狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

傷痍軍人

2014年04月03日 | その他

傷痍軍人、こう書いても言葉の意味さえ分からない人が多いのではないだろうか。昭和30年頃伊勢神宮の内宮に行くと宇治橋の袂で傷痍軍人のグループがアコーデオンなどを演奏して喜捨を求めていた。前には義手や義足を並べているときもあった。プラカードには傷を受けた戦場や時期が書いてあった。父は彼らを見ると「帰って来ただけええやんか。傷にウジをわかせ、水、お母さんと言って戦友は死んだ」と言っていた。しかし軍帽で顔を隠すようにして演奏していた彼らは哀れであった。白衣は寒風にひらめき、初詣の人々で喜捨をする者はなかったが、老婆が両手を合わせ、箱に幾ばくかの金を入れた。老婆の息子は帰って来たのだろうか。それまでの傷痍軍人には社会の庇護と尊敬があったが、敗戦国の扱いは冷たく、国民も軍国主義の現れとして見たのだ。

もうどこへ行ってもこのような光景はない。彼らも生きていれば90歳に近いはずだ。

国防論議は熱を増しているが「傷痍軍人」を見た事のない人に国防論議をする資格はない。

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