蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『週刊 寫真報知』 2-12号 (1923.10-12)

2021年08月03日 | 趣味 2 絵葉書、鉄道、料理、関東大震災他

週刊 寫真報知 第壹卷 第貳號
   東京 報知社出版部
     定價 金拾錢  大正十二年十月十四日發行 

 

〔表紙〕 甘粕大尉が訣別の辞=獄中より部下に送った涙の手紙

第壹卷 第参號 大正十二年十月廿一日發行  毎日曜日発行

 

〔表紙〕 夕食のお拵へ=大震災のうきめに会って綿服奬励者になった森律子嬢(赤坂の避難所で)
〔写真〕 
 ・『焦土悲劇』大地は揺ぐ=震災後最初のヒルム(河村花菱氏作)

第壹卷 第四號 大正十二年十月二十八日發行

  

〔表紙〕 日本の童謠をアメリカへ紹介に=本居きみ子みどりさんのお姉妹が(いよいよ来月出発されます)
〔写真〕 
 ・天勝孃が罹災者のために十数名の大一座で野外慰安大舞踊
   (下)天勝の大奇術
   (右)同一座若手の野外ダンズ 二十日上野公園で
 ・大学生の慰問演奏
    私立大学音樂部有志で組織されてるモーダン音樂研究團が九段の避難民村で
 ・自動車の上で中村慶子さんの独唱 本社主催の巡回慰問演奏班が(上野のバラック村で)
 ・オーストラリヤ シドニーの地震計に感じた今度の大地震
 
 藝術復興週間 〔下は、最初の部分〕
  ▢前週は藝術復興週間であったともいひ得る。震災後約五十日ぶりで、はじめて芝居を見る事ができた。三味線を聞き、太鼓を聞き、笛の音、鼓の音を聞く事ができた。皮切りは十七日の祭日から、日比谷公園における三日間の野外劇と、牛込会館における五日間の屋内劇とであった。前者は新国劇の沢田正二郎一派で、狂言は久米正雄氏作『地藏敎由來』と、歌舞伎十八番の『勸進帳』と、長田秀雄氏作『高田の馬場』の三つ、後者は花柳、藤村、小堀、石川、松本等新派の若手幹部連で、狂言は中内蝶二氏作『大尉の娘』と、故有島武郎氏作『ドモ又の死』と、瀬戸英一氏作『夕顔の卷』のやはり三つであった。日比谷の野外劇が怪我人が出るほどの盛況であったのはもちろん、有料の牛込会館が会場二時間も前に満員となって、遂に二日間の日延をするに至ったのを見ても、いかに災後の人心が慰安に飢てゐたかを知る事ができる。
  ▢趣味、娯樂などといふと、衣食住の安定を得て後に起る、贅沢な欲望のやうに考へてゐるものもあるけれど、事実はむしろ衣食住の足らぬ、人心の興奮し、あるひは沈衰し、すさみきってゐる時に、最も必要であるべきはずだと論じた人があった。前者は平時の狀態にある時の考へで、非常の塲合には後の説がほんとうだといった者もあった。議論はどっちでもいゝ、人間一日も慰安がなくては、過ごせるものでない事だけは事実だ。その慰安を何にもとめるか、またもとむべきかに至っては、おのづから別の問題である。こゝにはたゞそのもとめられる慰安の一として、先づ演劇の復興した事を報ずればいゝのである。つゞいて松旭斎天勝の慰安演藝といふものも、二十日二十一日上野公園その他で催された。本社の巡回慰問演奏班も、上野公園、新宿御苑を皮きりに、連日移動的に催されてゐる。廿七、八両日には本社主催の野外舞踊が、尾上菊五郎一派によって日比谷公園にもよほされる。

第壹卷 第五號 大正十二年十一月四日発行

  

〔写真〕 
 ・これが横浜の市内電車 燒けたゞれた無蓋の電車を運轉して辛くも交通の便に当てゐる

 『復興のうた』を歌はせる 原っぱの学校 参宮道路に群れあそぶ

第壹卷 第六號 大正十二年十一月十一日発行

 

 スポーツ 瑛 〔下は、最初の部分〕
 ◇運動界はいよゝ蓋をあけた。蓋をあけて見るとなかゝに活氣づいてゐる。あの震災にはゞまれてゐたのが、一時に発したのだ。しかし実際の面白味はこれからである。今日は早稻田へ、明日は駒場へと、ファンが奔命に疲れるのもまた、從ってこれから後である。
 ◇この秋にあたって、早慶野球戦の復活が傳へられるに至ったのは、喜ぶべきことであらねばならぬ。明治三十九年にあの紛擾があって中止になって以来、今まで幾度もその復活が叫ばれたことか。しかも可なり有望な筋合にまで、話が進展しながら、常に慶應方の煮え切らぬ態度の為に実現が遲くらされて、三田稻門戦といふ変形的なものが行はれるに至ったのが、今度は慶應側から復活を唱へ出したと傳へられるのも面白い。早大も無論異議のあらう筈なく、明春乃至は明秋から挙行されるといふ。
 
 明治神宮外苑に建てられた
  満鉄バッラク病院の活動
   建築五萬円と満鉄会社が十二萬円を投じた臨時病院
   内容の充実した模範病院の現況 
  
第壹卷 第七號 大正十二年十一月十八日発行

  
 
〔写真〕 
 ・=優勝の原田靑木組(慶大)のプレー振り=
         カレジ・トーナメント・ダブル決勝試合(十日午後早稻田コート)
   =原田選手のサーブ=
   =試合を了へて=
    原田(右)靑木兩選手のニコニコ
   靑木選手のスマッシング

 復興の歌
  御歌所寄人    武島又次郎氏作歌 
  東京音樂学校敎授 岡野貞一氏作曲
  
 ・梅蘭芳の慈善演劇
   日本震災救援義金募集の為ペキンで(右梅蘭芳、左姜妙香)
 ・世界的ヴアイオリンの名手
   ハイフェッツ氏が初演奏(九日夜帝国ホテル演藝場で)


第壹卷 第八號 大正十二年十一月廿五日発行


 
 〔写真〕 
 ・来朝したハープの名手
   ドイツ人のチャーレス・タイナー氏の小手調べ 
 ・ハイフェッツ氏の野外演奏
   日本罹災者の義捐金募集のために日比谷音樂堂で

第壹卷 第九號 大正十二年十二月二日発行

〔写真〕 
 ・早慶兩大学の式蹴球大会=廿三日午後戸塚グランドにて
   先づ前衛戦から 慶軍最初の三点を得た刹那 
   大市主將(慶大)の奮戦ぶり
   これでまたも二点を獲得(廿対三で遂に慶軍大勝した)
 
第壹卷 第十號 大正十二年十二月九日発行


 
〔写真〕 
 ・新魚河岸の開場
   二日から築地水交社裏に

第壹卷 第十一號 大正十二年十二月十六日発行


    
〔写真〕 
 ・女学生の野球大会
   大阪で始めて行はれた女学校対抗野球大会は市岡高女十二対泉南高女二、粉川高女七対和歌山高女六、

 スポーツ 瑛生
  箱根駅傳
   各大学專門学校の=
    作戦は如何?

 ◇春の運動界を賑はす各大学專門学校の駅傳競走は、来年もまた一月十二(土)十三(日)の両日、東京箱根間往復百五十マイルの間に行はれることゝなり、参加学校も一昨年と昨年の二回続けて優勝した早大を初め、高師、慶應、明大、法大、中大、農大、駒場、日大、日齒の十校と決定した。かくて各校ともに参加選手を決定して、早きは旣に練習を開始し、遲きも試驗後に合宿すべき地点を内定した。正月の屠蘇も祝はず雑煮餅も食べずに、一校の名誉をかち得んと勇む若き選手は、殆ど今や無我夢中である。
  ◇大正九年に本社が初めて、この駅傳競走を主催して以来、今度で五回目である。最初には四校だったのが、七校となり、今また九校となって年と共に盛になって行く。各学校対抗といふ意味からいって、秋の駒場を飾るインターカレッヂエートの陸上競技と、同じく墨堤の人氣を集めるレガッタと共に、今や日本の三大対抗競技となって仕舞った。而も駒場のそれや墨堤のそれにも增して白熱的興味を以て迎へられる理由の一つは、寒風肌を刺す一月の初め、薄氷を踏みしだいて函嶺の嶮を越える所にありはせぬか。
 ◇駅傳競走とはどんなものか。普通の競技会に於けるリレーと同じものであると見て差支ない。リレーではたとへば四百メートルを四人の走者が各百メートルづゝ走り継いで、最後の走者が決勝線を突破した順序を以て、優劣を決定するのであるが、駅傳競走に於ては、各走者の分担して走る距離が必ずしも一樣でない。卽ち今度の駅傳で東京箱根間を五区に分つとはいひながらも、丸の内(報知新聞社前)鶴見間、鶴見戸塚間、戸塚平塚間、平塚小田原間、小田原箱根間といふやうになってゐるのを見てもわかる。そこにこそ駅傳の意義があり面白味があるのである。
 ◇一つの学校で十名の正選手を要するが、その十名が全部強い早い選手であれば優勝は確実であるけれど、事実としてそれは不可能のことである。また同じ長距離走者とはいひながらも、五マイル專門の者もあれば、十マイルが得意の人もあり、それ以上の距離に強い選手もある。故に陣容により地形により、それらの選手を如何に配列すべきかといふところに、各学校の作戦があり苦心があり、それが勝敗の分岐をなすことは可なりに多い。
 ◇これを過去の例に徴して見ても、箱根までの往路に強者を据ゑて、一氣に大勢を決し、復路は現狀維持の程度に走って勝ちを制しやうとした学校もあり、これと全然反対の作戦に出た学校もあり、更に細部についていへば、東京出発の第一走者にまで深甚な注意を拂ひ、強者をおいたのもあれば、比較的弱い走者を配ったのもあるが、何しろ往路の小田原箱根間のみは全走程中最も重要視して第一強者を据ゑたのには各校殆ど変りがない。
 ◇但しこゝで尚考へなければならぬことは、平地を走って強い者が、必ずしも山路にも強いとは言ひ難く、從ってこの反対の例も見逃せないし、完全な正式の競技場で優秀な成績を挙げる者でも、郊外の田舎道を走ると案外弱いこともあるなど、かう考へると走者の配列といふことは、デリケート過ぎる程デリケートなもので、これが事実の上に於ては、駅傳の勝敗を決する重大なポイントとなっているのである。
 ◇況して作戦の微妙を必要とするこの競争に、今度は特に例の大震災のため、湯本宮の下間の道路が崩壊し、工兵隊其他の作業により、工事は幾分復旧したとはいへ、走る選手としての苦心は一と通りであるまい。この点からいふと、第五回の駅傳競走こそは、大正九年の創始以来の大混戦を現出すべく、二年続けて優勝した早大が、長距離に於ける傳統的強みを今度もまた傾倒して、三年優勝の新記録を作って優勝旗を永久に持去るか。他校もまた早大をしてかゝる暴威を許すべき筈はない。けだし明春初頭を飾る運動界の一大警鐘となるであらう。 

第壹卷 第十二號 大正十二年十二月廿三日発行

     

〔写真〕 
 ・上野音樂学校の演奏会
   安藤幸子女史の『競奏曲第五番』ヴアイオリン独奏新敎授バルダス氏の伴奏で(十六日音樂学校にて)
 ・いっせいに歳末賣出しを始めた復興の巷
   あらまきの着荷 新魚河岸の大景気
   好況の神田神保町通り
   日本一の大混雑 本所厩橋の此の頃
 ・少年ケレー君の打球練習
   ホームラン王のベーブ・ルース君のコーチを受けて
 ・花賣のパブロバ夫人
   関東罹災者のために慈善舞踏会を十六日大坂ホテルで開いて

〔蔵書目録注〕
  上の写真や説明は、『週刊 寫真報知』掲載のもので、そのごく一部である。



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