2月20日12時30分から東京・永田町のキャピトル東急ホテル「銀の間」で三沢光晴、百田光雄同席でジャンボ鶴田が記者会見を行い、引退を発表。
「私ジャンボ鶴田、鶴田友美は昭和47年10月31日に全日本プロレスに入りまして、就職しますなんて言う言葉で入ってきたんですけど、早28年経ちまして、本当に何か昨日の事のようにいろんな事が思い出されまして、昨日は本当に眠れなかったんですけど、皆さんにご報告しなきゃいけないなと思いまして、この場を借りて報告します。
3月10日よりポートランド州立大学の方で研究交流プロフェッサーという大学のシステムがあるんですけど、そこに一応就任ということで。
期間は二年間教授待遇で来てくださいということで、そちらの方へ行きたいと思ってます。
なぜこの時期にこうなってしまったかと言いますと、これはジャイアント馬場社長逝去の際に渡米の延期とか考えたんですけど、生前ジャイアント馬場社長がチャンスは絶対ものにしろと、人生はチャンスとチャレンジだという言葉を言われたものですから、それを信じ、こういう大変な時期なんですけど、渡米させていただく事になりました。
それに伴い、プロレスラーとしての引退を決意しました。
ファンの皆様、マスコミ関係者の皆さん、長い間本当にありがとうございます。全日本プロレスとジャンボ鶴田を本当に心底から応援してくださって、ありがとうございます。
これからも全日本プロレスは三沢とか百田選手が頭になって、一致団結して馬場社長のご遺志を継いで頑張りますので、皆さんのご協力をよろしくお願い致します。
ファンの皆さん、マスコミ関係者の皆さん、28年間本当にありがとうございました。また改めてファンの方には、3月6日武道館の日にご報告したいと思ってます。」
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「私ジャンボ鶴田、鶴田友美は昭和47年10月31日に全日本プロレスに入りまして、就職しますなんて言う言葉で入ってきたんですけど、早28年経ちまして、本当に何か昨日の事のようにいろんな事が思い出されまして、昨日は本当に眠れなかったんですけど、皆さんにご報告しなきゃいけないなと思いまして、この場を借りて報告します。
3月10日よりポートランド州立大学の方で研究交流プロフェッサーという大学のシステムがあるんですけど、そこに一応就任ということで。
期間は二年間教授待遇で来てくださいということで、そちらの方へ行きたいと思ってます。
なぜこの時期にこうなってしまったかと言いますと、これはジャイアント馬場社長逝去の際に渡米の延期とか考えたんですけど、生前ジャイアント馬場社長がチャンスは絶対ものにしろと、人生はチャンスとチャレンジだという言葉を言われたものですから、それを信じ、こういう大変な時期なんですけど、渡米させていただく事になりました。
それに伴い、プロレスラーとしての引退を決意しました。
ファンの皆様、マスコミ関係者の皆さん、長い間本当にありがとうございます。全日本プロレスとジャンボ鶴田を本当に心底から応援してくださって、ありがとうございます。
これからも全日本プロレスは三沢とか百田選手が頭になって、一致団結して馬場社長のご遺志を継いで頑張りますので、皆さんのご協力をよろしくお願い致します。
ファンの皆さん、マスコミ関係者の皆さん、28年間本当にありがとうございました。また改めてファンの方には、3月6日武道館の日にご報告したいと思ってます。」
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