昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

1975年度プロレス大賞

2011年09月21日 20時00分58秒 | '75全日本プロレス
12月24日午後2時から東京・銀座キャピタルホテルで東京スポーツ新聞社制定「75年度プロレス大賞」の選考会が行われ、各賞が決定した。
本年度は12月20日まで行われていたプロレスファンの投票結果を基に選考会が行われた。

75年度プロレス大賞
最優秀選手賞 ジャイアント馬場
協議の結果、馬場(山田、田鶴浜、竹内)猪木(門馬)と馬場を支持する意見が多く、ファン投票通り馬場が受賞。(小島、藤沢、桜井は不明)
ファン投票ベスト3
①ジャイアント馬場(58,515票)
②アントニオ猪木(46,326票)
③ジャンボ鶴田(16,751票)

年間最高試合賞 アントニオ猪木(対ロビンソン戦12月11日蔵前国技館)
協議の結果、満場一致で猪木が受賞。
※この賞は外人選手対象外という事で、猪木の単独受賞。
ファン投票ベスト3
①アントニオ猪木対ビル・ロビンソン(53,790票)
②ジャイアント馬場対大木金太郎(16,790票)
③ジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリック(14,572票)

最高殊勲選手賞 ジャンボ鶴田
協議の結果、鶴田(門馬、竹内、山田、藤沢、田鶴浜)猪木(桜井、小島)の結果となり、ファン投票通り鶴田が受賞。
ファン投票ベスト3
①ジャンボ鶴田(29,010票)
②アントニオ猪木(21,779票)
③ジャイアント馬場(18,965票)

最優秀タッグチーム賞 アントニオ猪木、坂口征二組
協議の結果、猪木・坂口組を支持する意見が多く受賞。
候補タッグチーム
アントニオ猪木、坂口征二組(山田、竹内、小島、桜井、門馬)
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田組(田鶴浜)
グレート小鹿、大熊元司組(藤沢)

殊勲賞 ラッシャー木村
協議の結果、満場一致で木村が受賞。

敢闘賞 大木金太郎
協議の結果、大木を支持する意見が多く受賞。

技能賞 マイティ井上
猪木を支持する意見が出たが、竹内委員から若い人の励みになる賞にとの意見が出た後に井上を支持する発言があり、八田委員長も井上を支持し決定。
候補選手
星野勘太郎(藤沢)
アントニオ猪木(田鶴浜、小島)
マイティ井上(門馬、桜井)

大衆賞 ザ・デストロイヤー
満場一致でデストロイヤーが受賞。

努力賞(全日本プロレス) 高千穂明久
選考委員の意見が分かれ、グレート小鹿(山田)淵正信(竹内、門馬、桜井)高千穂明久(藤沢、田鶴浜、小島)となり淵と高千穂が同票となったが、八田委員長が高千穂を支持し決定。

努力賞(新日本プロレス) 藤原喜明
藤原を支持する意見(桜井、山田、門馬、田鶴浜)が多く決定。

努力賞(国際プロレス) スネーク奄美
奄美を支持する意見(門馬、竹内、桜井、小島)が多く決定。

選考委員会出席者
選考委員長
八田一朗(日本アマレス協会会長)
選考委員
小島貞二(評論家)
田鶴浜弘(評論家)
藤沢久隆(ベースボール・マガジン社「プロレス」編集長)
竹内宏介(日本スポーツ出版社「ゴング」編集長)
山田隆(東京スポーツ運動部長)
桜井康雄(東京スポーツ第二運動部長)
門馬忠雄(東京スポーツ運動部主任)

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1976年(昭和51年)
1月4日午前11時から東京・後楽園ホールでプロレスファン1500人が見守る中、東京スポーツ制定'75プロレス大賞授賞式が行われ、馬場と猪木が笑顔で握手するシーンも見られた。
受賞選手には記念のトロフィーと賞状、副賞として賞金が贈られた。
表彰式後、プロレス大賞受賞者から寄贈された品物のチャリティーオークションが行われ、売上金210,300円が日本赤十字社と東京善意銀行に寄贈された。

馬場のコメント
「今年も皆様の期待に応えるべく、ますます精進するつもりです。」
鶴田のコメント
「三年目を過ぎた今年は、まだまだ勉強不足の面もありますが、この賞に恥じないよう一生懸命やります。」
デストロイヤーのコメント
「どうもありがとうございました。今年も最高の年にしたいね。」
高千穂のコメント
「正直いって、まだ信じられません。これからも頑張ります。」

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