表紙には、「鉄道画報 第貮巻 第貮號」とあり、目次も左下にある。奥付には、「〔明治四十五年:一九一二年〕 二月一日発行 正価金拾銭 発行兼編輯人 山田保次郎 発行所 神戸市相生町二丁目五番屋敷 鐵道畫報社 大阪市東区横堀三丁目八十四番屋敷 鐵道畫報大阪出張所 電話本局八六五番」などとある。38センチ、14頁。
写真〔口絵〕
・紀元節と初午 :小松宮彰仁親王殿下御筆、大和畝傍山橿原神社、山本春擧画春駒、〔日章旗を持つ子供三人〕 4枚
・むろ咲の梅 :彦根楽々園の盆栽、東京おはん 新橋せきや、伊賀上野大勢桜の盆栽 3枚
・神詣で :伏見稲荷神社、熱田神宮、琴平宮奥社、神戸柳原すゞ吉、防州宮市松崎神社、大阪天満宮 6枚
・花競べ :〔全国各地の芸者8人の写真〕 8枚
・九州めぐり :〔九州の名所と三人の芸者の写真〕 6枚
・花の香 :〔近畿の芸者6人の写真〕 6枚
・東風 :〔近畿中国の芸者6人の写真〕 6枚
・嫁に行く人 :暇乞い、立姿、輿入、御挨拶、床盃 5枚
記事
・秋濤漫筆 長田秋濤
:自然と戦ふ鉄道、鰐船、鉄道人形
・東西の新聞雑誌(一) 覆面漢 〔文中には芸者の写真6枚あり。〕
一
○「南船北馬」といふ句も古い奴ではあるが、大阪東京の間を汽車で往復したり瀬戸内海を汽船で渡る者が畢竟南船北馬の人なのである、その南船北馬の人、即ち小大の旅行家にとりて、最も痛切の趣味と必要を感ぜしむるものは、蓋し新聞と雑誌であらうと思ふ。
○諸君は種々の新聞雑誌に御懇意を有して居らる々だらう、地方新聞もあり、大阪新聞もあり、はた東京新聞もあらう、雑誌にしても左様である、併しその新聞なり雑誌なりの如何なる人によりて作られ如何なる手段によりて売られ、如何なる人物によりて画策され、如何なる勢力と発行部数を有してるかを御承知の方は稀であらうと信ずる。そこで私が新春の屠蘇酒に酔ひたる興に乗じて、一番スッパ抜きを御目にかけやうと思ふ、勿論私は其道の人との関係上から間違ひの無い所を知ってるのであるから、十中の八九迄は御信用ありて然るべしと申上げておく。
二
○先づ雑誌から遣 や る、東京の雑誌から始める、東京の雑誌と一口に云へど、数は中々沢山あつて各自に弱肉強食の活戦混線苦戦真最中であるが、最も多く売れて世間の評判を惹き易いのは、申すまでもなく小説雑誌である、純然たる小説雑誌以外のものでも小説を載せぬものは殆んど無いと見てよい。
○小説雑誌と一口に申せど、此の小説とは古き意味の小説であり又新らしき意味の小説でもあることを御承知願ひたいのである。
○古くより小説雑誌として売れてるのは、博文館の文藝倶楽部であつて此の雑誌は、殊に能く下流社会に捌けるのである。下流社会とは決して軽蔑の意味で云ふのではなくして、つまり芸者屋とか床屋とかいふ娼妓の方が多く読み、政党者流よりは仲仕 なかし や芸妓が多く見るといふ理屈になる。
○若し文藝倶楽部を手にして、「芸妓写真の多いには呆れる」などゝ云ふものがあらば、それは編輯者の目的のどんな処にあるやを知らぬ人である。彼は出来るだけ俗に俗にと俗一点張りなのである。
○小説以外に講談もあれば落語もあるといふ風で、その又小説もなるべく猥褻がゝつた一寸うつとりさせるやうなやつを載せて、当今一部に流行の二度や三度考へてもわからぬ新式の小説は決して掲げぬといふことが、憲法の第一義になつている。
○だからハイカラ書生なんかは、文芸の小説は古くていかぬなどゝ云ふけれども、こゝが却て大 おほい に仲仕や女中や小間使や妾やお酌や理髪店の職人など云ふ連中に受けるのである。
○文藝の編輯は、博文館でも粋の粋の粋通の通の通人がやつてるのだから、俗向きに出来るのも最もだ、その編輯主任の誰とか云ふた(一寸忘れたが)は月給の外に遊び料として毎月百円貰つてるさうだ、各記者達も別に芸者買ひ代として参拾円宛 づゝ 毎月貰ふのだ、粋な種が取れるのも最ものことなり。
○目下の文藝の発行部数を窃 ひそか に聞けば、六万とのことである、下流の女相手も悪くはないと誰やらが云ふた
○六万の発行高は、日本の斯界に於ては、確かに威張れるもので、これだけ出れば、大なる利益が挙がるに相違ない、随分文芸を真似た他の奴が現れては隠れ、出でゝは倒れる所に、此の雑誌の潜勢力が在るのであらう。
○文藝倶楽部に似て非なるものに新小説がある。春陽堂で出してるのだが、之も昔から文藝と相対峙して戦ふて来た古い経歴を持つて居る。
○新小説は、なるべく中流社会に受けるやうに作るらしい。口絵でも小説でも、其他の記事でも皆中流社会向きに出来て居る、殊に近来は、文藝が依然として昔よりの態度を改めぬに反して、益々趣味の程度を高くして、小説も大分新式のものを入れるやうになつた。
○中流社会向きと云へば、大分出さうに聞えるが、実に文藝の半分と云ふことである、最初は大分景気が宜 よ かつたものだが、近時他に色々新しい小説雑誌が出て来てから、どうも形勢があやしくなつた。畢竟春陽堂の家運が非境に陥つたのと、編輯者に内訌があつたのに由 よ るらしい
○一月号の新小説を見ても、旧家に似合はず大分アセツてるところが見える。文藝が大膽に横行闊歩してるのに比すると、何となく気の毒。
三
○新しい小説雑誌として幅を利かしているのは、三田文学とスバルである。此二雑誌は最新の文学小説を標榜して、天下三分の一の青年者流を味方にしてると大声で怒鳴つてる。
○三田文学は、永井荷風、スバルは森鴎外で売れるのだ。荷風は米仏から帰朝して以来、旭日沖天の勢で文壇を風靡した代物、鴎外は明治初年の文豪が復活した怪物。
○一は頻りに仏蘭西を振りまはし、一は独逸を振りまはす。振りまはすのは同じだが、内容は全然違ふ、違ふけれども新しい点に於ては同じことだ。
○大阪の如き商業地ですら此両雑誌が最も売れるといふのだから、其景気の良いことはわかる。両者とも三万は捌けるさうだ。
○其外に小説雑誌として殊に挙げたいのは、殆どない、博文館の文章世界(発行高一万七千)早稲田派の早稲田文学(発行高六千)赤門派の帝国文学(発行高七千)などにも小説はあるけれども、要するに小さい文学雑誌に過ぎぬのであるから、茲には云はぬ。
四
○小説雑誌でもあり、政治雑誌でもあるといふ両股主義、甘いと辛いのを半々にうまく盛って、非常な勢力のあるのは、中央公論である。
○此雑誌は、東本願寺から金を出してる曰くつきのものであったが、再昨年から、どんな理由からか国民新聞の徳富貴族議員の手を通じて大浦系から金が出ることになった。
○両股主義えはあるが、むしろ小説雑誌として見る方が良いほど、毎号小説に力を入れて居る。
○新しくして而も俗受けのする小説は、ちょい此の雑誌によりて紹介さるゝのである。
○今度定価を引上げて貮拾五銭いしたところにも、景気の良い理由がわかる、編輯の仕方が実に巧妙で、垢がよくぬけてるから、青年と中年両方に歓迎される。
○発行高十万と号してゐるが、実は六万位のものだとのことである、兎に角恐ろしい人気だ、博文館辺でも中央公論には一目を置いてるさうな東京の雑誌記者の中で、一番勢力のある信用のあるのは、太陽と日本人と、中央公論だそうな。
五
○政論雑誌として大きいのは、目下のところ、日本及日本人の右に出るものはあるまい。
○博文館の「太陽」も大分古い雑誌で信用も大分に在るとのことだが、現在の勢力に於ては、到底日本人には勝てぬ。
○日本人の発行高は驚く勿れ十万である。三宅博士は嘘をつく人ではないからほんまだらうよ。
○三宅さんが董督 くんとく して、今度支那に出懸けた伊東知也といふ人が編輯の主任をやる。此男は犬養毅の子分で大の犬養崇拝家である。東京の政界でも一寸名を知られてる人だ。
○三宅といふ人は、あれで中々商法が上手で、日本人の挿絵や漫録めいた記事などには余程苦心して万人向きのものを選択する、社説や論説の題号などもなるべく俗を動かすやうな奴をつける、例へば「有名無実、無名有実、有名有実、無名無実」なんかゞこれだ。
○今年の新年号は大受けて再版するといふ好況。
○然し日本人の売れるのは、一は碧梧桐の俳句で売れるのだとの説もある、つまり俳句と三宅さんの文で売れるのだから、三宅さんと碧梧桐が死んだら日本人はオヂヤン、片方一人が死んでも矢張オヂヤンに相違ない。
○東京日々新聞に居る鵜崎鶯城といふ人物評論家が、近き将来に日本人の編輯主任になるとの噂がある、或はほんまかも知れぬ。
六
○日本及日本人に追随して大評判なるは、国民雑誌である。
○此雑誌は、例の山路愛山が遣ってるので、必ずしも政論雑誌ではない 一口に申せば、通俗教育的のものであるが、之が中々うける。
○殊に信濃国の青年にして此雑誌をよまぬ者は一人もないといふ事である。愛山は信濃毎日新聞の主筆をしてゐた。当時、大に同国青年の崇拝を受けた事実があるのだ。
○愛山と申す人は、哲理の士でまだ歴史家ではあるが、あれで中々世間の事に通じてゐるから、雑誌編輯もうまいのだとの評だ。
○国民雑誌の今日の成功は(発行高五万)、は斯界で誰も予期しなかったのだ。
○我輩等は、ナンナ切抜雑誌がどうしてそんなに売れるかと不思議でたまらぬ。
七
○同じ新らしい処で矢張り大評判なるものに大隈伯の「新日本」がある。
○富山房から出す、富山房と聞けばすぐに広告術の上手者と思はせる店だ、此間出した「官僚政治」といふ本は、麗々しく後藤新平著などゝ広告したものだが、実はアレは新平男爵の子分がやったのへ、男爵が序文を書いた迄のことだ。
○富山房の広告術にあてられて「新日本」の読者も大分出来た、目下発行高七万と号してゐる。大隈さんのことだからホラが半分と思へば間違はない。
○然し編輯方法はまだ油がのらぬ様子で、アラが見江ていかぬ、第一高等学校の教授をしてゐた畔柳文学士が主任だけに、どうも所論と主張が新らしくなく「新日本」の名に背くことが往々ある。
○現在の内容では、まだゝ己れの敵ではない、と博文館の太陽主筆の浅田江村が云ふてる。
○部数は多いが費用倒れになりて、中々利益があからぬことは、事実也
○富山房の「新日本」編輯室では、昨今こんな議論が上下されてゐる「中央公論式に小説を入れたらどうか」。
○ナルホド今のつまらぬ創作ならばむしろ無い方がよい。
八
○太陽の偉大なることは云ふまでもない、上流社会に売り込んだ許りでも非常なる信用と利益といものだ、況んや少しく有識の人で太陽を見ぬ者は先づ無いといふてよい。
○しかし博文館では、此雑誌を参拾銭ではあまり儲からぬそうだ、博文館だからこそ参拾銭の廉価でうれるとも云ふことが出来る。
○華族社会などでは、(例へば近衛家などでは)、太陽の刊行する限り購読するといふて、数年分の代価を収めて置くさうだ、上流社会にはこんな例が沢山あるのだ。
○上流社会をうまく捕へ得た所に太陽の強味があるのである。而して之は全く死んだ大橋乙羽の遺功である
○太陽の壘を摩し得るものは先づ無いと見てよい、其の信用に於て。其の内実に於て。其の紙数に於て。
九
○太陽の浅田主任は、月給百五拾円貰ってる。「新日本」の畔柳主筆は、月給百貮拾円、手宛五拾円貰ってる 山路愛山は「国民雑誌」で毎月貮百円を得、三宅博士は「日本人」から毎月貮参百円の純益金を見るそうだ。
・ひさの女史〔堀ひさの〕と青蘭女史〔川邊もと子〕 □△生
・嗚呼残骸の明石 聴秋閣主人
・支那人の佳謔 〔下は、その一部〕
瑞澂已如黄鶴去 此地空余黄鶴楼 瑞澂一去不復返 武昌千載長悠々
・平民的な東西の二温泉 伊豆の修善寺と但馬の城崎 漫遊博士
・高田早苗博士と語る 東京 花太郎 〔下は、その最初の部分〕
◎電話で面会時刻を約束した翌 あく る朝江戸川終点から車で、関口台町の高田早苗氏を訪ふた。門を入ると突当りが玄関で、女中が取次に出た。
◎面会時刻と日取が定ったが、今日は特別の面会日と見江て、通された座敷には既に一人の学生がゐた。座敷から見ると、広い庭は一面に青い苔が生江て来て、大きい葉桜の樹があり、木立も茂って森閑としてゐる軈 やが て主人が出て来られた。
◎肩書は早稲田大学々長である、そして文学士である。髪の毛にも白いのが見江てゐる、が眼鏡は未だ老眼ではないやうだ。
◎先客の学生に紹介状を買ひてやらるゝ『単に紹介したゞけでは効力が薄いから、何か利益になる事を書かう何が得意かね』と尋ねられる、学生は独逸語は一生やりたいと思ひますとか独逸の新聞位は読めさうですなどいふ。
◎博士はそれを薄い墨でサッサと書いて了 しま はるゝ『宅を知ってるかね、青山の』と訊かれると『知ってゐます』といふ、学生は斯 かく て辞した。博士は丁寧に女中に命じて送らせる。
◎今度は僕の番だ、机の上には能面が白絹に包んで置いてあった、『立派なお面ですなア』といふと『勧められるものだから買ひましたがね』と云って女中に『奥さんに収 しま って置けと云へ』と命ぜらるゝ。
◎話は色々の方面に飛ぶ、是れからが博士の声色である。エヘン
◎私は体が弱いから謡 うたひ をやりますが面白いものですね、今年の夏ですか現に健康も害して居りますから、一寸修善寺について四五日滞在して見やうかと思ひます。暑中休暇と云っても忙しくって子、修善寺から帰ると直ぐに、奈良の方の講演会に頼まれてゐるので……ユ、其方へも行かねばならぬし、ソレから北陸の講演会がある……これで却々 なかなか 忙 せは しいよ。
・新伊勢参宮記(中) 明治彌次郎兵衛、文明喜多八
:模範乗客、引張つてくれず、道なし家なし
・早咲きと遅咲きの梅 =今年は少し花が遅れる= 梅花書屋主人
・風烟日記(二) =芸州山中より= 鐵公生
広告 男子に対する希望 (一)男子に対する希望 (ニ)婦人衛生の研究が必要 〔この文は、中将湯の広告である。〕
・雅成親王の墓 浩洋生
:但馬豊岡駅附近
・男女二月の運勢 怪来師
・日本遊侠史(五) 蕪子
:(十四)丹波和泉太夫 (十五)剣客召捕らる (十六)腕の喜三郎 (十七)深見十左衛門 (十八)平井権八
日本郵船株式会社
欧州航路定期発着表 〔船名:伊予丸、平野丸、丹後丸、賀茂丸、安芸丸〕
横浜上海線定期表
米国航路定期発着日時表 〔船名:因幡丸、鎌倉丸、丹波丸、讃岐丸、阿波丸、佐渡丸、因幡丸、鎌倉丸〕
濠洲航路定期発着予定表 〔船名:熊野丸、八幡丸、日光丸〕
・七福神寶の入船 曽呂利新左衛門
・珍談笑話
記事中の広告には、キリンビールや白鶴などもある。
キリンビール
本邦麥酒の嚆矢とす 輸入防●の率先なり 世間の好評は嘖々たり 幾多名誉の賞牌を受領せり 滋養の豊富は比類なし
故にキリンビールは 飲むとは云はず 喰ふと云ふ
ボックヱール
〔白鶴の樽の絵〕 此酒ニ限ル
なお、、裏表紙は西部鉄道管理局の広告「神まいりと温泉行」である。