マーティンスコセッシ監督作品の『アイリッシュマン』の大きなテーマが『有害な男らしさ』なのだそうです。
まだ映画を見ていないので、具体的にはわからないのですが、評論家のレビューにそれについて記されてありました。
『有害な男らしさ』とは『誰かが傷ついても、正しいと信じて起こした暴力的行動に問題はないとする男性行動』と解釈しても良さそうです。
映画の登場人物達は、ギャングだったり殺し屋だったりするので、身近にいる輩ではありませんが(^○^)、似たタイプの男性が周りにいないわけではないし、自分の中に潜んでいないとも言い切れません。
穏やかに暮らしたくて『君子危うきに近寄らず』を通していたとしても、危うき事に直面するのが浮世というものです。
歩いている道の先に石ころがっていれば、それを避ければすみますが、物陰から石を投げられたら、それを避けるだけでは問題解決にはなりません。
投げた者を見つけ出して再犯を封じないと、家族や仲間を危険から守ることができない。
投石した犯人を見つけ出して、勢いボコボコにしてしまう、、、。
これが典型的な『有害な男らしさ』なのかもしれませんね。
感情剥き出しの理性をなくした姿を見て、ひかない人はいないでしょう。
それもまた、無秩序に爆発させている暴力なのです。
法治国家で暮らす事は、法を守る事によって、その法に守られて生活出来る事でもあります。
『アイリッシュマン』の登場人物は無法者ばかりですが、私たちの周りにいないと言い切れるでしょうか?
そして、自分の中にそんな無法者的な感覚が無いと言い切れるでしょうか?
死刑判決が覆ったニュースや芸能人や政治家の不祥事に感情的になることも、ひょっとすると『有害な男らしさ』の発端なのかもしれません。
感じる事は仕方ない事だとしても、それらの事について、必要以上に無駄な時間を割くのはもったいない気がします。
『冷静に、冷静に』
孔子ならそう言うかな(笑)
老子なら?
『え?青く澄み渡った空に、ポッカリとひとつだけ雲が浮いているよね〰』
フワッとした笑顔でそう言うかもしれませんね。