晩秋の一日和歌山市に遊んだ。和歌山城を見学したがコンクリート城であるのが残念であった。
そして行ったのが和歌山市禰宜町にある旧中筋家住宅である。
中筋家は天正13年の羽柴秀吉による根来攻めを逃れ、根来からこの地に移ってきた文貞坊に始まります。1750年より明治までこの地の大庄屋を務めてきた。平成12年から12億円の金を費やし大修理を行い、平成22年から一般公開をしている。まずは「表門」である。右の3部屋では役場や裁判所の業務がなされていた。
そして中に入ると主屋がある。右の入口が紀州家の人を入れた玄関で家の者は遠慮して、左の門から出入りしていた。修理された時に雨樋も替えられたが、使用できる雨樋はそのまま使用した。一枚の銅板を曲げて雨樋にしている。緑青が吹き時代が感じられる樋である。
次は土間の竈(復元)である。いったい何人の食事を用意したのだろう。
その他見どころは沢山あり、大人の旅行で十分楽しめる。
そして行ったのが和歌山市禰宜町にある旧中筋家住宅である。
中筋家は天正13年の羽柴秀吉による根来攻めを逃れ、根来からこの地に移ってきた文貞坊に始まります。1750年より明治までこの地の大庄屋を務めてきた。平成12年から12億円の金を費やし大修理を行い、平成22年から一般公開をしている。まずは「表門」である。右の3部屋では役場や裁判所の業務がなされていた。
そして中に入ると主屋がある。右の入口が紀州家の人を入れた玄関で家の者は遠慮して、左の門から出入りしていた。修理された時に雨樋も替えられたが、使用できる雨樋はそのまま使用した。一枚の銅板を曲げて雨樋にしている。緑青が吹き時代が感じられる樋である。
次は土間の竈(復元)である。いったい何人の食事を用意したのだろう。
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