突然なんですが、自分はサブカル人間だと自覚して生きてきたので、日本のサブカルのことが知りたくなって、昨年「ポスト・サブカル焼け跡派」という本を買って読んでみました。
感想は去年ブログに書きました。
「TVOD「ポスト・サブカル焼け跡派」、読みました。」
この本は、日本のサブカルの歴史が分かってすごく面白かったんですけど、中でも興味深かったのが、サブカル男子の歴史を読み解いていたことでした。
1980年代のビートたけし、1990年代の電気グルーヴ、2000年代の峯田和伸、2010年代の星野源と、それぞれの時代のサブカル男子の憧れの存在みたいな人物の変遷や系譜をそれぞれを掘り下げながら読み解いていくわけです。(峯田さんに関してはメインテーマではないけどたくさん出てきたので)
で、その本を読んで僕は思ったわけです…
俺、サブカル男子の系譜をまったく通ってきてない!!
いや、例えば電気グルーヴとかはあとから振り返って好きになってはいるのですが、リアルタイムでハマる、影響を受けてきた、みたいなことがまったくなかったことに気付いたのです。
本の中で取り上げられてきた人では、例えば2000年代の椎名林檎さんなんかはリアルタイムで聞いたりはしていたし、それなりにハマってはいましたけど、だからと言って、それが自分の青春!みたいなことがなかったんですよね。
そして、じゃあ自分にとってそういうものって何かあるかな…と考えたところで特に見当たらないわけです。
何故なら基本的に流行を追う、ということを今までの人生の中でほとんどしてこなかったからです。
振り返ってみると、10代の頃からクラスの仲良しグループとかが嫌いだったし、それぞれのグループの中で流行があってその中にいるみんなで流行を追うようなあの感じとかが苦手だったんですよ。
だから、例えば僕はゲームとかにまったく興味がなかったから何一つやってなくて、ド直球世代であるにもかかわらずドラクエとかFFとかポケモンとかやってないんですよね。
子供にとってゲームって共通言語みたいなものだから、それをやってないと仲間外れにされてつらくないのか?と思われるかも知れませんが、不思議とそういうのは気にしませんでした。
大人になった時、子持ちの友達が子供にゲームを買うかどうか悩んでいた時に、「俺持ってなかったけど平気だったよ」って言ったら、別な友達が「ゲーム買わないとちひろみたいになるぞ」ってふざけて言っていたんですけど、あの時、友達ができないからってだけの理由で好きでもないゲームをやりたかったかと言われたら別にしなくても良かったと今でも思うし、その程度のことで離れていく友達ならそれは仕方ないのかなと思うんですよ。
そう言えば、僕は高校生まで携帯電話を持っていなかった、おそらくクラスで唯一の人間でした。
そのことも別に不便と思っていなかったし、携帯電話を使ってまで頻繁に連絡を取りたいと思う友人もいなかったし、まあ持っていたら持っていたで可能性が広がったのかなと思わなくはないですが、基本がこんな人間なのでどうでもいい連絡がくる面倒くささの方が勝っていただろうなと思うんです。
それで、大学生になった時に(さすがにこのタイミングで携帯電話は持った)そんな過去を捨てて生まれ変わろうと思った時に、「そうだ、オタクになろう!オタクという好きなものを追い続ける人間になれば人生楽しくなるぞ!」と思ったんですけど、結局オタクの世界でもみんなその中で流行を追っていて、一緒じゃん!オタクが嫌いなリア充の世界と一緒じゃん!と思いました。(当時はまだリア充って言葉はなかったけど)
それに、そもそも僕が大学生の頃って、電車男!メイド喫茶!YouTube!ニコニコ動画!涼宮ハルヒ!初音ミク!みたいな感じで、オタクそのものが一つの大きな流行でしたからね。
そのあと、僕は演劇を始めるんですが、僕の中では演劇って世のしがらみから解き放たれて自由に生きる人達みたいなイメージで、実際松本で所属していたBLUESの人達はそういう感じがあったんですけど、そのあと新潟の演劇に関わる中で、結局演劇の世界にも色んなグループやらしがらみがあったし、何かと集団行動を好む人が多くて、ああ、あの時のオタクの集団に似ている!と思ってしまったわけです。
だから、演劇を辞めて5年くらいになりますが、結局、僕はそういう劇団ないしグループに帰属してその中の一人として生きるのが物凄く苦手で居心地が悪いから、単独行動を好むからこそ新潟演劇のああいうノリが無理で離れたんだろうな…と今では分かります。
つまり、流行を追うのと同じくらい、グループに帰属する、常に集団で動くみたいなのが物凄く苦手なのです。(就職できないのも、案外ここらへんに原因がある可能性もある)
思えば高校時代も野球部の集団がなんか物凄く気に食わなかったし、かと言って自分の所属していた部活のみんなと動くのも楽しくなかったけど、それ以外に居場所もなかった、みたいな高校生だったので、まあ、楽しくなかったですね。
あと、演劇をやっていた時代に気に食わない劇団とかがあったりしたのも、多分彼らが何かとグループ感、俺達仲間だぜ!感を押し出してるところが気に食わなかっただけだと思うし、僕が内輪ノリが嫌いなのも、きっとそういうことなのです。
そう考えると、逆に松本のBLUESのみんなとずっと仲がいいのはまさに奇跡の出会いだなと思うわけですが、BLUESのみんなとはなんというか、一緒にいても常に個人と個人同士の付き合いでいられるというか、お互いにそのままの自分でいていい、みたいな気楽さがありました。
なんというか、人間関係が常に一対一みたいなところがあるんです。
僕は自分を人見知りはするけどそこまで人当りが悪くないしそれなりに社交的な方かなとは自分で思っていて、だから友達はいないわけじゃないけど、集団で遊びに行く、みたいなことが物凄く苦手で、二人なら会話もできるけど集団になると会話に困る、みたいなことがよく起こります。
それで今は新潟のアイドルが好きなので便宜上アイドルオタクを自称したりもするけど、多分今も別にオタクじゃないんですよ。
ただ一方的に好きなアイドルがいるというだけで「自分は~~のオタク」みたいなこだわりが全然ないんです。
現場に行って仲いい人はできるけど、~~界隈とか苦手だし、オタクのみんなと遊びに行くとかみんなで遠征するとかも全然ない。
あと、例えばグッズを買わなきゃ!とか思わないし、CDなんて一枚買えばいいだろって思うし、昔は手紙を書いたりもしていたけど今はもう好きな気持ちを届けよう!とかも特に思わないし、なんていうか、一人でただ好きなものが好きで生きているだけの人間です。(この感じは、僕の恋愛の仕方にも似てるかも知れないですが、話がそれるのでやめます)
最近、そのことを人に話したんですけど、「ちひろさんはそうだよね。こだわりがなくて自然体だから、オタクって感じじゃないよね」って言われました。
基本的に流行とか周りの目は気にせずに好きなものが好きなだけの人間なので、多分単純に僕が好きになるものが、世間でサブカルとかオタクとか言われがちなものが多いってだけで、僕がオタクとかサブカルってことじゃないのかも知れないなと、最近は思うようになりました。
例えば、数年前に自分はサブカルに生きるぞ!と思い、サブカルの人が好きそうなラジオ(TBSラジオの芸人さんのラジオとか、オールナイトニッポンとか)を試しに聞いてみたことがあったんですけど、普通に全然自分の趣味じゃなくて聞くのをやめたわけです。
話はそれますけど、僕は学生時代から10年以上ラジオをよく聞いていますが、もっぱら聞くのはNHK FMのミュージックライン(なんならミュージックスクエア時代から聞いてます)とかだったりするわけです。
あと、「草野マサムネのロック大陸漫遊記」は聞いてますけど、これは単純に僕がスピッツが好きなのと、色んな音楽が聞けて楽しいからっていう、ただそれだけの理由です。
そういえば、スピッツは10代の頃からずっと好きですけど、別にスピッツのオタクになるとかでもなく、ただ何となくずっと好きです。
宮沢賢治とか水木しげるとか椎名誠とか京極夏彦とか江國香織とか安野光雅とかいわさきちひろとか、音楽だとcapsuleとかPerfumeとかとかNegiccoとかRYUTistとか、好きなものは昔からたくさんありますけど、ただ好きなだけで別にオタクってわけではないんです。
ちなみに、オタクやサブカルの聖地であるヴィレッジ・ヴァンガードを舞台にした「ヴィレヴァン!」ってドラマを見たら、森川葵さん(好きな女優さん)が宮沢賢治が好きな文学少女という設定で、ああ、宮沢賢治が好きなサブカルもアリなのか、だったら俺も自分の好きなものを好きで生きてればいいやって思いました。
あと、話は最初に戻りますが、「ポスト・サブカル焼け跡派」の中で、サブカル男子の負の側面みたいな部分にも言及していて、童貞をこじらせすぎて女性を理想化しすぎたり、逆に女性蔑視(ミソジニー)に走りがち、みたいなことが書いてあったんですけど、そういう感じも僕はなかったと思うんですよね。
別にモテなかったし、童貞だった時期もそれなりに長かったけど、別に早く童貞を捨てたいとか思わなかったし、女友達もそれなりにいたし、なんていうか、仲良くなる相手を男とか女とかあんまり気にしないところがありました。(いや、正直に言うとセックスしたい相手はいたけどそれは普通に恋ってやつでした)
あと、いわゆる男子の悪ノリというか、男子だけで集まって何人とヤったとかあの女はヤれるとか、そういう話をするノリが実は結構苦手な自分に最近気付いたりしました。
いや、正直に言うと、僕も過去に「あー、ヤりてえー!」みたいな気持ちになっていた時期もありますが、そういう時は大抵が躁状態なのもあって、絶対エロが原因で失敗してあとで後悔と罪悪感に苦しむし、そうじゃなくてもそういう自分をあとで振り返った時に自己嫌悪に陥りがちです。
だからと言って女子と話が合うわけでもなく、要するに性別関係なく集団になると苦手だし、合う相手とは合うし、合わない相手とは合わない、みたいな感じです。
あと、一番仲良くなりやすいタイプは、「女子の集団に馴染めない女子」だったりするのですが、だからと言って恋愛とかに発展するわけでもなく、ただただ普通に仲良くなっていく感じです。
というか、今僕がやっているトークイベント「月刊おはなし図鑑」の相方のよしこがまさにこれなのですが、よしこからはよく「ちひろからは性別を感じない」と言われます。
あと、よしことも変な慣れ合いとかじゃなくて、BLUESと一緒で常に個人と個人の付き合いで自由にいられるから付き合いやすかったりします。
そんな感じで、サブカルの話から膨らんで最終的に自分の人生を振り返ってみるという壮大な文章を書いてしまいましたが、こうしてまとめてみると34年間の人生の30年くらいはずっと迷走していたものの、それでも最近は少しずつ自分の生きやすい生き方が見つけられたのかも知れないなという感じがします。
あと、多分僕みたいな集団行動よりも単独行動を好むタイプってやっぱりクラスとみたいな集団の中で浮くことが多くて、それで10代の時はいじめられたりもしましたけど、大人になったら自由に生きられるので本当に大人になれて良かったなあって思います。
そういうことを、最近人に話してみたのですが、「一人でも生きられる人間は、徒党を組まないと生きられない人間から目を付けられるものだ」みたいに言われて、なるほど、そういうもんかと思いました。
多分、よしこも似たようなタイプだと思うのでそういう意味でも気が合うんだろうなと思いますが、そんな感じで頑張っていこうと思います!これからもよろしくお願いします!(話が長くなりすぎたから強引にまとめた)
ちなみに、僕の中で大森靖子さんとの子さんみたいな関係が理想だと思っているので、「非国民的ヒーロー」のMVを載せておきます。
まあ、そんな感じで色々な心境の変化がありましたが、今週も日曜日のカレーが美味しかったので良しとします。