ジャンボ鶴田さんは、昨年の暮れにアメリカ・オレゴン州ポートランドより一時帰国した際に神戸の病院で検査したところ肝臓ガンが見つかり、移植の権威である岐阜市の松波総合病院へ入院。
日本での肝臓移植を目指したもののドナーが見つからず、海外での移植を目指し韓国・オーストラリアでドナーを求めたもののかなわず、5月2日にフィリピン・マニラ入り。ケソン市にある国立腎臓研究所に血液検査などを受ける為に一時入院した後、ドナーを待ちフィリピンに滞在。
12日ドナーが見つかったとの連絡を受け国立腎臓研究所に再入院し、13日午前0時頃より移植手術開始。しかし手術終盤になって大量の出血が続き、約25リットルの輸血を行ったものの、手術開始から16時間後の午後4時大量出血によるショックで帰らぬ人となった。
5月16日午前11時過ぎ、全日本プロレス事務所よりマスコミ各社へ訃報の公式文章がファックスで送信され、午後4時から三沢社長が麹町の日本テレビで緊急記者会見を行った。
5月17日午後7時35分成田着JAL742便で鶴田さんは無言の帰国。
三沢社長と関係者が家族を出迎えた。
5月19日午後1時から東京・世田谷区の公益社用賀会館で親族、友人、全日本プロレスの選手・関係者ら約100名が出席して告別式が営まれた。
5月20日シリーズ開幕戦となった大宮市民体育館で、試合開始前の午後5時58分三沢社長が鶴田さんの遺影を持ってリングの中央に立ち、全選手がリングを囲み、ファンと共に1分間の黙祷を行った。
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日本での肝臓移植を目指したもののドナーが見つからず、海外での移植を目指し韓国・オーストラリアでドナーを求めたもののかなわず、5月2日にフィリピン・マニラ入り。ケソン市にある国立腎臓研究所に血液検査などを受ける為に一時入院した後、ドナーを待ちフィリピンに滞在。
12日ドナーが見つかったとの連絡を受け国立腎臓研究所に再入院し、13日午前0時頃より移植手術開始。しかし手術終盤になって大量の出血が続き、約25リットルの輸血を行ったものの、手術開始から16時間後の午後4時大量出血によるショックで帰らぬ人となった。
5月16日午前11時過ぎ、全日本プロレス事務所よりマスコミ各社へ訃報の公式文章がファックスで送信され、午後4時から三沢社長が麹町の日本テレビで緊急記者会見を行った。
5月17日午後7時35分成田着JAL742便で鶴田さんは無言の帰国。
三沢社長と関係者が家族を出迎えた。
5月19日午後1時から東京・世田谷区の公益社用賀会館で親族、友人、全日本プロレスの選手・関係者ら約100名が出席して告別式が営まれた。
5月20日シリーズ開幕戦となった大宮市民体育館で、試合開始前の午後5時58分三沢社長が鶴田さんの遺影を持ってリングの中央に立ち、全選手がリングを囲み、ファンと共に1分間の黙祷を行った。
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