蔵書目録

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「下岡蓮杖 全楽堂、撮影旅行振り」

2012年10月12日 | 人物 作家、歌人、画家他

   

 安政六年開業したる本邦最初の写真店全楽堂 〔上左の写真〕

 Photographic studio first and foremost in Japan established at Yokohama by the late Renjo※ Shimooka by whom photography was first introduced into this country.

 今日でこそ如何に不便な片田舎に行つても到るところ写真館の設けがつて、田夫野人の末に至るまでレンズの中の人となり得るのであるが、今から六十年前には我国に唯だの一軒の写真撮影所といふものはなかつたのである。然るに安政六年(大正六年を距る五十九年前)当時我国に於ける写真術研究の第一人者下岡蓮杖氏始めて一の写真店を横浜太田町に設立して人物撮影及び写真販売を開業し是に全樂堂と命名したので る。写真は当時其の全樂堂の外観を撮影したもので、富士山を象どつた看板や、“up stairs” と誌された案内書きに対照して江戸風の紺の暖簾の鬱陶しげに重く懸れる有様など、今日より是を見れば誠に興味ある光景である。
                       (東京浅草 二世下岡蓮杖氏寄贈)

 本邦写真術の鼻祖故下岡蓮杖翁の撮影旅行振 〔上右の写真〕

 Lake Renjo Shiomooka by whom the photographic art was first introduced into Japan taken at that time when he used to make a trip for photographic purpose, upper left being the photpgrapher in his last years.

 写真術は独逸人シユルツエ氏が西暦一千七百二十七年銀鹽の感光性を利用して書画の複写を試みたのに始まり、次で一千八百二年英吉利人デーヴイ等是を研究し、爾来幾多の苦心を重ね、遂に一千八百七十一年英吉利人マツドツクスジエラチン製乾板を発明するに及び大成の域に達したのである。而して此の技術が本邦に渡来したのは、徳川幕府の安政年間であつたが、当時邦人の多くは是を以て一種の魔術と見做し其の技を賞讃するといふよりも寧ろ恐怖の念を以て見てゐたから容易に流行しなかつた。然るに当時下岡蓮杖といふ人、長崎に出でゝ米国人の写真師に就き該技を修得し、あらゆる迫害に抗しつゝ是が開拓に従事し、遂に今日の如き斯道隆盛の源を成した。写真は明治維新前蓮杖翁が大なる撮影器械を背負ひつゝ今や採写に出で立つ有様、又左上は同翁晩年の肖像である。               (東京浅草 二世下岡蓮杖氏寄贈)

 ※ 0 の上に、- あり。

 上の2枚の写真と解説文は、大正六年 〔一九一七年〕 十月一日発行の『歴史写真』 大正六年 十月号 第五十五号 に掲載されたものである。



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