4/11(火)
この日はバイトが休みだったので、何か映画でも見に行こうかとか、それとも前に見た映画の感想でもブログに書こうかとか、そんなことを考えながら、何となくダラダラとパソコンに向かっていました。
その日の夜、Twitterをタイムラインを眺めていたら、よく絡むなーって人もいれば、あまり絡まないけど何となく好きでツイートを楽しみにしてる人もいれば、今となってはどうして自分がその人のことをフォローしたか分からない人もいるなあと、しばらく自分がフォローしている人達について考えていました。
そのうち、そう言えば最近めっきりツイートを見かけない相互フォローの女の子がいることを思い出し、気になって彼女のアカウントを調べてみると、12月に自殺をほのめかすツイートをしたままツイートが途切れていたのです。
あまりに驚いて、思わずDMを送ってしまったのですが、まったく反応がなく、嫌な予感がしました。
彼女はもともと5年ほど前、僕がニコニコ生放送をやっていた時によく見に来てくれていた子で、当時は中学生でした。
その繋がりでTwitterで相互フォローになりました。
こうして、僕はその女の子とインターネットでの付き合いが始まったのですが、彼女はいつも死にたいとか誰もかまってくれないとかネガティブなツイートばかりしていたし、オーバードーズする薬の画像やリスカした腕の画像をよく投稿していました。
また、Twitterで相互フォローになってからというもの、よくDMで悩みを相談されることも多く、と言っても僕は大したことは答えられずに話を聞いているだけのことが多いのですが、一度も会ったことがないのに、最初に知り合った時は中学生だった彼女が、高校に進学し、その高校を中退し、定時制の高校に進学したりと奮闘してきたこの5年間を、気付けば一緒に生きて来たような不思議な実感があります。
5年間という時間の中で、中学生だった彼女は今では19歳になっているはずです。
そんなまだ若い彼女が、突然自殺を図り(本当かは分からないけど)、Twitterという今では僕が彼女を知る唯一の場所から消えてしまったことが、とてもショックで、正直怖かったです。
そして、そのことに、彼女のツイートが途絶えてから4か月も経ってやっと気付いた自分が、何だか申し訳ないような気持ちになってしまったのです。
本当はそんなことに申し訳なさを感じなくていいんだと思いますが、どうしても、もっと早く気付いていれば…と考えずにはいられず、気持ちが不安になって何人かの友人に深夜に相談したりしていました。
その翌日、4/12(水)
やっぱりどうしても、Twitterで消えた彼女の安否が心配で仕方なくなってしまった僕は、何とかして彼女の生存を確認できないかと色々試みた結果、最終的にネットストーカーのようになっていました。
具体的にどうやって調べたのかは、長くなるので省略しますが、結果から言うと、彼女のもう一つのTwtterアカウントを発見したのです。
そのアカウントによると、かなりめちゃくちゃな生活をしているみたいでしたが、ちゃんと生きていました。良かったーーーー!!生きてたーーーー!!
「首吊ってくる」ってツイートを最後にツイートが途絶えていた子が、同じ日に別のアカウントで「死ねなかった」ってツイートしてんだもんなー…本当やめてよー!心配したじゃんよー!
僕は新しく発見したアカウントはフォローせずに、ツイートが途絶えていた前のアカウントのフォローも外さずに、しばらく様子を見ることにしました。(何故なら明らかにネットストーキングしていることがバレたら気持ち悪がられそうだから)
何はともあれ、一度も会ったことのない人だとは言え、ちゃんと生きているというだけでこんなにも安心するものなのかと思い知らされた体験でした。
安心したので、モスでくつろぐ僕の自撮りでも上げておきます。
そう言えば、最初に彼女が自殺をしたんじゃないかと思った時に、相談した一人にもんちゃんがいるのですが、もんちゃんが意外な話をしてきたのです。
と言うのも、もんちゃんの直接の知り合いではないんですが、職場の同僚の知り合いに最近ある日突然連絡が途絶えた人がいて、どうしたのかと思って連絡してみたら、家族が出て亡くなっていた、ということがあったそうなのです。
その後、亡くなった人のTwitterアカウントに、その人の家族が代わりに「〇〇は亡くなりました」というツイートをして、みんなに知らせるという事態になったそうです。
そういう話をしながら、人間、死んだら家族や職場の人や親しい友人にその事実は伝わるけれど、インターネット上での付き合いがかなり重要になってきている現代では、そういう知り合いに安否を伝えることも大切なんだなあということをお互い考えていました。
最終的にもんちゃんと、お互いの遺書とTwitterやFacebook、ブログのアカウントをお互いが生きているうちに交換しておいて、もしどちらかが死んだら生きている方がそれを書き込もう、という話になりました。
まあ、そんなことせずとも死なないのが一番なんですけど、でも人間いつか必ず死ぬしそれがいつになるかは分からないので、人間が死ぬということから目を背けずに生きていくことが大事なのかなあと、そんなことを思いました。
この日はバイトが休みだったので、何か映画でも見に行こうかとか、それとも前に見た映画の感想でもブログに書こうかとか、そんなことを考えながら、何となくダラダラとパソコンに向かっていました。
その日の夜、Twitterをタイムラインを眺めていたら、よく絡むなーって人もいれば、あまり絡まないけど何となく好きでツイートを楽しみにしてる人もいれば、今となってはどうして自分がその人のことをフォローしたか分からない人もいるなあと、しばらく自分がフォローしている人達について考えていました。
そのうち、そう言えば最近めっきりツイートを見かけない相互フォローの女の子がいることを思い出し、気になって彼女のアカウントを調べてみると、12月に自殺をほのめかすツイートをしたままツイートが途切れていたのです。
あまりに驚いて、思わずDMを送ってしまったのですが、まったく反応がなく、嫌な予感がしました。
彼女はもともと5年ほど前、僕がニコニコ生放送をやっていた時によく見に来てくれていた子で、当時は中学生でした。
その繋がりでTwitterで相互フォローになりました。
こうして、僕はその女の子とインターネットでの付き合いが始まったのですが、彼女はいつも死にたいとか誰もかまってくれないとかネガティブなツイートばかりしていたし、オーバードーズする薬の画像やリスカした腕の画像をよく投稿していました。
また、Twitterで相互フォローになってからというもの、よくDMで悩みを相談されることも多く、と言っても僕は大したことは答えられずに話を聞いているだけのことが多いのですが、一度も会ったことがないのに、最初に知り合った時は中学生だった彼女が、高校に進学し、その高校を中退し、定時制の高校に進学したりと奮闘してきたこの5年間を、気付けば一緒に生きて来たような不思議な実感があります。
5年間という時間の中で、中学生だった彼女は今では19歳になっているはずです。
そんなまだ若い彼女が、突然自殺を図り(本当かは分からないけど)、Twitterという今では僕が彼女を知る唯一の場所から消えてしまったことが、とてもショックで、正直怖かったです。
そして、そのことに、彼女のツイートが途絶えてから4か月も経ってやっと気付いた自分が、何だか申し訳ないような気持ちになってしまったのです。
本当はそんなことに申し訳なさを感じなくていいんだと思いますが、どうしても、もっと早く気付いていれば…と考えずにはいられず、気持ちが不安になって何人かの友人に深夜に相談したりしていました。
その翌日、4/12(水)
やっぱりどうしても、Twitterで消えた彼女の安否が心配で仕方なくなってしまった僕は、何とかして彼女の生存を確認できないかと色々試みた結果、最終的にネットストーカーのようになっていました。
具体的にどうやって調べたのかは、長くなるので省略しますが、結果から言うと、彼女のもう一つのTwtterアカウントを発見したのです。
そのアカウントによると、かなりめちゃくちゃな生活をしているみたいでしたが、ちゃんと生きていました。良かったーーーー!!生きてたーーーー!!
「首吊ってくる」ってツイートを最後にツイートが途絶えていた子が、同じ日に別のアカウントで「死ねなかった」ってツイートしてんだもんなー…本当やめてよー!心配したじゃんよー!
僕は新しく発見したアカウントはフォローせずに、ツイートが途絶えていた前のアカウントのフォローも外さずに、しばらく様子を見ることにしました。(何故なら明らかにネットストーキングしていることがバレたら気持ち悪がられそうだから)
何はともあれ、一度も会ったことのない人だとは言え、ちゃんと生きているというだけでこんなにも安心するものなのかと思い知らされた体験でした。
安心したので、モスでくつろぐ僕の自撮りでも上げておきます。
そう言えば、最初に彼女が自殺をしたんじゃないかと思った時に、相談した一人にもんちゃんがいるのですが、もんちゃんが意外な話をしてきたのです。
と言うのも、もんちゃんの直接の知り合いではないんですが、職場の同僚の知り合いに最近ある日突然連絡が途絶えた人がいて、どうしたのかと思って連絡してみたら、家族が出て亡くなっていた、ということがあったそうなのです。
その後、亡くなった人のTwitterアカウントに、その人の家族が代わりに「〇〇は亡くなりました」というツイートをして、みんなに知らせるという事態になったそうです。
そういう話をしながら、人間、死んだら家族や職場の人や親しい友人にその事実は伝わるけれど、インターネット上での付き合いがかなり重要になってきている現代では、そういう知り合いに安否を伝えることも大切なんだなあということをお互い考えていました。
最終的にもんちゃんと、お互いの遺書とTwitterやFacebook、ブログのアカウントをお互いが生きているうちに交換しておいて、もしどちらかが死んだら生きている方がそれを書き込もう、という話になりました。
まあ、そんなことせずとも死なないのが一番なんですけど、でも人間いつか必ず死ぬしそれがいつになるかは分からないので、人間が死ぬということから目を背けずに生きていくことが大事なのかなあと、そんなことを思いました。