日本の洋琴製造者
日本が過る数年間になせる工業上の大進歩は人をして驚嘆に堪ざらしむるものあり、何れの方面に於ても其国民が容易に西洋文明を適用するの力量を示しつゝあり、今やピヤノ及びオルガンの製造も亦進歩的日本人の注意する所となれり、勿論オルガンの製造は既に幾年かの以前より之に従事したる者あれども、ピヤノの製造に至りては、此度松本新吉氏なる人物が之に着手せるを以て其嚆矢となす。
松本氏は嘗て数箇のピヤノを据付たる経験より、自ら進んで此ピヤノ製造に関する一切のことを熟知せんことを志し、此目的を齎らして米国に来り、東西諸州の数多き大製造所を巡覧せり、其紐育に来るや間もなく有名なるブラドバーリのエフ、ジー、スミス氏に遇ひ、氏の懇篤なる薫陶の下に、委さにピヤノ製造の技術を学び、終に調律の業をも卒ふるに至れり、スミス氏及び氏が製造所の総理は共に大に松本氏の力量を称賛しつゝあり、松本氏は其以前と雖も既に日本に於て、最も調律のことに通じたる者として知られ、暫の間は殆んど日本唯一の調律者たりし者なり、今や即ち新に其本国に帰り、ピヤノ製造の上に熟練の技を現はさんとす、其目論見は米国風のピヤノを日本向きの大さに製造するにあり
米国のピヤノ製造者は、東洋に於ける此最初のピヤノ製造を、深き注意を以て視察すべきなり、或ひは日本人民は音楽的の国民にあらずと云ふものあれど、東京に於ては夙に音楽学校の設ありて、多くの日本学生が之に充実せる如きは、以て其如何許り音楽を愛好するかを示すものなり、亦日本の貴婦人は西洋風の音楽、楽器を愛好するが故に、亦速かにピヤノを用ふるに至るべし、ピヤノの五箇のオクターブを有するものは、恰かも日本の家屋に適するものなり、蓋し米国風大形のものは、日本家屋に適せざるが為なりと云ふ
(紐育ミュージック、ツレード、レビュー)
上の文は、明治三十五年〔1902年〕一月廿一日発行の『出版月報』 第三号 雑録 出版月報社 に掲載されたものである。
なお、同号には、下の新型オルガンの広告も掲載されている。
謹賀新年
遊戯用教授用新形風琴披露
遊戯用風琴ハ欧米両式ノ長所ヲ採リ我国ノ風土ニ適スルヨウ制作シタル古今未曾有形(従来我国ニテ多ク仕用シ来リシ米国式室内風琴装飾附トハ異リ)平形ニテ重量軽ク発音強大ニシテ優美(音笛袋等ハ米国最上等実ニ五十年ノ仕用ニ耐ユルモノ)調律ハ米国ニウヨークブラッドヴェリ楽器製造会社ニテ第一位ノ修業証書ヲ得タル所主担任スレバ其音律ノ正確ナルト永久音調ノ狂ハザルコトハ比類ナカルベシ
楽器目録進呈 要郵券二銭
東京市京橋区新湊町五丁目一番地
ピアノ、ヲルガン製造所主
米国音楽得業士 松本新吉
電話新橋二二九八番