1938年(昭和13年)の7月から11月までナチスドイツよりヒットラーユーゲントが来日した。
金髪碧眼そして偉丈夫の彼らは堂々と行進し、各地で大歓迎された。
北原白秋も「万歳ヒットラーユーゲント独逸青少年歓迎の歌」を作詞し、各地の学生生徒は歌った。
私の知人で、当時中学生の方がいた。軍からの教官に毎日のように殴られ、反軍思想の持ち主になっていたが、ヒットラーユーゲントの行進を見て、軍国少年に変わったそうだ。
さて、日本からも青年団がドイツを訪問した。
軍服擬きの服装で、足にはゲートルを巻いていた。
ドイツ在住の日本人は恥ずかしくなり、彼らの為にヒットラーユーゲント風の立派な団服を寄付したそうだ。ヒットラーに声を掛けてもらったようだ。
帰国後は青年団活動に邁進し、戦火の中へ消えて行った。
ほとんど忘れられたことであるが、私は美濃関市の刃物関係から知った。
美濃関を訪問したヒットラーユーゲント達に一振りの短刀が贈られていたのだ。その一振りをドイツ人が所持し、ドイツの刃物市を訪問した美濃関市の方が、短刀の手入れをしていたのだ。
その短刀は現在美濃関市に帰っている。