糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

がんばるぞー

2012-06-25 | 日記

 高崎市は群馬郡の群馬町、箕郷町、榛名町、倉渕村と合併し、現在は旧群馬郡も高崎市になりました。

 がしかし、小選挙区の区割りは合併前と同じですから、高崎市でも5区ということになります。

 今日はこのうち、箕郷町を中心に、街頭から日本共産党の政策を訴えてまわりました。

 

 以前から「演説が苦手」だと書いてきています。得意になってはいませんが、最近では少し上達はしたように自負しています。

 360度パノラマ(要するに田畑が広がる情景)での街頭宣伝は、音は遠くまで届きますが、こういうときにはグダグダな話になることが多く、通行人や行き交う車が多い場所では、なぜか我ながら比較的きちんと話ができるようだ、ということに気がつきました。やはり語りかける相手が視界にいるかどうかで違うようです。

 朝から昼食をはさんで午後3:30ごろまで、12回もマイクを握りました。これだけまとまった回数を一日でやったのは初めてではないかと思います。

 中山間部で、通る車もさほど多くない通りでの演説でしたが、その割には通り過ぎる車の中から手を振ってくださる方が多い気がしました。

 

 消費税増税法案の行方は?そして国会、総選挙の行方は?

 いずれにしても、民意にそむいてこそこそと姑息な手段で財界の言い分を通そうとする民、自、公のやりかたには腹が立ちます。

 

 夕方からは、安中市の原市という地域で、地域のみなさんと懇談をしました。

 この地域では、山口さとる氏が先のいっせい地方選で惜敗した地元です。今日の集まりも、山口さんのお宅をお借りしました。

 

 みなさん、今度は雰囲気(情勢)が違うと感じていらっしゃるようで、「今度は共産党に」という力強い激励をいただきました。私もみなさんを励まして、みなさんと一緒にたたかいぬくことを誓いました。

 


原発ゼロをめざして

2012-06-24 | 日記

 午前中は安中市松井田町の金井久男市議宅におじゃまし、支部のみなさんと懇談しました。旧松井田町は過疎・高齢化が進んでいます。安中市との合併によって、いよいよ手が入らなくなってきているという話です。

 「耕作放棄地は増え、空き家も増えている。以前、集団就職などで都市部に農家の労働力が移った。この現象は今も影を落としている。農家を減らした政治の責任は重い」と、異口同音に語られました。

 放射能問題はここでも深刻です。原木しいたけ栽培の補償についても、現実的に大変な手間がかかり、あきらめざるを得ない状況が多いとか。

 

 午後は渋川へ。「原発をなくす渋川・北群馬の会」結成総会に参加しました。

 突然あいさつの時間をいただき、日本共産党が思想や立場を超えて、「原発ゼロ」の一点で広く共同を広げたいとあいさつをさせていただきました。

 講演は「原発を考える藤岡の会」代表のお一人である吉崎照二見さん。「会」のとりくみの経験などを豊かに語ってくださいました。

 いま、「原発ゼロ」をめざす一点でのさまざまな人々の共同が広がっている、まさにその典型例を見るような思いでした。

 夕方、4区のはぎわら氏とともにイオン高崎の前で街頭演説を行いました。道行く車のなかから多くの人が手を振ってくださいました。はぎわらさんの元教え子の方が多かったのではないでしょうか。窓を開けて手を振ってくださる方も。二人して元気になって帰路に。

 

 同時に、いい加減な話ができないプレッシャーも...。

 


怒りの国民大集会

2012-06-23 | 日記

 今日は明治公園にて、「怒りの国民大集会」でした。群馬県からも民主商工会や県労働組合会議をはじめ、各種団体から300人余りが参加しました。

 小選挙区の予定候補は私も含め、全員が参加。会場までバスに揺られました。

全国各地から、各種団体ののぼり旗やむしろ旗を掲げて大勢の人が公園に流れ込みます。

 各団体からのメッセージも。志位和夫委員長のあいさつは力強く、熱気にあふれたものでした。国民の過半数が反対している消費税増税、原発再稼働、TPP参加をなんとしても阻止して、社会保障の充実や国民のいのちと暮らしを守る政治への転換を果たしたい。その思いを新たにしました。

 

 集会のあと、パレードに突入。群馬県はほぼ最終の出発となりました。

 4区国政対策責任者のはぎわら貞夫氏(糸井の右隣)といっしょに。はぎわら氏が手にしている歌舞伎役者の顔のような絵は、「怒」の字をデザインしたもので、はぎわら氏自身の手によるもの。たくさん印刷して群馬代表団に配られました。

 

 バスを降りてからはずっと立ちっぱなし、歩きっぱなしで、あとからよく考えたらお昼ご飯を食べそびれていました。

 くたくたになりましたが(体重が重いので...///)、充実した日となりました。

 

 帰ってから、娘たちに「顔が赤いよ」と指摘されましたが、日焼けのせいです。あくまでも。

 

 ちなみにこの日、会場発表で24000人が公園に集結しました。明日、報道されるでしょうか...。

 


大手メディアとしんぶん赤旗

2012-06-22 | 雑想

 我が家に来客があって、ふとしたことから新聞の話になりました。

 そのお客さんは、日本共産党の支持者でもなんでもありません。その方に、今の大手メディアの新聞の主たる利益がどこで発生しているかをお話ししたところ、ずいぶん興味をそそられたようでした。

 一般的な新聞は広告料によって主たる利益を得ています。新聞販売店はノルマがあるかどうかは分かりませんが、採算に見合うだけの部数獲得によって、新聞社からお金をもらう。一方で折り込み広告料によって利益を上げます。部数拡張を必要とするのは、部数が多ければ広告がそれだけ多くの人の目につく。つまり広告をとりやすい。そういう図式があるためだと話しました。

 一方、中身は各社変わらないので、報道内容をウリにできない。だから洗剤だったりビール券だったり、ときに現金(!)だったりと悪質な部数獲得競争になりがちなのだと私は思います。販売店の苦労も相当なものではないでしょうか。

 

 さて、しんぶん赤旗には大手メディアのような一面広告などないことを話すと興味津々に。早速「赤旗」の日刊紙、日曜版の両方をお見せしました。

 「ほんとですねえ」と、日刊紙を広げながら、広告が載っていない事を確認。日曜版の方をめくりながら、「こっちは親しみやすそうですね」と評価してくださいました。その場でご購読・・・とはいきませんでしたが、どちらも持ち帰っていただき、ゆっくり読んでいただくことに。

 「しんぶん赤旗」の本領は、広告がないことの裏にあります。そのお客さんも話をするうちに分かっていただきましたが、広告料が絶えると新聞の発行、新聞社の経営が成り立ちません。となると、大口の広告主(つまりは大企業)には絶対に逆らえないのです。派遣労働をめぐる報道での実例の話も聞いた事があります。

 今の大手メディアはテレビであれ新聞であれ、広告料によって成り立っていますから、「中身が変わらない」報道になってしまうのです。

 さて、「しんぶん赤旗」は、読者のみなさんの購読料が支えです。ですから必死です(笑)。同時に、大手の企業に遠慮する事なく、国民の立場で報道ができるんです。

 

 原発ゼロを訴えて11000人が首相官邸前に詰めかけたという話をご存知ですか?このことを報じた新聞は「赤旗」だけでした。11000人もの人の訴えを黙殺するというこわさ。

 もちろん、世間のできごとすべてを報じることが無理な事は承知していますが、大手メディアの、情報の取捨選択の基準に大きな問題を感じるのです。しかもテレビと新聞が完全に系列化しており、どちらも「スポンサー様が神様」なのですから、非力な国民が無視されると、事実ですら「なかったこと」のようになってしまう今の大手メディアのあり方に怒りをおぼえます。「ジャーナリズム」ってなんなのだと。

 

 いま、世の中(政治)でどんな動きがあるのか、そしてその狙いがどこにあるのか、また、同じ立場の国民が何をしているのか、大手メディアでは報じられません。真実を知るためには「しんぶん赤旗」のご購読をおすすめします。

 日々の政治の動きが激しい今、日刊紙のほうがおすすめです。...おや?何だかセールストークになっている?...いやいや、真面目なお話です。


哲学する青年たち

2012-06-21 | 日記

 昼間は旧子持村の党員と一緒に、ご挨拶まわり。留守のお宅も結構ありました。知らなかったのですが、この土地はまさにこんにゃく栽培が主力だったんですね。妙義をのぞむ安中、富岡の広大なこんにゃく畑は知っていましたが。

 

 夜は青年支部の会議。「科学的社会主義」の学習に、本格的に足を踏み入れました。

 「気の持ちようで何とかなる」「なんでも自己責任」というのは、根本的な考え方が間違っていることを学び、みんなちょっと新鮮な感動があったようです。

 もちろん、己を高める努力は必要だと思いますが、気の持ちようだけで就職口は増えませんし、努力がすべて報われるなら、就職難の理由で自殺する若者はいなくなってもいいはずです。しかし現実はそうではありません。根源となるのは物質か精神かという、「唯物論」と「観念論」の基本的な部分にあたる話です。

 中には、介護の仕事をしていて、認知症の高齢者との関わりが多いために、「人間って脳に支配されてるんだ」ということを体験的に実感していたために、逆に「観念論」の何たるかを理解するのに苦労したという意見も。

 

 こうして、何が真実なのかを見極める力を育てることって、今の世の中、ほんとに大切なことだと感じます。どのチャンネルを見ても同じような報道、似たような視点で、「世の中こんなものか」と思いがちになり、「ほんとのところ」を探し出すのに苦労します。