(写真:初公判を終えて。前列左から3人目が安田さん。その右が玉木弁護士、河崎弁護士)
重大労災事故に被災したパート労働者が労働組合で
闘いに立ち上がる
(株)アイビイケイ(本社 東京都葛飾区、ラーメン店フランチャイズ、麺製造)の石下工場に勤務していた安田喜美江さんは2005年、麺の原料を延ばすローラーの清掃をしていたところ、ローラーに指を巻き込まれ、左手の指3本を切断するという重大な労災事故に被災しました。
労災はもちろん認定されました。しかし会社は安田さんに対し、わずかな「涙金」とも言える見舞金を支払っただけでした。
安田さんは東部労組アイビイケイ支部に加入し、闘いを始めました。団体交渉を行い、怒りをぶつける中、会社が提示してきたのは、①職場復帰を認めるかわりに、労災への損害賠償について会社提示の金額で納得せよ ②退職すれば①の金額に多少上積みをする の二者択一でした。
本来、アイビイケイは使用者として雇用契約に基づき、安田さんをはじめとするその雇用する労働者の生命および身体等を危険から保護するよう配慮すべきことを内容とする「安全配慮義務」を負います。
しかし安田さんが被災した工場においては、ローラーの電源を切ることなく、ローラーが突然動き出す危険性のある一時停止装置を使って清掃作業をするというやり方が常態化しており、「電源を停止させて清掃をすること」との説明や指導がなされることはありませんでした。
また、清掃についての作業マニュアルによる説明もなかったなど、会社には明らかに「安全配慮義務」違反が認められるのです。
したがって、会社は安田さんに対し、労働安全衛生法第3条、労働契約法第5条、民法415条に基づき、債務不履行責任を負うのです。
にもかかわらず、会社が提示してきた労災に対する損害賠償の金額は、私たちが過労死弁護団の玉木一成弁護士に依頼し、労働損失率・ライプニッツ係数などの広く一般的に認知されている合理的な計算式で計算していただいた額とは大きな隔たりがあり、まったくもって不誠実な対応です。
労災に被災した労働者に対するアイビイケイのやり方はまったくもって許せません!安田さんの今後の生活をどう考えているのでしょうか。安田さんの苦しみを理解しているのでしょうか。
安田さんは会社に責任を取らせるため、職場から労災事故を根絶するため、裁判闘争に立ち上がりました。
初公判となる7月6日、玉木弁護士、河崎弁護士、安田さんをはじめとする東部労組アイビイケイ支部組合員、そして東部労組各支部の支援傍聴13名が見守る中、安田さんは東京地裁法廷で意見陳述を行いました。ところが、会社側は誰一人法廷に姿を見せませんでした。
安田さんの堂々とした、そして切々とした意見陳述に、裁判長も真剣に耳を傾けていました。
要旨は以下の通りです。
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意見陳述要旨
原告 安田喜美江
私が掃除をしていると,私の左手はタオルと一緒にローラーに巻き込まれてしまい、手の親指と人差し指と中指は切断されていたのです。
しかし事故当時、機械を解体できる人がいなかったため、私は自分でハサミで筋を切り、やっと機械から手を離すことができたのです。
私は全国一般東京東部労働組合に入り、会社と交渉を行うことにしました。
それから何度かの会社との団体交渉を行ってきました。でも会社の対応は、見舞金と団体保険を支払ったということで、もうそれ以上の補償はできないとのことでした。
会社は私の怪我などまるで他人事なのです。
初めて自分の怪我をした手を見たときのショックはあまりにも大きなものでした。そしてそれからの私の人生は一変してしまいました。
手の皮膚も失くしてしまったため、お腹と足からの皮膚移植をしました。二年間の間に8回の手術をし、痛みとの闘いの連続でした。
何をするにも手が痛み、お腹の傷と足の傷の痛みも重なり、こんな思いをして、こんな手であと何年生きるのだろうと考えたとき、生きていくことが辛くなってきました。いつしか朝起きられなくなり、食事もできなくなり、夜も眠れなくなってしまいました。一日中家に引きこもって考えることは、家族に迷惑がかからない一番の死に方は何だろう・・・と。そしてこのまま死ねたらどんなに楽だろうと・・・。でも私は死ぬことはできなかった。手の怪我の結果が生きるか死ぬかの心の葛藤になるとは想像もつきませんでした。
生きるために私がしなければいけないことは何だろうと考えました。
自分の辛さをまず人に聞いてもらうことだ、と思いました。私は近くの心療内科に行きました。うつの薬をもらって飲み始めました。二ヶ月くらいすると徐々に朝起きられるようになり、食事も取れるようになってきました。夜も薬を飲めば眠れるようになりました。
四ヶ月くらいしてやっと普通の生活ができるようになり、死ぬことを考えなくなるようになりました。そして、二年間ずっと包帯で隠し続けてきた手を出して外を歩けるようになりました。
でも、手の怪我は治っても、うつという心の痛みは簡単に治るものではありません。
私がこうなったのは手の怪我が原因なので,会社には早くきちんとした対応をして欲しいと思います。
以上
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労災事故に被災しても泣き寝入りする必要はありません!
労働組合で闘って企業に責任を取らせることもできます。
ぜひ私たち全国一般東京東部労組にご相談ください!
社内でまかり通っていることが、社会では通用しないと感じ取って、亀が首を引っ込めるように大人しくしているということなのでしょうか。
こんな会社が社会的に存在できてしまっているということに、やりきれなさを感じてしまいます。
法廷は会社に対して断固たる姿勢を示すことで、少しでも真当な組織たるべく導く社会的使命があると思います。
安田さん、しんどいと思いますが、頑張って下さい!