主観的に楽しんでいるのに、それを『独りよがりだとか』『もっと奥深いところを知るべきだ』などともっともらしい事を言う、評論家然とした輩の発言ほど馬鹿げた物はない。
耳にするのも無駄。
ツェッペリンの『ブラックドック』を好きになるのに、『好きになる道程はこうあるべきだ』などと分かったような事を言われる筋合いは無い。
私は『ブラックドック』のリフが大好き!
そして、ドラムのフック感が大好物!
これでおしまい。
歌詞の内容なんて知らなくてOKだし、アーティストの人柄なんでどうだって良いのだ。
もっと知りたくなるファン心理は理解できるが、自分にとってのその楽曲の良し悪しとは無関係だからだ。
『ブラックドック』と言う曲名から、内容を想像する事もしない。
どうせテキトーなんだから(笑)
若者が持て余すエネルギーを爆発させるのに、Rockは適している。
書においてはどうだろうか?
私は書も同様に適していると思う。
が、それを指導する者は少ない。
自由であるべき創作を
『型ができていないうちはやらない方がいい』
などともっともらしいことを言って、自由に書かせない指導者はたくさんいるし、書作品のの鑑賞においても『もっと深みを求めよ』ばかりでうんざりだ。
好きか
嫌いか
どうでもいいか
の三種類に分類すればいーじゃねーか!
嫌いな物を好きになる努力やどうでもいい物に気を使う事は、
無駄!
書を目指す人が、書だけで成長するわけじゃないし、書にそんな力は無い!
人は社会の中に存在し、五感を使って暮らしている。
病におかされる事も有れば、失業する事や失意のどん底に突き落とされる事もある。
そこから学ぶケースもあるけれど、何も学べず潰される事の方が多い。
求めている願望とかけ離れればかけ離れるほど、それを求める欲求は強くなる。
それがRockや書を求める原動力だ。
『負のエネルギー』を手なずける事は難しいけれど、それを露出させ認識する事が必要だ。
誰しも自分の『ダークサイド』は見たくないし、隠しておきたい。
でもそれを出した作品だけが私の琴線に触れる。
ツェッペリンが好きだけれど、ベビィメタルも好きだ。
そこには私の『ダークサイド』が存在する。
魯山人の書も好きだけれど、みつをの書だって好きだ。
ま、全てってわけじゃないけれどね(^o^)
必要なのは渇望だ。