蔵書目録

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「小倉末子嬢 ピアニスト小倉嬢獨奏會記念」 絵葉書 (1916.7)

2012年11月22日 | ピアニスト 2 小倉末子

 

 写真の下には、「小倉末子嬢 三木楽器店 神戸市元町三丁目」とある。14.2センチ。
 切手を貼る所には、「ピアニスト小倉嬢獨奏會記念」とある。

 下は、日本語版および英語版の『新築記念帖』〔昭和九年:一九三四年 神戸女学院〕にある小倉末〔第二十七回音楽部卒業生〕の履歴などの記載である。

     ヨハネス・ブラームス像牌 (在音楽館)
        第二十七回音楽部卒業生小倉末記念


 明治24 2月6日生誕。 ※ 東京生れ、大垣に籍 〔蔵書目録注〕
 同 38 神戸女学院普通科に音楽特科生として入学。  
 同 40 同学院音楽部の創設と同時に之に転科した。
 同 43 同校卒業。 
 同 44 東京音楽学校に入学。
 同 45-大正3 ベルリンの王立高等音楽学校に在学。大戦勃発の為同地を去つた。
 大正3-5 米国滞在、音楽会に出演し、後半はシカゴに於てピアノを教授した。
 同 5 帰朝、東京音楽学校に奉職しつゝ音楽会に出演、現在に至る。
    正五位勲六等。
   小倉末女史は八歳の時から本学院音楽部の創設者ヱリザベス・ターレーに就きピアノを始めた。大正10年その師の逝去をきいて、記念演奏会を思ひ立ち、大正11年10月本学院講堂に於て同窓会主催の下に之を開いた。
   その収入は、当時同窓会が募集してゐた新敷地購入資金に寄贈した。このブラームス像牌はその後、前述の寄附記念として音楽館に設置されたものである。

      MUSIC BUILDING
    BRAHMS MEDALLION
      In honor of

    Sue Ogura, pianist
  Kobe College Music Department, Class of 1910


 Born February 6, 1891.
 1905, enterd Kobe college Academy as a part-time student specializing in music.
 1907, transferred to the Music Department when it was organized.
 1910, graduated.
 1911-12, studied at the Tokyo School of Music.
 1912-14, studied at the Royal Conservatory in Berlin, leaving after the outbreak of the Great War.
 1914-16, in the United States, giving concerts and the latter year teaching piano in Chicago
 1916, returned to Japan. Has been giving concerts and teaching in the Tokyo School of Music ever since.
 Holds the Six Order of Merit and the fifth rank of the senior grade.
  Miss Ogura began at eight years of age to study piano with Miss Elizabeth Torrey, the organizer of the Kobe college Music Department. On learning of Miss Torrey’s death in 1921, Miss Ogura planned to give recital in her memory. This was done on October 27, 1922 in the Kobe college hall, under the auspices of the Alumnae Association. The proceeds of the concert were given to the Alumnae Land Fund to help purchase the land for the new building, and the medallion of Brahms was later presented to the Music Building in memory of that event.

 ○ ゴットシャルク (ゴッチョーク Louis Moreau Gottschalk:19世紀 米国)
   「最後の望み」(最後の希望 The Last Hope : Religious Meditation   1854年)

      

 上の写真は、改訂版の楽譜表紙(1856年)及び見返し 

 

 ピアノのトーンに就いて 小倉末子

 我々は此忙しい生活を致して居ります間にも、音と云ふものと離れられない関係を持て居ります。それが即ち聴力の必要な大原因で心地よい音も聞きますが又不愉快な思はず耳を覆ふ様な場合も往々御ざいます。何れも音ではありますが前者は音楽的でありまして鳥の声、木々のさざやき、小川のながれ、寺院の鐘の音等皆聴て心を澄す心地が致します。後者は申までもなく非音楽的なものであります。
 外国の社交会では普通の会話にも音楽的なクルティウェートされた声を用ひ、地声で話すのをヴㇽガとして直ちに其人の社交的教育の程度を批判されると申します。
 偖 さ て音楽は芸術の最高のものでありますから単に心地のよい音を現はすのみではありません、その音と云ふものに最大の注意を払う必要がある事は亦明かであります。
 音楽は声楽と器楽の二つに分れて居りまして感じのにぶい人に最も感動を與へるのが声楽であります。それは声のよい悪いが誰にも容易に解り易く且詞歌が伴ふ為でありませう。
 天より賜つた如何なよい声でもそのまゝでは音楽的価値に乏しいのであります。その声を音楽的に美しく発声する事を学び、芸術の理解を得て初めて人間の霊を魅する力を得るのでありませう。殊に声の性質が大切で音量は第二であります。
 声楽に続いて早く感動を與へるのは器楽中でも絃であります。例へばワ〔濁点あり〕ァイオリンに就て申ますれば、詞歌はありませんが声楽とよく似て一つの音に於て美しいクレシェンド及ディミニュエンドが自由に出来るのみならず、メロディーを思ふ様にあらゆる感情を表はしつゝ奏する事が出来るのであります。そこが絃楽及声楽の長所であります。けれども絃楽は声楽と同じく只音を出すだけでは其特徴を発揮する事は出来ませんのみならず美しい音を出すと云ふ事に於ては声楽以上の努力を要します。何故かと申しますれば楽器及即ち死物によつて生命のある音を作り出さなければならないからであります。
 これに反してピアノは多数のキーがありまして、どれでも打てば音が出るのでありますから、甚だ容易な様でありますが、それでは単に音を発するのみに過ぎませぬ。
 ピアノは現在ある楽器中最複雑で且つ完全に近いものとされていますだけに、その長所も他の一楽器では到底真似る事が出来ないのであります。従つて音楽的音(トーン)に就き努力を要する点が種々ありますが、取分け其著しいものは次の二つであります。ピアノの長所は自由にハーモニーを現はす事が出来る事で、スィムフォニーのスコーアでもピアノでは弾く事が出来ます。
 ハーモニーに豊富なだけ曲も複雑になります。例へばベートヴウェンのソナタの大部分はオルケストレーションが出来ます。従つてオルケストラ中の種々の楽器即ち、バス、セロ、ウァイオリン、クラリネット、オボー、フルート等の音を現はし、それ等の色彩を加へなければなりません。それには以上列記致しました各楽器及其配合を知る必要があります。これ等をよく知った上に非常の努力と研究を以つて始めて其目的に達し得るのであります。ピアノ研究者がオルケストラと親しみを得なければならない理由はこゝにあります。
 ピアノの短所は声楽や絃楽に反し、一打鍵を以つてクレジェンド及ディミニュエンドを自由に行つたり、或は一音を伸したりする事が不可能である事であります。サステイントペダルは限られた場合の一音のみを伸す為に用ひられるのであります。其短所を補ふ為には一音の打ち方、及それに伴ふ和声の補助によつてクレシェンド及ディミニュエンドの印象を與へねばなりません。勿論此場合に於てペダルは非常な助となります。斯様な困難な事を巧みに行ふ事が非常な努力と研究を要する第二の理由であります。
 これ等の困難があるにも拘らずピアノ研究者は音(トーン)と云ふ事に兎角冷淡であるかの様に思はれます。それはピアノなる楽器が鍵盤に触れさへすれば非ピアニスティツクなテクニックでも発音するからでありませう。尚他の一つの理由は余りテクニックに捕はれ過ぎて音楽の真髄とも云ふべき、音は即ち一種の言語である事と、音の色彩を以つて音楽を描写しなければならない事を忘れて居るからではございまますまいか。美しい発音は語学のそれと同じく一朝一夕になし得るものではありません。ピアノを研究する方々は日常の練習にも其辺に留意して努力研究する事が最も必要であると申上たいのであります

 上の文は、大正十二年 〔一九二三年〕 一月一日発行の『詩と音楽』 新年号 第二巻 第一号 発行所 アルス に掲載されたものである。

 

 音楽で名高き三女史 

 ピアニストとして有名なる小倉末子女史と令姉マリヤ子の君。-女史邸にて。

 上の写真と説明は、大正八年〔一九一九年〕 四月一日発行の『淑女画報』 第八巻第四号 のものである。この号には、下の文もある。

 訪問印象 現代名流婦人一百人(四) TOK女

 小倉末子女史

 非常に輪廓の鮮やかな、強みのあるお顔立で、一度お目にかゝつたら、何千何百人の婦人方の間にでも決して見逃しするやうな事はない、印象の深い方です。洋装の時は水色か純白、日本服の時は黒の地質がお好みで時々華やかなオレンヂの帯なんかお締めになる事もあります。弾奏に於ては恐らく日本の楽壇で第一人者でありませう、女史のテクニツクは非常に鮮かです。何を弾いても、どんな難曲を弾いてもそれを統一する丈けの理解力を持つてゐらつしやる。日本の楽壇、妙に狭くるしい官僚主義を真向に振りかぶつてゐる日本の楽壇で、この立派なピアニストを割合歓迎しないとは何うした偏見でありませう。官僚主義を薙ぎ倒せ、そして世界の広い公平な眼を以つて芸術の花を愛せよと、ピアニスト小倉女史のために叫び度い位です。

   

  ピアニスト 小倉末子 Miss Suyeko Ogura, pianist.

 上の写真と説明は、大正十四年〔一九二五年〕 一月十五日発行の『アサヒグラフ』 新年増刊 婦人号 の 楽壇の明星(一) のものである。



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