蔵書目録

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「楽聖グノー百年祭記念大演奏」 (1918)

2012年11月23日 | ピアニスト 2 小倉末子

    

 音楽学校に於ける楽聖グノー百年記念大演奏会

 音楽春秋会の主催に係る楽聖グノー百年記念演奏会は大正七年 〔一九一八年〕 三月二日上野なる東京音楽学校で開かれたが春の音楽期に於ける記録を破る程の大盛会であつた。来会者仏国大使夫妻始め貴紳淑女の群は楽堂に溢れ、先づ横枕新楽長の指揮する海軍々楽隊の演奏多大の興味を以て迎へられ武岡鶴代の独唱、小倉末子女史のピアノ独奏、芝杉山東儀多四氏の絃楽四重音等何れも大喝采を博したるが殊に花の如きルマノフ夫人とカール教授のピアノ二部合奏は満場唯一人其妙音に魅せられぬものはなかつた、最後は海軍々楽隊の管絃楽「フアス」〔ファウスト〕七種の大連舞の演奏があつて同会は耳に美しき印象を残して散会した。写真は当日の演奏者右より小倉末子、ルマノフ夫人、横枕海軍々楽長、長坂好子、武岡鶴代子、原みち子である。

 A memorial concert was held at the Tokyo Music School.

 上左の写真と説明文は、『写真通信』 第四十八号 大正七年 四月号 に掲載されたものである。

 楽聖グノーの百年祭記念大演奏会 

Great memorial concert of Gounod, the French composer.

 独逸の楽聖グノーの百年祭記念演奏会は大正七年三月二日午後東京上野の音楽学校に於て催された。グノーの写真を美々しく飾った前で小倉末子女史のピアノ独奏、芝、杉山、東儀、多四氏の弦楽四重奏は共に大喝采。次で花形ルマノフ夫人とカール教授とのピアノ二部合奏は当日の白眉であった。尚最後にグノー傑作中のファウストは管絃楽で奏せられたが当日の入場者は千五百、近時稀に見る盛会であった。写真は当日音楽会の光景で右より小倉末子女史、ルマノフ夫人、横枕楽長、長坂好子嬢等である。

 大正七年三月、在東京上野音楽学校、開徳国楽聖顧納百年祭記念演奏会、由右方起、小倉末子女史、魯瑪諾福夫人、横枕楽長、長坂好子嬢。

 上右の写真と説明文は、『歴史写真』 第六十号 大正七年 四月号 に掲載されたものである。

  

 体育に注意する独逸の女学生 東京音楽学校教授 小倉末子

 独逸の女学生の夏の生活!其れはなかゝ面白うございます。平生は側目(わきめ)もふらずに専念自分の研究に没頭してゐますので、夏休みには身体を主として、涼しい郊外に運動するとか遊戯するとか、多くさうした方面に日を送り、学問とか研究とか云つたものからすつかり離れて頭脳を空にして遊ぶのでございます。

 ◎緑蔭に端艇 ボート を浮べ庭球を遊ぶ

 独逸では六月が割合に暑いので、夏休みはこの月から始まります。私は重 おも に伯林 ベルリン に居りましたが、日本の夏に比べると幾らか涼しくはありますが、町には舗道に敷きつめたアスファルトの照返しでかなり暑苦しく感じられます。それで多くは思ひゝに避暑地へと出かけます。こんな風で十一月頃から翌年五月初旬頃までは音楽会 オペラや其他の催しがあつて華やかな交際の季節になつてゐるのですが、夏になると都はひつそりとなつて、避暑地が賑かなにるのでございます。
 女学生は名目の家の経済状態で行く先は一様ではありませんが、何処かしらへ出かけます。或は遠く端西 スイス あたりへ出かけて風光明媚な山水に思ふ存分接して平生の疲れを休める者もあれば、亦伯林から程近き郊外、ザクセン王宮の所在地で且 かつ は名所旧跡多いポツダムなどに遊びます。そして湖水や河にモーターボートを浮べ、或る時は端艇を操り、運動場に出て庭球やゴルフ等の遊戯に耽ります。その快活な様子は見てゐても気持よく思はれます。服装の関係もありますが、活発な運動を自由にする事が出来て、登山等をする人も大分あります。道を歩いてゐても私共日本の婦人では追付ない位よく歩きます。

 ◎独逸婦人の強健は平生の資 たまもの

 私は音楽学校に居たのですから、他の学校の様子は余りよく存じません。私共の先生はお一人で十一人位の生徒しか受持たれないので、総べての方面に細かく気をつけていたゞくことが出来ました。就中 なかんづく 体育には絶えず注意して下さいまして、一日の中でも必ず一度は運動しなければと云つて散歩や遊戯をお勧めになりました。夏休みになる一寸前には伯林を少し離れた景色の善い所にお招き下さいまして、楽しく一日を遊んだ事もございました。
 こんな風に彼地 あちら の女学生はよく運動する事と云つたら、とても日本婦人の及ぶ所ではありません。独逸の婦人が強健なのは斯 こ うした平生の注意が與 あづか つて力のある事を思ひます。私なども彼地に居りました際にはよく運動しましたが、さて帰つて来ますと運動する設備も充分備つてゐない為でもありませうが、運動する機会が無いので少し歩くと疲れてしまひます。日本の習慣として女が一人で唯ぶらゝ町を歩いてゐるのも何だか変に思はれますので、つひ運動不足になつてしまひます。

 ◎設備の整うてゐる海水浴場

 それから又海水浴も盛んに行はれて、誰でも自由に行ける所ではまるで人の海かと思はれます。風光明媚な瀬戸内海あたりの海岸は彼地には見当たりません。それでも入場券のいるやうな所は設備もよく出来て居ります。海岸の砂地に行つて見ると、身体に日光の直射しないやうに出来た椅子が幾つもあつて、海に入らない人でも子供を伴れて遊んでゐます。着物を脱ぐには車の附いた箱のやうなものがあつて、其の中ですつかり海水浴衣に着更へて車を水の中まで入れる事が出来ますから身を人の前に見せる事なく水の中に入つて行けるのでございます。

 ◎忘れられぬ独逸の夏の思出

 瑞西あたりへ避暑に出かけるのは先づ贅沢な方で極く質素にいたしますには伯林に近い田舎の旅館か農家などの一室を借りるのです。彼地では町から避暑に行く人を喜び迎へて深切に世話して呉れます。それから伯林から遠く離れぬ処にスプレーウオルドと云ふ水の清い河に沿うた道には日本の櫻のやうな樹の茂つてゐる村がありました。其処にはスプレーウォルダリングと云ふ昔のまゝの優美な服装をした婦人がゐて、伯林あたりでは其処の婦人を子守に雇ひました。頭に美しいレースの頭巾を被つた婦人の姿の見える並木道に沿うて、半日位流れを舟で上つたのも今に忘れぬ思出の一つであります。

 上の一文は、大正七年七月発行の『女学世界』 七月号 第十八巻 第七号 に掲載されたものである。

 

 海外の誌友 伯林小倉末子

 上の写真と説明は、明治四十五年八月発行の『淑女画報』 第一巻 第五号 に掲載されたものである。



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