蔵書目録

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「震災による熱海線の被害と復旧」 脇水鉄五郎 (1924.4)

2023年12月06日 | 趣味 2 絵葉書、鉄道、料理、関東大震災他

  震災による熱海線の被害と復舊
            理學博士 脇水鐵五郎
  一 はしがき
  
 昨年九月一日の相武大地震によつて我國鐵道の被 かうむ つた損害はかなり著しいものであったが、熱海線の被害はその中でも殊に甚しいものであつた。この熱海線は筆者が曾て本誌に記載した通り、(大正十二年三月號熱海線と丹那大隧道參照)將來我國鐡道の本幹たる東海道本線の一部となるべき重要なる線路であるのに、その線路の一部には大正十年四月と本年一月との二回に各十數名の犠牲者を出して、世上の問題となつた丹那の大隧道があるので、今回の被害を動機として本線の復舊或はその全部の開通が、一部の人々より疑倶の眼を以て問題視さるゝやうになつたのは遺憾の極である。それで私はこゝにその被害の實況を記し、併せてその復舊の必ずしも難事でないことを記述して、聊 いさゝか 世人の疑惑を一掃したいと思ふのである。

  
  小田原湯河原鐡道線路圖

  二 被害區間 
  
 熱海線は國府津眞鶴間の一一・三哩 まいる は一昨年十二月までに旣に開通して居り、その延長たる眞鶴湯河原間も、震災前工事は旣に完成して開通するばかりになつてゐたのである。湯河原以西は今尚ほ工事中であるが、その中 うち 熱海まではほぼ七分通り出來上がつて居る。 
 損害を被つたのはその開通區間だけで、工事中の區間は幸 さいはい に損害を免 まぬか かれた。又開通區間でも損害の甚しかつたのは早川眞鶴間だけで、その他の部分は問題となるほどの被害はなかつた。
  現に國府津早川間は旣に復舊して列車を運轉して居るのである。それで私は早川眞鶴間の被害狀況に就いてのみ述べることとする。
  
  三 被害の原因
  
 早川眞鶴間の旣成區間が被害の甚しかつた原因としては、この區間が相模灣内の震源に近かつたこともその一に數へなければならぬが、根本的原因はその地形と地質の惡かつたことに歸せねばならぬ。
 元來この區間は、箱根火山の裾野が相模洋 さがみなだ の荒波に削られて、多年の間に斷崖絕壁を形成したる所で、地形上鐡道工事地として我國有數の難場といはねばならぬ。しかも將來東海道本線たる重大なる使命を有する線路たるだけに、極めて入念に設計し巧に地形を利用し、工費には一哩平均百萬圓の巨額を投じて、技術の妙と精とを盡して築造してはあるが、地形上の難關は如何ともする能はず、僅 わずか 六哩の區間に大小十個の隧道 とんねる と、幾多の切割・橋梁築堤を要して居るのである。かゝる難工事に被害の多かつたのは實に已 やむ を得ぬ次第と言はねばならぬ。
 次に之を地質上より見れば、これまた決して良好であつたとはいへない。線路に當る主なる岩石は、箱根火山より噴出したる熔岩と、その上を被 お ふて居る火山灰とから成つて居る。
 右の熔岩は箱根火山の外輪山の一部を構成して居るもので、之れには平林博士が堅石 かたいし 熔岩と名づけたものと、根府川熔岩と名づけたものと二種類ある。兩溶岩とも箱根火山がまだ海底火山であつた頃に、水中に噴出凝固したものであるから、堅實なる熔岩部の外に、ラバブレクシヤ  Lava-breccia  と稱する片塊狀をなせる部分が割合に多くなつて居る。ラバブレクシヤ は凝集力の極めて弱いものであるから、このものゝ厚く山腹に現はれて居る所には、大抵山崩れができた。又熔岩の堅實部にも大小數多 あまた の割目があり、殊に地表に近い所では風化作用のため割目が廣く大きくなつて居るから、山崩れを起す可能性は十分備はつて居る。殊に根府川熔岩は、薄く平たい板のやうになつて剥 へ げる性質があるから、堅石熔岩よりも一體に崩れ易い。 
 火山灰は、箱根火山が隆起してすつかり陸上に現はれてから後に富士・天城などの火山から噴出したもので、厚さ一二丈の層をなして一面に山の表面を掩 お ふて居る。このものは今は全く分解して赤褐色の土のやうになつて居り、關東地方に特有の通稱赤土と同じく、之が火山灰であることは、素人目には殆 ほとん ど解らぬ狀態になつて居る。このものも切取面では屡 しばしば 山崩れを起すことがある。
 右の熔岩と火山灰の外に、平林博士が石橋集塊熔岩と名づけた一種の熔岩と、凝灰岩及び集塊凝灰岩が堅石熔岩の下に現はれて居る所がある。しかしこれ等は線路の建設に直接關係して居るところは少ない。

  四 山崩による被害

 一體山崩は、重力が岩石土壌の凝集力に打勝つた場合に起るものであるから、熱海線の場合に於てはラバブレクシヤ又は火山灰層の如き凝集力に乏しい物質が、線路脇の切取面又は天然の急斜山腹に出て居る場所に專ら起つて居る。
 隧道の入口は、隧道の長さを少なくする爲に大抵急な切取面を作つてあり、その切取面には大抵赤土層か又は熔岩の風化土層が出て居るもので、それ等が崩壊して隧道の入口を塞 ふさ いで居る。

  

  根府川驛附近山崩のため列車海中に墜落す

  

  根府川驛附近の山崩、駅建物の列車と共に海中に落ちた跡

 早川眞鶴間に起つた山崩の最も大なるものは根府川驛の附近に起つたものである。これは根府川の停車場の西にあつた山が、非常に厚い根府川熔岩のラバブレクシヤで出來てゐた爲に起つたもので、このラバブレクシヤはその間に挾んでゐた二枚の熔岩層と、その上に被 かぶ つてゐた厚い火山灰層諸共 もろとも に海の方に崩れ落ち、停車塲も線路も皆高さ百尺ばかりの海濱の斷崖を飛び越え、海中に落ちて影も形もなくつてしまつた。又折から停車場構内に進入して將に停車せんとしつゝあつた下り列車は、土砂と共に海中にはね飛ばされてメチヤクチヤに破壊し、乗客中列車の窓から飛出して九死に一生を得たものは僅に數人に過ぎなかつたやうな始末で 、實に惨憺たる光景を現出したのであつた。 
 この山崩 やまくづれ の跡を見ると、山手 やまのて の方には高さ二百尺もあるかと思はるゝ 絕壁を殘し、もと停車場のあつた附近は一面に土砂石塊の堆積場となつて、參差 しんし 凹凸 おうとつ 足の踏み場もない有樣となつて居る。又根府川の民家の山崩の近くにあつたものは、或は壊れ或は傾いたまゝ、元の位置より數間乃至數十間も海の方に押出され、軌條 レール は線路面と共に海中に陥り、その一片が海濱の斷崖にぶら下がつて居る奇觀を呈し、海底は元の波打際から一町餘りも崩落 くずれお ちた土砂石塊のために埋められてしまつたのである。
 この山崩の慘害はかくも 絕大なるものでありその大 おほい さからいつても相武地震の爲に發生した凡ての山崩の中で、大なるものゝ一つに數へられる位偉大なるものであつたが、鐡道線路の復舊は案外容易に行はれるものと思ふ。その譯 わけ は山崩のあつた場所には、崩壊堆積物の下に、幸に堅固な岩盤が存在するからである。その堅い地盤といふのは凝灰岩と集塊岩の互層で、海岸の 絕壁にその水兵層が能く露はれて居る。この堅い地盤のある以上は、線路を元の位置に築き直してもその路面が再び山崩を起して絕壁の下に落ちる患 うれひ は 絕對にないと思ふ。たゞ山崩の跡にできた山手寄 より の二百尺の絕壁は、ラバブレクシヤと火山灰層のやうな脆 もろ いものでできて居るから、この崖が再び崩れて線路を埋めるやうなことがないやうに、十分用心をしなければならぬのである。
 次に山崩の害の甚しかつた所は、江ノ浦隧道と長坂隧道の間である。この間は主に堅石熔岩の中を線路が通じて居り、地盤は比較的堅固であつたけれども、何分海岸に沿うた 絕壁を切取つて線路を布 し いた爲に、切取面が高く且つ急であつた關係から、多數の山崩を生じて線路が埋められたのであつた。
 この區間の線路面が堅固な熔岩から成つて居るから、元の線路を修築して復舊されぬことはないのであるけれども、將來の安全を期するには隧道に改むるに若くはないと思ふのである。なぜかといへば、切取面に露はれて居る熔岩が可なり割目に富んで居るから、將來の大地震又は大雨のため再び山崩を發生して線路を埋却される患があるからである。
   
  五 轉石による被害
   
 線路筋の切取面又は急斜山腹から、大小の堅い轉石が軌條面に轉 ころ げ落ちて、列車の運轉を不能ならしめることは、大雨・地震などの爲に起る鐡道障害の最も普通なるものである。

  

  線路に落ちた大石(江ノ浦にて)

 熱海線に於ては、地表面の風化帶中に介 はさ まつて居る熔岩片、又はラバブレクシヤの上に載つて居る熔岩盤の一部、又は溶岩盤の割目 われめ によつて、母體から離れ易い状態になつてゐた熔岩の一部などが、盛 さかん に轉落して線路を塞いだのを尠 すくな からず見た。
 かくの如く多數の轉石があつたのは、早川眞鶴間の地質關係が、上記のやうに轉石を容易ならしむる狀態になつて居るからで、その責 せめ を工事の杜撰 づさん に歸することは酷である。
 しかし熱海線は、將來東海道本線として列車往復の極めて頻繁なる線路であるから、一片の轉石も事故を發生せしむる恐れがある。復舊に當つては、セメント張 はり などの方法によつて、 絕對に轉石の障害がないやうに施設するの必要を認める。

  六 山津波による被害
  
 山崩が傾斜の急な山の高處に起ると、崩れてバラ〱になつた土砂石塊は、墜潰 つゐくわい の惰力によつて殆 ほとん ど液體同樣の運動を起し、非常なる速力で谷間を下り、途に當 あた つた一切のものを破壊し流失せしめて、恐るべき災害を生ずるものである。之が山津波の現象である。

  

  根府川白糸川の山津浪

 昨年九月一日の大地震によつて、根府川の部落を貫いて流れて居る白糸川の上流二里の地點に當つて、一つの大きな山崩れが起つた。この山崩れは、箱根外輪山の一高峯なる聖岳 ひじりだけ (八三八米)の東側の急斜面に露 あら はれてゐた熔岩層の一部が、一の斷層に沿うて大きく崩れ落ちたもので、その下が殆ど 絕壁に等しい急峻な白糸川の谷に臨んでゐたものだから、土石は一瀉千里の勢 いきほひ で谷を馳せ下り、僅 わづか 五分間で二里の下流にある根府川村に達し、谷間にあつた人家數十軒と鐡道の鐵橋とを一掃し去つたのである。
 その山津波の通過した路を見ると、谷の屈曲に從つて電光狀に屈折反射して流れたものゝやうで、谷の曲り角の外側部には、土砂が谷底より數十丈の高さに達した跡を殘して居る。

  

  熱海線根府川白糸川鐵橋北端の破壊

 白糸川鐵橋の所では、山津波は右岸卽ち南側に向つて谷底より百五十尺の高さに打上げ、そのために高さ百二十尺の鐵橋は。唯 たゞ 北端のガード二つを殘しただけで、物の見ごとに海まで押流され影も形もなくなつたのである。

  

  寒の目隧道北口崩壊して列車隧道内に立往生す

 鐵橋を南に渡ると、そこが寒 かん の目隧道と稱する隧道の北口になつて居るが、當日午前十一時四十八分に眞鶴驛を發した上り列車は寒の目隧道に入り、その先頭の汽罐車が今や將に隧道の北口を出 い でんとする時彼の大地震に逢ひ、汽罐車は隧道入口の土層崩落のため半ば土に埋 うづ められたまゝ停車したから、車中にあつた乗客中氣の早いものは驚いて車を飛出し、急いで隧道の外に走り出ると、この時遲くかの時早く、白糸川の山津波は線路の上に驀進 ばくしん し來り、二三十人は忽 たちま ち土石の下に敢 あへ なき最後を遂げてしまつた。その危期の迫るや實に間髪を容れなかつたのであつた。 
 しかし列車は汽罐車が土に埋められただけで、隧道内に停車してしまつたから顚覆破壊を免れ、乗客の多くは不思議に災厄を免るゝことを得た。しかしこの隧道は南口は崩れた土砂のため完全に塞がれ、唯北口が汽罐車の上僅に四五尺の空隙 くうげき を殘存してゐた御蔭で、逃後 にげおく れた乗客は却てその生を完 まつたう したのであったが、北口の崩壊が今少し大きくて入口が全部塞がつてしまつたならば、數百の乗客は皆暗黑裡に生埋 いきうめ となつてしまうところであつた。これ等 ら をば眞に天祐と申すべき乎。免れた乗客こそ命 いのち 冥加の人々ではある。

  七 泥流と石ナダレ

  

  築堤を埋めたる米神の泥流 
  
 石橋と根府川の間に米神 こめかみ と稱する小部落がある。こゝの小さな澤にも小規模の山津波が起り鐡道の築堤を乗越えて築堤下の數戸の民家を埋沒した。この山津波はその澤の奥で、赤土の崩れ落ちたものが地下水と谷の水に混 こん じて幾分軟 やはら かとなり、下の方へ押し出して來たものであるが、その山崩の起つた場所が白糸川の場合よりも距離が短かかつたのと、土の量も少なかつただけ、その及ぼした災害も小さかつたが土砂の大量が築堤の上手 うはて に堆積して居るのを見ると、若し築堤がなかつたならば米神の部落は之に數倍する被害を免かれなかつたであらう。
 この種の石片 いしきれ を交 まじ へない土ばかりの小規模の山津浪は、泥流と名づけておいた方が解りがよいと思ふ。米神の築堤の上手に溜まつて居る泥流は、停滞した水のために軟 やはら かくなつて居り、その壓力で築堤を押崩す憂がないではないかと懸念されて居るが、排水渠を造つて水はきを良くすれば、その憂 うれひ はないと思ふ。
 この泥流の外に、山崩で崩れ落ちた石ばかりの塊が、小規模の山津浪を起すことがある。餘り高くない所に山崩が起つて、その下が餘り急でない斜面になつて居り、且つ崩れたものが割れた石ばかりで土が交じつてゐないと、山津浪はさほど遠方に行かない中に止まつてしまひ隨 したが つて災害も小さくてすむ。この種類の山崩は「石ナダレ」或は「石の海」と呼ばれる。
 熱海線の附近では、眞鶴驛の上手にこの「石ナダレ」が起り、長さ數町に亙つて廣い土堤の形をした石河原が出來た。しかし幸に線路には損害を及ぼさなかつた。

  

  稻村の石ナダレ

 又門川と伊豆山 いづさん の間の稻村と稱する部落の山にも、同樣の「石ナダレ」が二三出來て居るのを見た。これ等はいづれも割目の多い熔岩が下のラバレクシヤと一緒に崩れて落ちたものである。
  
  八 隧道の被害

  

  熱海線不動山隧道南口の破壊

 隧道 とんねる の被害は多くその入口に近いところに多い。これ入口に近いところは、岩石の風化帶か赤土層(火山灰層)の中を穿 うが つて居るためで、セメントブロックの内壁に龜裂のできた所を往々見かける。又隧道の内の方でも、斷層のあつた部分の内壁が龜裂墜落等の損害をかうむつたところが少しはある。
 又隧道の入口の石垣が左右に裂けたり、山崩の餘勢をかうむつて崩れることは普通の現象である。
 しかし熱海線の旣成隧道には、房總線の南無谷隧道のやうに大破壊をしたものがなかつたのは仕合せであつた。又建設中の丹那・泉越 いづみこし の二大隧道が、地震のため何等の損害を受けなかつたことは大なる仕合せである。
   
  九 橋梁の被害

 橋梁の中 うち 全部流失したものは、前記の白糸川鐵橋の外にはない。ガードの落ちた鐵橋には、石橋鐵橋と双龍鐵橋とがある。これ等鐵橋のガードが、下り線(旣ち海に近い方)だけ落ちて上り線が無事であることは、大震波が海の方から來たことを示すものである。又ガードの南端が外 は づれないで、北端だけが外づれて居るのは、震波が南から來たことを示すものであらう。
 橋の「たもと」の石垣は、北端のものよりも南端のものに損害が甚しい。之も震波の南から來たことを示すに足るものである。 
 橋柱は皆方柱形に積上げた石の柱であるが、大抵地面から五六尺上がつたところで横に裂けその上の部分が左廻り(時計の針の廻り方と反對)をして居るのを見る。石橋鐵橋の橋柱が最も著しい例である。

  

  石橋鐵橋々脚地面より六尺の處にて左廻す

  

  石橋鐵橋の下り線ガード墜落
  
  十 築堤の被害
 
 熱海線では、築堤の被害が少なかつたことは不思議な位である。之は築堤を造つてある物質が切割から取つた熔岩の破片 かけら や赤土を適宜に混合したもので、割合に耐震性であることも一因をなして居るであらうが、主なる原因は、築堤の方向が震波の方向とほぼ平行してゐた爲であらう。それでも搖下 ゆりさ がり龜裂・崩落などの起つた場所はかなりある。
 最も面白いのは、眞鶴驛の北十町岩村の上の所の築堤が、下り線の方だけ長さ三十間高さ五丈ほど崩れ落ちて軌條は空にかゝり、落ちた軌條面には、バラストに枕木の跡形 あとがた がそのまゝ奇麗に殘つて居ることである。

  

  バラストに枕木の跡を殘したまゝずり落ちた線路(岩村附近)
  
  十一 結論
  
 要するに熱海線の被害は可なり甚大なるものであつた。その復舊の困難は東海道線の山北國府津間などの比ではない。けれども或一部の人々が杞憂するやうに、決して 絕望的ではない。局部〱に就 つい て調査して見ると、その復舊工事は見かけよりも容易であり、或意味に於 おい ては今度の震災は工事の缼點のあつた個所と、天然地盤の耐震力の強弱如何を克明に且 かつ 極めて綿密に實驗して吾人 ごじん に示してくれたやうなもので、この敎 おしへ に從つて復舊された後の線路は保險付安全となる譯であるから、一時の損害は大きくとも之を償ふだけの効果があつたとも見られる。
  
 〔蔵書目録注〕
  
 上の文と写真は、大正十三年四月一日発行の 『科学知識』 四月号 (第四卷第四号) 科学知識普及会 に掲載されたもである。

 

 上文中、稻村の石ナダレ と 築堤を埋めたる米神の泥流 の写真は、掲載順序を逆にした。
 なお、の根府川駅列車転落事故については、生存者二人の回想があり、貴重である。
 また。回想のある同じ『十一時五十八分』には、上文地域に関連する回想「ドロッとした赤土の谷 ー一瞬にして全村影を没すー」という一文も掲載されており、貴重である。



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