猟を終えての山道で石の崩れた後がありました。老猟師に尋ねると思いもかけぬ石でした。
何十年も前にはこの山でも炭焼きが盛んに行われていました。我々が「矢場」と云い獲物を待つ場所に炭焼き窯の跡が有り往時が偲ばれます。さて、炭が焼きあがるとその妻や母は4俵の炭俵を担ぎ麓まで降りました。重労働です。彼女らは「炭負い女」と呼ばれ俳句の世界には冬の季語として残っています。あまりにも苦しい労働からかホトトギス歳時記にも1句しか採られていません。
炭負女降り来し険しはおもわれず(伊藤水城)
この石は1メーターほどの高さの台に作られていて、炭負女が背中の炭俵を乗せて一服した跡です。
なぜ台の上に載せて一服したか、解らない人は炭俵4つを背負いて実験してください。
何十年も前にはこの山でも炭焼きが盛んに行われていました。我々が「矢場」と云い獲物を待つ場所に炭焼き窯の跡が有り往時が偲ばれます。さて、炭が焼きあがるとその妻や母は4俵の炭俵を担ぎ麓まで降りました。重労働です。彼女らは「炭負い女」と呼ばれ俳句の世界には冬の季語として残っています。あまりにも苦しい労働からかホトトギス歳時記にも1句しか採られていません。
炭負女降り来し険しはおもわれず(伊藤水城)
この石は1メーターほどの高さの台に作られていて、炭負女が背中の炭俵を乗せて一服した跡です。
なぜ台の上に載せて一服したか、解らない人は炭俵4つを背負いて実験してください。