狩人の道東放浪記 Ⅱ

定年後道東に移住しました。
しかし2年後、都合により帰郷しました。徳不孤必有隣の旗印は同じです。

新年号は「令和」に決まる

2019年04月02日 | その他

4月1日に新年号が発表された。

「令和」である。「和」の使用は予想していたが、令和とは意外だった。

万葉集からの出典だそうだ。観梅に集まった役人や学者が大宰府で作った歌が基になっている。

「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を被き、蘭は珮後の春を薫す・・。

当時の堂上人は中華思想の信者で、漢詩や論語への教養を誇っていた。命じられれば漢詩を作り、披露するのは朝飯前である。

元ネタとされているのは、「張衡の帰田賦」である。中央官僚の汚れた姿に絶望し、辞職した張衡の心情を歌っている。

於是仲春令月 時和気清・・・・。

この帰田賦が万葉人の脳裏に有って不思議ではない。特に大宰府に流された左遷組にとっては、思いを共にしたであろう。

万葉集を楽しみ、グループで歌っている姿がTVで紹介されている。其の衣装は中国服である。大和心からは縁遠く、コスプレを着用する子供と同じだ。

年号が漢字である限り、中国の影響を脱する事は出来ない。そもそも、年号の元祖は中国である。

気楽に「令和」を使用するか、西暦で過ごす事だ。仏暦は流行らない。