『カエルは頭から池に飛び込まない』とか、
『カエルはお尻からゆっくり池に入っていくものだ』
と言う人がいますが、私はカエルが池に頭から飛び込んだ所を見たことがありますし、その音を聞きたこともあります。
会津若松に住む友人の家には小さな池があって、そこに場所によっては天然記念物とされる『モリアオガエル』が住んでいて、その綺麗で美しい黄緑色を少し離れた窓越しから見ていたとき、ジャンプして水に飛び込んだのです。
水の中に住むカエルではないようなので、私の視線に気づいて、逃げ飛び込んだのかもしれません。
その時の『ぽちょん』と言う、なんとも可愛らしい音は、今でもリアルな記憶として残っています。
もちろん私は芭蕉の句を知っていますから、即座に「古池や蛙飛び込む水の音」が浮かんだ訳です。
ところが、当たり前のことですが、この句を読んだ松尾芭蕉はこの句を知らないわけです(^○^)
知らないのに作った芭蕉と、知っていて音を聞いてこの句を思い出した私との間の開きに、天文学的な数値を感じてしまうわけです。
ぐるっと回って背中合わせになるぐらい違うわけです。
それぐらい、違う、、、、。
それが俳人と凡人の差な訳です。
悔しくもならないぐらいの違いに、かえって清々しくも感じるぐらいです。
開き直っているのかもしれませんけどね〰