るるの日記

なんでも書きます

古事記・景行天皇御子・倭建命・出雲建征伐・親友になってから殺す

2021-02-07 16:50:30 | 日記
即ち出雲国に入り坐して、其の【出雲建(いづもたける)】を殺さむと欲(おも)ほして、到ります即ち結友(うるはしみ)したまひき

故、窃(ひそか)に【赤(い)ちひ】もちて【詐(いつは)りの刀(たち)】を作り、【御はかし】と為(し)て、共に【肥河】に【沐(かはあみ)】したまひき

ここに倭建命、河より先に上がりまして、出雲建の解き置ける横刀(たち)を取りはきて「【刀易為(たちかへせ)む】」とのりたまひき

故、後に出雲建、河より上がりて、倭建命の詐の刀をはきき。ここに倭建命、「いざ【刀合(たちあ)はさむ】」と【あとらへて】、のりたまひき

ここに各(おのもおのも)其の刀を抜く時、出雲建、詐の刀を得抜かざりき。即ち倭建命、其の刀を抜きて、出雲建を打ち殺したまひき

ここに御歌のりたまはく
「【やつめさす】
出雲建が
はける刀
【黒葛多巻(つづらはさま)き】
【さ身無し】に
【あはれ】」
と、うたひたまひき

故、かくはらひ治めて、参上(まいのぼ)り覆奏(かへりごとまを)したまひき


★出雲建(いづもたける)
出雲の勇猛な首長

★結友(うるはしみ)
親しみ愛する友と交わること

★赤(い)ちひ
※いちひがしの略
※木刀に使う

★詐(いつはり)の刀(たち)
木刀

★御はかし
貴人の帯刀

★肥河
今の斐伊川

★沐(かはあみ)
川で水を浴びる、体を洗い清める

★刀易為(たちかへせ)む
刀を交換すること
刀合わせの意味も含まれる

★刀合はさむ
試合をする
武技を競う

★あとらへて
誘う
挑戦する

★やつめさす
出雲の枕詞

★黒葛多巻(つづらはさま)き
※つづら→蔓性植物。籠を編んだり、弓や槍の柄に巻いて、補強や装飾に用いられる
※立派な刀装

★さ身なし
刀身がない

★あはれ
ああ、おかしい
気味がいい

■上京の途中、倭建命は出雲国に入ってその国の首長・出雲建を殺そうと思い、その家に到着すると、すぐ親しい友として交わった

そして、こっそり偽の太刀を作りそれを帯刀として身につけて、出雲建と一緒に肥河に出かけて水浴した

倭建命は川から先にあがって、出雲建が解いていた本物の太刀を取って腰につけ「太刀を交換しよう」と言った

すると出雲建は川から上がってきて、倭建命の偽物の太刀を腰につけた

この好機をのがさず倭建命は「さあ、試合をしよう」と挑戦して言った。そこでめいめいが太刀を抜く時、出雲建の方は偽の木刀ゆえ抜くことができなかった
一方、倭建命はその刀を抜いて、出雲建を打ち殺した

この時の歌
「やつめさす
出雲建が腰につけていた太刀は、その鞘(さや)につづらをたくさん巻いて立派だが、中身の刀身が無くて、ああおかしい」
と歌った

このように服従しない者を平らげて都に帰還し、復命されたのである




古事記・景行天皇御子小碓命・熊曾建から名をもらい「倭建命」と称す

2021-02-07 15:31:07 | 日記
乃ち追ひて其の室の【椅(はし)の本】に至り、其の背の皮を取りて、剣を尻より刺し通したまひき。ここに其の熊曾建まをさく
「其の刀(たち)をな動かしたまひそ。僕(やっこ)まをすること有り」とまをしき

ここに暫(しま)し許して押し伏せたまひき。ここにまをさく
「汝命(いましみこと)は誰にかます」とまをしき

ここにのりたまはく
「吾(わ)は纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)に坐(ま)しまして、大八島国(おほやしまくに)知らしめす大帯日子淤斯呂和気天皇(おほたらしひこおしろわけのすめらみこと)の御子、名は倭男具那王(やまとをぐなのみこ)ぞ。【おれ】熊曾建(くまそたける)二人、伏はず礼無しと聞(きこ)しめして、おれを取殺(と)れと詔(の)りたまひて遣はせり」
と、のりたまひき

ここに其の熊曾建まをさく
「信(まこと)に然(しか)まさむ。西の方に吾二人を除きて、建く強き人なし。然るに大和国に吾二人に益(まさ)りて建き男は坐しけり。これをもちて吾御名を献(たてまつ)らむ。今より以後(のち)、【倭建御子(やまとたけるのみこ)】と称(たた)へまをすべし」と、まをしき

この事まをしおへつれば、即ち【熟瓜(ほそぢ)の如振り析(き)きて殺したまひき】。故、其の時より御名を称へて倭建命といふ

しかして還り上ります時、山の神、河の神、また【穴戸の神】を皆言向けて和して参上(まいのぼ)りたまひき

★椅(はし)の本
階段の下

★おれ
二人称の卑称代名詞

★倭建御子(やまとたけるのみこ)
※大和の勇猛な皇子
※初めに年少者として現れ、熊曾征伐を果たして倭建命の名を得たというのは、大国主神の場合と同様に古代の王の通過儀礼。成年試練の構想が作用している

★熟瓜(ほそぢ)の如振り析(き)きて殺したまひき
※熟した瓜は力を加えないでも容易に裂くことができる。熊曾建の体を小気味よく斬り殺した比喩

★穴戸の神
吉備国穴[広島県深安郡・福山市]
長門国穴門[山口県下関市]
二説ある

■小碓命(おうすのみこと)は、熊曾建(くまそたける)を追ってその家の階段の下で追いつき、その背中の皮をつかんで、剣を尻に刺し通した

するとその熊曾建は
「その刀を動かさないで下さい。死ぬ前に私は申し上げることがあります」と申した

小碓命はしばらくその申し出を許して、熊曾建を押し伏せていた。そこで熊曾建は「あなたは、どなたですか」と尋ねた

これに答えて小碓命は
「私は纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)にいる、大八島国(おおやしまくに)を統治する
大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわくのすめらみこと・景行天皇)の皇子で、名は倭男具那王(やまとおぐなのみこ)という者だ。おまえたち熊曾建の二人が天皇に服従しないで無礼であると天皇はお聞きになり、おまえたちを殺せと言われ、私が遣わされたのだ」と言った

熊曾建は「まさしくその通りでございましょう。西の方では自分たち二人を除いては、他に勇猛で強い者はおりません
それなのに大和国では自分たち二人に勝った勇猛な男子がいらっしゃったのですね
それでは私があなた様にお名前を差し上げましょう。今後は倭建御子とほめ称えて申しましょう」
と申し上げた

このことを申し終わったので、そこで小碓命は熟した瓜を裂くように、熊曾建の体を小気味よく引き裂いて殺した

こうしたわけで、その時から名前をほめ称えて倭建命というのである。そして大和の都へ帰る時に、山の神、川の神、穴戸の神をみな服従させて上京した






古事記・景行天皇・小碓命(倭建命)熊曾建兄を刺し殺す

2021-02-07 14:04:09 | 日記
ここに熊曾建(くまそたける)の兄弟(いろせいろど)二人、その嬢子(おとめ)を見感(みめ)でて、己が中に坐(ま)せて盛(さかり)に楽(うた)げたり

故、其の酣(たけなわ)なる時に臨(のぞ)みて、懐より剣を出(いだ)し、熊曾の衣の衿(くび)を取りて剣を其の胸ゆり刺し通したまひし時、其の弟建見畏(おとたけるみかしこ)みて逃げ出でき

■熊曾建(くまそたける)の兄弟二人は、小碓命(おうすのみこと)が変装した乙女を見て気に入り、兄弟二人の間にすわらせて、盛んに祝宴を催していた

そこで小碓命は、祝宴が最高潮になる時を見計らって、懐中から剣を取り出し、兄の熊曾の衣服をつかんで、剣をその胸に刺し通した。弟の建(たける)はこれを見て恐れをなして逃げ出した

古事記・景行天皇・小碓命(倭建命)少女に変身する

2021-02-07 13:44:58 | 日記
ここに其の楽(うたげ)の日に臨(のぞ)みて、【童女(をとめ)の髪の如その結(ゆ)はせる御髪をけづり垂れ】、その姨(おば)の御衣御裳(みそみも)を服(け)し、既に童女の姿に成りて、女人(をみな)の中に交り立ちて、その室の内に入り坐しき

★童女の髪の如その結はせる御髪をけずり垂れ
※瓠花という少年の髪形を解いて垂れ髪にし、少女に変身した

■いよいよ祝宴の日になって、小碓命は少女のように垂れ髪にするため、今まで結っていた少年の髪形をけずって髪を垂らし、叔母からもらった衣裳を着て、すっかり少女に変身し、熊曾の女たちの中にまぎれ込んで、室の内に入った

古事記・景行天皇・小碓命(倭建命)熊曾に到着

2021-02-07 13:27:12 | 日記
小碓命
熊曾建(くまそたける)の家に到りて見たまへば、その家の辺(ほとり)に【軍三重(いくさみへ)に囲み】、【室】を作りて居りき。ここに【御室楽為(みむろうたげせ)む】と【言ひ動(とよ)み】て、食物(をしもの)を設(ま)け備へき。故、其の傍(かたはら)を【遊び行(ある)き】て、其の楽(うたげ)の日を待ちたまひき

★軍三重(いくさみえ)に囲み
軍勢が家の周辺を三重に囲んで厳重に警備している

★室
※きっちり囲われた所
※家の中に壁を塗り込めた部屋
※寝室などを造ること
下図は母屋を中心にして別室を備えた地方豪族の邸宅

★御室楽、為(みむろうたげ、せ)む
新しい室の落成祝いの宴会
うたげ→酒宴の際に手をうつ、うちあげの約

★言ひ動(とよ)み
鳴り響く
声をたてて騒ぐ

★遊び行(ある)きて
遊行

■小碓命(おうすのみこと)が熊曾建(くまそたける)の家に到着して周囲を見ると、その家の周辺を熊曾の軍勢が三重に囲んで厳しく警備する中で、人々が室を造っていた

そして室が完成したなら新室落成の祝宴を催そうとわいわい騒いで、食べ物の準備をしていた

小碓命は、そのあたりをぶらぶらと歩いて、その祝宴の日を待っていた