各大学箱根駅傳
本社主催、1月9、10兩日にわたつて行はれ、參加校7校、中央大が勝つた。自転車で追つかけた見たまゝを‥‥‥‥寺田生
スタートから鶴見まで
駒場の藤卷君は第一区のレコードを作るべく最初から力走した、第一仲継所たる鶴見では見事一着になつたがコースを少し誤つて、法政の橋本君がレコード・メーカーとなつた、写眞上〔上左〕はスタートで藤卷君が先頭に立つたところ、左〔上右〕は橋本君が六郷橋を過ぎて川崎市に入つたところである。
箱根の山にかゝつて
第二区で中川君が第一位になつてから、中央は始終先頭を譲らず、いよ〱小田原から平野君が山登りにかゝつた。小田原で十二分半遅れてゐた明大の八島君はこれを追ひ、次第にその差を縮めてアシノ湯では六分までつめたが、下りに平野君強く、七分四十八秒二の隔たりで中央先づ往路に優勝した。写眞左〔上左〕は出山付近の平野君で、下〔上右〕はそれを追ふ八島君
日歯大に振ふ
今度の駅傳で豫想以上の活躍をしたのは日本歯科医である。始めから優勢で山登りでは三位になつて、二日目の朝は、中大、明大に次で陶山君かスタートした。写真は芦の湖畔を走る陶山君(右)〔上〕
果然最後の大接戦
終に中大が先頭、明大二位のまゝ最後の第十区に入つた。明大の永谷君は一時間十二マイルといふピッチで湯本君を追ひ、大森海岸では中大の湯本君と並び、鈴ヶ森で完全に抜放して仕舞つたが、帝国ホテル前で追ひつき、日比谷の交差点で完全に抜返し、最後まで大接戦をつゞけて、こゝに中大最初の優勝を得たのである。写眞上〔上左〕は鈴ヶ森で永谷君が湯本君を抜いたところ、下〔上右〕は帝国ホテル前で湯本君が永谷君を抜返さんとしてゐるところ
初めての覇権を狂喜する中大應援團
ー本社前の決勝点でー
レースを終つて
競走は初めから中大と明大の大接戦となり、殊に最後の区間で、一度抜かれた中大が、決勝点前三四百メートルといふ際どいところで抜返したなどは、日本の駅傳史にも見ざる所であり、新進の日歯の活躍慶應の策戦、法政の頑張りも目に殘つた。けだし本年最初の大競走であつた。
〔蔵書目録注〕
上の写真と文は、大正十五年一月二十五日発行の 『旬刊 写眞報知』 第四卷 第三號 報知新聞社出版部 に掲載された第七回箱根駅伝の記録である。
なお、文中の〔 〕内は、このブログ記事での写真の掲載位置である。