蔵書目録

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『帝国劇場案内』 (第二版) (1911.4)

2015年11月06日 | 帝国劇場 総合、和、洋
 

 帝国劇場案内  明治四十四年四月二十五日発行

 下は、その掲載の写真や記述の一部である。

       

 上の写真(左から):基礎鉄筋混凝土工事(四十一年八月)、鉄骨工事(四十二年九月)、屋頂「翁」の金像、帝国劇場全景、附属技芸学校出身の女優、劇場附管絃楽隊

 建築の設計  は工学博士横河民輔氏之を担当し、為めに特に欧米遠航して、親しく詳に彼の地の劇場建築を視察し、その得来たれる所を尽 ことごと くこの帝国劇場に応用したれば、蓋し世界に於ける進歩したる劇場建築の一なるべし。
 ルネーサンス  手法は仏蘭西に則り、建坪六百四十五坪余、軒高 のきたか さ前面に於いて五十二尺余、舞台所在部に至つては其高さ六十六尺、此部分に於いて地下室床上より屋根突針頂までの高実に百十一尺を算す。間口前面に於いて十七間、中央部に於いて二十五間余、奥行三十三間余、地下室を別として、地上に三階を構ふ。外部前面に備前伊部の
 装飾煉瓦  を貼し、屋根蛇腹には舞楽の面を模刻す。廂 ひさし は凡て鉄製にして、覆ふに橄欖色の塗料を以つてす。色彩の優雅なること、一見して直に快美の感を呼ぶに足るべく正面の屋頂には能楽
 『翁の舞』  の金像を建つ、西洋彫刻の名手沼田一雅氏の作にして、特に能楽の大家、松本長氏の演舞を模範としたるものなり。『翁』は舞曲の最も古く、且つ最も崇重なるものにして、天照大神を表し、天下泰平五穀豊穣を祈願する為めに演奏するものなりとの伝説あり。本劇場が『翁』の面を紋章とするもの、また演劇の本流を敬重し、国土と共に芸術の円満なる発達を遂げんことを祈るの意に外ならず。建物内部には
 大理石  を潤沢に使用しその壁の下方および柱脚に据ゑたるものゝ如き、之が良材の産地として世界に聞えたる伊太利より遠く特に輸入したるものなり。結構の善美威厳とに於いて、ひそかに欧羅巴の

 耐震の設備  と防火の装置とを加へて、此等来集者の身命を安固にするを要す。依りて、本劇場は地下十尺七寸乃至十五尺の深さに土壌を掘出し、三間及び三間半の松丸太一万数千本を打ち込みたる上、上部を一面に鉄筋混凝土を以つて固め、尚ほ建物の重量を軽減する為め鉄骨を採用したり。
 火災の防禦  に至りては、観覧席、舞台、場外に各二個の消火栓を備ふる外、舞台の前後に各一面のゲバー会社製鉄扉を備へ、過つて其一部に火を失するも、忽ち之を閉鎖し、建物を全然区分して以つて累を他に及ぼすことなからしむ。その他防火上主要なる窓及び出入口はケルショー会社製自働鉄戸を有し、火熱を受くると共に、人力を待たずして自然に閉鎖する装置あり。

 完全なる
 換気の装置  なくんば、衛生上未に観客の安を保し得たるものと云ふ能はず。仮令 たと ひ多数の窓開くも、空気自然の流通に待たば、到底不健全瓦斯の停滞を免る能はざるなり。依りて屋上に大旋風機を備へ電力を以つて之に一分間二百回転を與へ二万八千八百立方呎 フィート の空気を屋外に放出せしめ、盛んに其の流通催行す、寒冷の侯には、屋頂より攝取したる新鮮の空気を一たび地下室に導き
 温暖空気  となして観覧席の座下に送る。右は地下室に装置されたる、千二百八十平方呎の放熱全面積を有する鉄管に依り百二十度の温度に温めらるゝものにして、観客一人に対して能く一時間八百立方呎の空気を供給す。從つて観覧席は常に六十五度の温を保持し十分間に一度づゞ尽く空気を交換せしむべし。場内廊下およびその他の諸室には米国製
 放熱器  を配置し、同じく地下室より之に蒸気を送り、その冷却して露結したるものを集むる水管中には常に若干の真空を保持せしめ、蒸気の循環をして頗る平準ならしむ、為めに更に不快の音響を発するが如きことなし。夏季には総て三十個の
 扇風機  を備へ、観覧席左右の壁側より冷気を送り、且つ場内の換気を一層に催進せしむ。婦人化粧室には卓上に此扇風機を置く、洗面の後に、蓋し一倍の冷を覚えらるゝならん。此等設備の一端に由りても、当劇場の用意、自ら他の同種営業物と異なるところあるを知るべし。

 装飾  に善美を尽くし、観客に専ら快適の感を與へんことを期したり。換気、保温保冷等、衛生上の注意は既に遺さゞるが上に、観客の一たび観覧席に入るものをして、忽ち実世間と隔離し身は恍惚美神殿堂内にあるの思あらしめん為め、
 天井  の如き特に意匠を用ひ、中央に強力なる電燈を点じ、之を圍繞して十面の装飾画を配し、『虚空に花降り、音楽聞え、霊香四方に薫ず』るの光景を現す、即ち舞台前三面の大油絵、三保の天女
 霓裳羽衣  を為しつゝ、数多月界の天女に迎へられ、昇天するの図と連絡して、凡て謡曲『羽衣』の意に取る、洋画界の泰斗和田英作氏の筆に成る。街路の実生活より観客を舞台の別世界に導く最も恰当の構図なるを信ずるなり。この油絵を圍繞するに唐草模様の
 彫刻物  を以つてし、點綴するに楽器の彫刻を以つてす。彫刻は凡て『翁』の像と共に沼田一雅氏の製作にして、二階観覧席の前手摺 バルコニー には幼児遊楽の彫刻を施し、三階の同じ位置には花飾 フエス ン を刻す。三階欄間 フリーズ には又唐草地紋の上に高く香の図を浮彫りにしたり。尚ほ貴賓席の破風上には
 白鴿数羽  の彫刻物あり、宛然真に迫り、将に浮翔せんとするの勢を有す。舞台額縁に至りて彫刻はいよゝ其精を極め、中央に二羽の孔雀を刻し、之に劇場の紋章『中啓に翁の面』を擁かしむ。
 額縁  は幅八間余、高さ四間、西洋の舞台に比して稍や広く且つ低きは、我邦演劇の慣例を参酌したるに由るなり。上部に仏国帝政時代様の二重上飾を施す。濃緑色のテレムプ地に金糸の刺繍を加へたるものにして、一面に金糸の総 ふさ を垂らせたり。
 緞帳幕  は即ち之より懸かり落つるものにして、正副の二種を備ふ。淡紅色テレムプ地の下部に月桂樹模様金糸刺繍を施し、且つ同じ刺繍を縫目に沿ひ縦に数條加へたるものを正とす、三越呉服店の製作なり。副は高島屋の製作にして、図案家結城素明氏の意匠に成る、
 百花爛漫  たる花園の、鳥歌ひ蝶舞ふ間に上代の乙女子遊戯する華麗の図を、刺繍および貼縫 アツプリケート にて金糸入白茶斜子の上へ現したるものなり。華麗雅美、世に稀なる出来栄との評あり。貼縫と称するは縮緬、繻子、羽二重、琥珀、天鵞絨 びろうど 等、種々の織物を、その固有の地合と染色とを利用し、図の随処々に綴り縫ひたるものなり。

 別に舞台前、観覧席内に
管絃楽隊  を置き、演芸中または幕間に奏楽を行はしむべし。西洋の所謂オーケストラにしに、我邦には未曾有の者たり。本劇場は我邦音楽の開発に幾 分資せんとする目的を以つて、特に開場前より西洋音楽の大家ユンケルウエルクマイステル両氏に囑し、隊員の養成を為さしめたり。
女優  も亦た、男優と伍し専ら婦人役を演ずる意味に於いて、我邦に一新計画といふを得べし。歌舞伎の初期には男女並びて一舞台に立ち、男女その各 の役を演じたりしも、中頃制令に由りて禁ぜられ、男子の婦人役を演ずること久しきに及べり。到底不自然にして、観者に充分の
感興  を與ふるに適せず。本劇場茲に見る所あり、四十一年九月、川上貞奴等に囑し、資金を給して女優養成所を設立せしめたるが、後収めて之を本劇場の附属とし、組織に多少の改革を加へて、名称をも帝国劇場附属
 技芸学校  と更め、渋沢男爵を総長に戴き、西野、益田の両取締役理事として、演劇に必要なる諸種の芸術、学科を教習せしむること年あり、既に幾多の卒業生を出だすに至れり。多くは高等の教育を受けたる、身分ある人の子女にして、何れも
 新時代  の女優たるに適する素質あるを信ず


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