日本詩歌選 銭稲孫譯
目次
萬葉集 〔雄略天皇、舒明天皇、軍王、柿本人麿、太后、山部赤人、太宰帥大伴卿、山上憶良、志貴皇子、大伴家持他,下はその一部〕
雄略天皇御製歌
有女陟岡 携圭及筺 以彼圭筺 采菜未遑
之子焉居 我欲得詳 曷示我氏 毋使我徬徨
天監茲大和 悉我宅京 無或不秉我承 維以我爲兄
亦昭我氏名 卷一(一)
雄略天皇
籠もよ み籠持ち ふぐしもよ みふぐし持ち 此の岳に
菜採ます兒 家聞かな 名告らさぬ 虚見つ
山跡の國は 押並べて 吾こそ居れ しき並べて
吾こそ座せ 我こそは 背とは告らめ 家をも名をも
柿本朝臣人麻呂羈旅歌
言邁由鄙還 瞻國到明門 卷三(二五五)
山部宿禰赤人望不盡山歌
肇自天地分 神靈御駿河 尊嚴崇富士 雲天仰嵯峨
運日景爲翳 皎月息其華 白雲廻避過 凝雪常不摩
傳言其不盡 願永富士歌 卷三(三一七)
反歌
出從田浦仰富士 嶺巓凝雪長皤皤 卷三(三一八)
天ざかるひなの長道ゆ戀ひ來れば明石の門より大和島見ゆ
柿本人麿
天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる
布士の高嶺を 天の原 ふりさけ見れば わたる日の
影もかくろひ 照る月の 光も見えず 白雲も いゆきはゞかり
時じくぞ 雪はふりける 語りつぎ 言ひつぎ行かむ 不盡の高嶺は
山部赤人
反歌
田兒の浦ゆうち出でてみれば眞白にぞ不盡の高嶺に雪は零りける
山部赤人
和歌 〔後鳥羽天皇、在原業平、小野小町、凡河内躬恒、紀貫之、藤原俊成、西行、藤原定家、源實朝、賀茂真淵、小澤蘆庵、本居宣長、加藤千蔭、村田春海、良寛、香川景樹、大隈言道、橘曙覽、平野國臣、佐久倉東雄、佐佐木信綱、石榑千亦、尾上紫舟、金子薫園、島木赤彦、窪田空穂、長塚節、齋藤茂吉、高村光太郎、相馬御風、吉植庄亮、若山牧水、土岐善麿、柳原燁子、石川啄木、吉井勇、九条武子、内藤鋠策、土田耕平、大悟法利雄。最多は良寛の二十首。下はその一部〕
後鳥羽天皇御製歌
夜寒衾衽冷 念彼草檐風
後鳥羽天皇
夜を寒みねやの衾のさゆるにもわらやの風を思ひこそやれ
人間借使絶無櫻 何等長閒春日情 在原業平
花光看已改 閲歴我徒多 小野小町
心知是菊採還得 亂眼霜花未易分 凡河内躬恒
料已蕨肥春日野 聯翩白袖出遊人 紀貫之
松風値夜倍凄切 苔下何堪常此聽 藤原俊成
世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
心あてに折らばやをらんはつ霜のおきまどはせる白菊の花 凡河内躬恒
春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ 紀貫之
稀にくる夜半も悲しき松風をたえずや苔の下にきくらむ 藤原俊成
感激涕泗漣 莫知所以然 西行
願更有人堪寂苦 山村比舎共寒冬 西行
暗香蘊作霧濔天 蒙翳無邊春夜月 藤原定家
嶺越箱根伊豆來 波濤一波島間洄 源實朝
山崩海竭有時至 臣事君心寧有二 源實朝
何事のおはしますかは知らねども忝けなさに涙こぼるる 西行
寂しさにたへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里 西行
大空は梅の匂に霞みつつくもりもはてぬ春の夜の月 藤原定家
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ 源實朝
山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心われあらめやも 源實朝
古本得來非容易 丁寧爲補書衣 秋夜寒欺 佐佐木信綱
山林久凝竚 身疑亦一株 佐佐木信綱
からうじて我がものとなりし古き書の表紙つくろふ秋の夜のひえ 佐佐木信綱
山の上に立てりて久し吾もまた一本の木の心地するかも 佐佐木信綱
白鳥能無蕭索 天靑海碧都不着 但漂泊 若山牧水
此地更河山幾許 方是袪盡孤寂處 今朝依舊在征途 若山牧水
白鳥はかなしからずや空の靑海の靑にも染まずただよふ 若山牧水
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ國ぞ今日も旅ゆく 若山牧水
某在斯 神何次 夜森森 星閃時 柳原燁子
游子歸郷 方尋夢 已冬來 悄無踪 石川啄木
堪嗟 没生命的泥沙 剛一握 屑屑都從指間瀉 石川啄木
秋近矣 燈泡温燉觸指親 石川啄木
われはここに神はいづこにましますや星のまたたき寂しき夜なり 柳原燁子
旅の子のふるさとに來てねむるがにげに靜かにも冬の來しかな 石川啄木
いのちなき砂のかなしよさらさらと握れば指の間より落つ 石川啄木
秋近し電燈の球のぬくもりのさはれば指の皮膚にも親しき 石川啄木
俳句 〔松尾芭蕉、向井去來、服部嵐雪、高井几董、加賀千代、與謝蕪村、小林一茶、正岡子規、河東碧梧桐、高濵虚子,下はその一部〕
武士夢留夏草深 松尾芭蕉
明月也 繞池塘竟夜 松尾芭蕉
奔波濤 銀漢横天佐渡遙 松尾芭蕉
夏草や兵どもが夢のあと 松尾芭蕉
明月や池をめぐりてよもすがら 松尾芭蕉
荒海や佐渡に横たふ天の川 松尾芭蕉
淺間山 烟瀰漫 新葉從中煥 與謝蕪村
春濤鎭日懶洋洋 與謝蕪村
淺間山烟の中の若葉かな 與謝蕪村
春の海終日のたりのたりかな 與謝蕪村
孤雀毋哀 與我嬉來 小林一茶
忍打蒼蠅合掌拜 小林一茶
我と来て遊べや親のない雀 小林一茶
やれ打つな蠅が手をする脚をする 小林一茶
歌謠 〔梁塵秘抄、神樂歌、伊豆大島地方、信濃地方、伊豆地方、甲斐地方。下はその一部〕
淺間山頭煙向北 該住不住雨將來 信濃地方
淺間の煙が北へと靡く 今宵泊らにや雨になる 信濃地方
現代詩 〔島崎藤村、宮澤賢治〕
千曲川旅情歌
此地小諸故壘
白雲遊子興悲
滋草未靑回
欲籍乏芳菲
但山鋪銀錦被
溶雪淙淙淡日暉
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす繁縷は萌えず
若草も藉によしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る
陽煦非不暢
充野卻無香
僅春霞淺漾
麥綠纔秧
行人三五相將
往來畦上
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
漸暮雲遮斷淺間嶽
草笛空凄佐久謠
但借他近水樓高
聽千曲嘈嘈
幾盞濁醪濁
聊自客愁澆
暮れゆけば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
「落梅集」島崎藤村
雲的去向
披分秋海棠花
獨步庭前
仰看天空
行雲更闡得箇中玄
庭にたちいでたゞひとり
秋海棠の花を分け
空ながむれば行く雲の
更に秘密を闡くかな
「若菜集」島崎藤村
北国農謠
不畏風兮
不畏雨
耐得寒多
耐得暑
壯實身軀
澹無欲
嬉嬉鎭曰
不瞋目
糙米四合日三餐
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ
マケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ嗔ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
少許黄醬少許蔬
凡百錙銖非所計
但將聞見
記淸楚
大地悠悠松樹林
林中茅屋是吾盧
東家兒病
爲看護
西姥稻草
吾代負
南隣老人臨大限
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
往慰殷勤願無怖
北隣相爭成訴訟
勸毋爭訟傷情趣
早篤仰天涙空流
夏遇嚴寒●無措
人皆呼作木偶兒
不聞稱譽
不爲苦
如斯人兮我願之
如斯人兮
我所慕
行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
宮澤賢治 ミヤザハケンジ
作者小考 〔下は、その一部〕
萬葉集
和歌
小野小町 詩人,(三十六歌仙之一)小町其名,小野其姓,一説姓玉造。生歿不詳,其活動期總在第九世紀前半世紀。所作詩除「小町集」外,入勅撰集者合計六十三首,私撰集者數首。熱情,奔放,不羈,爲其特色。
西行 詩僧。原名佐藤義淸,生於元永元年,歿於建久元年、享年七十三(一一一八至一一九〇)。二十三歳時,官佐兵衞尉時,棄官及妻子入嵯峨爲僧。其後雲遊各地,關於其旅行之傳説多不勝記。所作「山家和歌集」,「西行上人集」,「御裳濯川歌合」一卷,「宮川歌合」一卷,「自讃歌集」等,選入勅撰集者總計一百四十二首。
佐佐木信綱 詩人。詩學家。乃國學者佐佐木弘綱之子,生於明治五年(一八七二),今年(一九四一)七〇歳矣。家學之外,並從高崎正風學,十三歳時入東京帝國大学文學部古典科,十七歳畢業後,即以普及日本詩於民間爲志,三十三歳被聘爲東京帝國大學講師,其後二十八年間主講和歌史,歌學史,歌謠史,國文學書史,萬葉集等,業績甚大。專門著作極多。四十歳時受博士學位。
俳句
現代詩
宮澤賢治 詩人。明治二十九年生於岩手縣,昭和八年歿,年三十八歳(一八九六-一九三三)。著作有「宮澤賢治全集」六卷,十字屋書店刊行。
北京近代科學圖書館編輯部編
跋
中華民國三十年一月十一日
周作人識
跋
昭和十六年一月廿四日夜
山室三良
昭和十六年四月三十日發行
発賣所 文求堂書店