでした。
 李氏朝鮮は自国の大規模な反乱を抑える為の軍事力を持っていなかったのです。
 その軍事力を他国に要請せざるを得ない李氏朝鮮は、独立して独立国家となったものの、独立国家としての力を持っていなかったのです。
 それ故に、周辺国家に頼らざるを得ませんでした。
 軍事力を他国に頼れば見返りを要求される。
 その見返りを嫌がり別の国を頼る。これは他国から見れば裏切り行為です。


 李氏朝鮮王朝(後の大韓帝国)は軍事力と呼べる軍隊を持っていなかったが故に、朝鮮半島の権益を争うロシアや清や日本と戦争を起こすことすらできませんでした。
 日本は李氏朝鮮(後の大韓帝国)と戦争をしたことはありません。日本は李氏朝鮮と戦争をする必要すらなかったのです。
 そして朝鮮併合は形の上では李氏朝鮮側からの要請で進められました。





 このような事実は常識であると思っていたのですが、日本の有名なTV司会者(時事問題を扱う番組も司会をしている)が「朝鮮半島と日本が戦争したという事は事実だからね」と述べたことは驚きです。
 大韓民国の成立は日本が連合国側に敗戦したことで日本が朝鮮半島を放棄したことによる産物でしかありません。
 19世紀から20世紀で朝鮮半島側と日本は戦争をしたことはないのです。
 大韓民国の竹島侵略を戦争と呼ぶのならば話は別ですが。しかし大韓民国の竹島侵略では日本側は軍事力を行使していません。
 或いは朝鮮戦争で日本は大韓民国を支援したことを戦争と解釈するのならば話は別ですが。

 
 論は事実を踏まえなければ歪みます。
 我が国は、日本を代表するTV司会者でさえ事実を知っているレベルではない状態なのです。ちょっと調べればすぐ分かることなのに。
 事実が歪められ歴史が蔑ろにされて歴史が無視されている状態なのです。
 解釈や認識の問題でなく、その土台となる事実が歪められている状態なのです。

 これは由々しき問題だと思いますよ。


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『火の鳥 宇宙編 生命編』/手塚治虫

2019年01月26日 11時26分33秒 | 漫画・ゲームに関する日記





 昨日の夜は、手塚治虫の漫画『火の鳥 宇宙編 生命編』を読み返していました。

 宇宙編。
 西暦2577年。ペデルギウス第3惑星から地球に向かう宇宙船の中で宇宙飛行士の死体が見つかる。
 宇宙船の乗組員は5人で交代で人口冬眠を行いながら地球を目指していた。
 死んだ宇宙飛行士の名前は牧村五郎。彼の死は自殺と思われた。
 宇宙船は小惑星と衝突していて大破している。
 残る4名は一人乗りの救命艇で脱出することになった。
 救命艇にはそれぞれ無線通信機が付いており、彼らは宇宙に漂いながら会話を始める。
 その内容は自殺したと思われる牧村五郎に関するものだった。

 しばらくして4名の乗組員達は、彼らの乗る救命艇と同じ救命艇が後を追うように近づいてくることに気が付く。
 その救命艇には誰が乗っているのか……。

 生命編。
 西暦2155年。テレビプロデューサー青居はクローン人間を使った殺人ショーの番組をスポンサーに提案する。
 クローンを使えば法律の抜け穴をついて合法的な殺人が行え、それを番組にすれば視聴率が取れるとスポンサーを説得する。
 そして青居はスポンサーから了承を取り、クローン技術の工場があるペルーに向かう。
 そこで手違いから彼のクローンが大量生産されてしまう。
 しかも彼自身がクローンと勘違いされてしまい、青居はクローンの青居達と共に日本に連れ戻されて殺人ショーの番組に出演させられることになり、狩りの標的として狙われることになった……。
 青居のクローン達は次々と殺されるなか、青居は逃げまどう……。

 火の鳥を物語の中心にした一連の編より成り立つ手塚治虫の代表作の中の2編です。


 火の鳥のシリーズの中でどの編が一番好きかと問われると、私は宇宙編や生命編ではないのですが、昨夜は手元に『火の鳥 宇宙編 生命編』があったので読み返しておりました。



 宇宙編は、子供の頃にもし読んだならばトラウマになりそうな怖い怖いお話です。
 ホラーではないのですが怖いです。
 永遠を生きることが死なないことが罰となる……。う~む……。
 コマ割りがとても変わっていて斬新でありますね。

 生命編は、傲慢さが招く皮肉を描いてます。
 こちらもホラーではないのですが、怖いお話であります。


 面白いですよ。
 お勧めなのであります。




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