舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

映画「デッド・ドント・ダイ」観てきました。

2020-06-25 22:37:44 | Weblog


6/25(木)、ユナイテッド・シネマ新潟で「デッド・ドント・ダイ」を観てきました。
新潟市内ではユナイテッド・シネマでの上映だったようです。





予告編はこんな感じです。



アメリカの平和な田舎町を舞台に様々な異変が起こり、ある日、墓場からゾンビが蘇り町に溢れ出しパニックに。
ここだけ聞くと典型的なゾンビ映画、なのですが、この映画、普通のゾンビ映画では全然ないのです。

まず前半、二人の警察官が田舎町をパトロールしていると、森の中で怪しい男が農場から鶏を盗んだと通報があり、駆け付けるのですが、逆に猟銃で射撃されてしまいます。
これで大事件に発展するかと思いきや、二人は特に驚くこともなく「いつものことだ」などと言いながら、何もせずに帰っていってしまいます。

その後も、森から動物がいなくなるなど、田舎町で様々な異変が発生します。
中でも、地球の自転軸が歪んだために日照時間が狂い、ずっと白夜が続いているという、「ミッドサマー」もびっくりの謎の設定が急に登場したりします。

個人的に、映画の冒頭でこういう非日常感が次々と発生するという始まり方は、個人的にわくわくして好きです。
しかし気になるのは、どんな異変が起こっても、最初に登場した警官人2人に、警察署で合流した署長も合わせた3人は、常に驚くこともなく淡々と話し続けているのです。

その後、長い白夜が終わったのか、町にもついに夜が訪れる。
すると、なんと墓場から脈絡もなく次々とゾンビが!

最初に登場した2体のゾンビは町のダイナーに現れ、そこの客達が襲われれるという、ゾンビ映画の始まりとしてはまあ、ベタな展開。
しかし普通ゾンビ映画って、ゾンビが最初に現れたり、最初に人を襲う展開って、ショッキングに盛り上げるところだと思うのですが、この映画ではゾンビが現れても相変わらず淡々と進んでいくのです。

また、最近のゾンビ映画にありがちな、ゾンビが生前の習慣のまま動くという設定がこの映画にも登場しているのですが、この映画ではそれも淡々と起こるので、コントにしか見えなかったりするわけです。
しかも、そこに駆け付けた警察官達も、死体を目の前にしても驚いたりすることないどころか、肝心のゾンビを目の前にしても「これはゾンビだな」などと淡々と話すのです。

だから、普通のゾンビ映画ってゾンビが登場すればするほどテンションが上がっていくものですが、この映画ではゾンビが登場すればするほど熱が冷めていくという、完全に普通のゾンビ映画と逆なんですよね。
そのあと、墓場や死体安置所から次々とゾンビが蘇ったり、謎の日本刀を操る女性が登場して「キルビル」のようにゾンビを次々と倒していったりしても、まったく盛り上がらないというか、何が起こってもまったく驚かない映画なんですよね。

挙句の果てに、ネタバレになるから書かないけれどゾンビ映画でそんな展開アリかよ!?みたいなバカみたいな超展開が発生した時は、「もう本当に何がやりたいのこの映画!?」って感じなんですよ。
さらにアダムドライバー演じる警察官に至っては、これが全部映画の中だと知っていて、台本で読んだから驚かないというメタな台詞まで登場して、もう何でもアリで、何が起こってもまったく怖くないし驚かない、何だこのゾンビ映画…って感じの映画でした。

個人的にジム・ジャームッシュ監督は、ある男の毎日を淡々と描いた「パターソン」なんかは、そのオフビート感が日常の愛おしさを表現しているようで、すごく面白かったんですよ。
でも、そのオフビートな演出をゾンビ映画でやるとこんな変な感じになるのかという…本当に監督は何を思ってこの映画を撮ったのか最後まで謎が残る不思議な映画でした…
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