軽皇太子、捕へらえて歌ひたまはく
【天飛(あまだ)む】
軽の嬢子(おとめ)
【甚】泣(いたな)かば
人知りぬべし
波佐(はさ)の山の
鳩の下泣きに泣く
天飛(あまだ)む
軽嬢子(かるをとめ)
【したたにも】
寄り寝てとほれ
軽嬢子ども」
其の軽太子をば【伊余湯】に流しまつりき。また流さえたまはむとせし時、歌ひたまはく
天飛(あまと)ぶ
【鳥も使(つかひ)そ】
鶴(たづ)が音(ね)の
聞えむ時は
我が名問はさね
【王(おほきみ)を】
島に【放(はぶ)らば】
【船余り】
い帰り来(こ)むぞ
【我が畳ゆめ】
【言(こと)をこそ】
畳と言はめ
我が妻はゆめ
衣通王(そとほしのみこ)=軽大郎女歌を献りき
夏草の
【あひねの浜の】
蠣貝(かきかひ)に
足ふますな
【明かして】通れ
後に恋慕(おも)ひ甚(か)ねて追ひ往く時歌いたまはく
君が往き
【け】長くなりぬ
山たづの
迎へを行かむ
【待つにはまたじ】
ここに山たづと云うは、これ今の【造木(みやっこぎ)】なり
追ひ到りし時、待ちおもひて
歌ひたまはく
【隠(こも)り処(く)】の
【泊瀬(はつせ)の山】の
大峰(おほを)には
【幡張り立(だ)て】
さ小峰(をを)には
幡張り立て
【大峰よし】
【仲定める】
【思ひ妻あはれ】
【槻弓(つくゆみ)の】
【臥(こ)やる】臥やりも
【梓弓(あづさゆみ)】
起(た)てり起てりも
後も【取り見る】
思ひ妻あはれ
隠(こも)り処(く)の
【泊瀬の河】の
上(かみ)つ瀬に
【斎杙(いくひ)】を打ち
下つ瀬に
【真杙(まくひ)】を打ち
斎杙には【鏡を懸け】
真杙には【真玉を懸け】
【真玉如(な)す】
吾(あ)が思ふ妹(いも)
鏡如す
吾が思ふ妻
【ありといはばこそよ】
家にも行(ゆ)かめ
国をも偲はめ
かく歌ひて即ち共に自ら死にたまひき
★甚(いた)
はなはだしく
★天翔(あまだ)む
空をとぶ雁(かり)→軽(かる)に通わせた
★したたにも
忍び忍びに、こっそりと
★伊余湯
愛媛県松山市の道後温泉
配流後には都からの距離により遠・中・近流の別があるが、伊余は中流に属する
★鳥も使(つかひ)そ
鳥は霊魂を運び、これからの言葉を運ぶ使者
★王(おほきみ)
軽王
★放(はぶ)らば
放ちすてる
追放する
★我が畳ゆめ
人が旅に出ると、家人はその畳をその人の使用したままにして、潔斎して待つ
守らないと旅人に異変がある
★船余り
人が多すぎて船に乗り遅れる
★言をこそ
言葉では畳というが、実は、、と下に本旨を述べる用法
★あひねの浜の
あひねに、相寝(あいね)をかけている
★明かして
ここで夜を明かして
ここに泊まって
★け
日数
★待つには待たじ
人の帰りを待ちかねる切実な気持ち
★造木(みやっこぎ)
忍冬(すいかずら)科の落葉低木の接骨木(にわとこ)という木
★隠(こも)り処(く)
四方を山で囲まれた土地
★泊瀬の山
奈良県桜井市初瀬の北の山地
★幡張り立て
葬送の幡をなびかせて立てる
古代の幡は細長い布を竿にかけて垂らした
★大峰(おほを)よし
※よし→「あおによし」と同じく感動の助詞
※上の句までは景色を提示した序詩で、その中の「大峰」を繰り返して「仲」の枕詞にしたもの
★仲定める
二人の仲は定まっている
★思ひ妻あはれ
※思ひ妻→私が愛しく思う妻よ
※あはれ→感動詞
★槻弓(つくゆみ)
※槻の木で作った弓
※横にして射ることから、臥やるの枕詞
★臥(こ)やる
横になる
★梓弓
※梓の木で作った弓
※神宝として供えられ神聖視された
※大山守命
※起こつの枕詞
★取り見る
※取り→世話をする、弓にちなんで言った語
★泊瀬の河
今の初瀬川
初瀬山に源を発し、三輪山の麓を西北に流れ佐保川に合流する
★斎杙(いくひ)
斎み清めた杭(くい)
★真杙(まくひ)
斎み清めた杭
★鏡を懸け・真玉を懸け
※鏡と玉は共に神の依代(よりしろ)
※鏡と玉に神を招き降ろして祭をする
※禊(みそぎ)のための行事
★真玉なす
玉を大切にするように
なす→、、のように
★吾が思ふ妻ありといはばこそよ
※妻がいるというのなら
※こそ→事実に反したことを仮定して、下句に逆説的にかかって、それを否定する係助詞
※行かめ、偲ばめにかかる
■皇太子・軽王子は捕らえられ
歌いました
【天翔む、軽の乙女よ、おまえがひどく泣くならば、人が私たちのことを知ってしまうだろう。私はそれを気づかって、波佐の山の鳩のように、忍び泣きに泣く】
【天翔む、軽の乙女よ、こっそり寄って、私と寝ていきなさい。軽の乙女たちよ】
その後、軽王を伊予湯に配流した。配流される時、軽王は歌いました
【空を飛ぶ鳥も使者なのだよ。鶴の声が聞こえる時には、私の名を言って、私のことを尋ねておくれ】
【大君である私を四国の島に追放しても、必ず帰ってくる。その間は私の畳をそのままにして斎み慎んでいてください。言葉では畳というが、実はわが妻、あなた自身が潔斎して待っていてください】
そして、妹、軽大郎女は歌を軽王に献上した
【あいねの浜の牡蠣の貝殻に、足を踏みこんで怪我をしないでください。ここで夜を明かしてから通ってください】
軽王が配流されてから、妹・軽大郎女は、なおも恋慕う思いに堪えかねて、その後を追っていった時に歌いました
【君が往き、あなたの旅はずいぶん日がたちました。私はお迎えに参ります。こうして待つのは堪えられません】
こうして妹・軽大郎女が兄・軽王のもとに追いついた時、軽王は待ち迎え、歌いました
【隠り処の泊瀬の山の大きな峰には幡を張り立てている、小さな峰にも幡を張り立てている、大峰よし、二人の仲は定まっている
私のいとしい妻よああ
〈槻弓の〉臥している時も
〈梓弓〉立っている時も
後々までも
かいがいしく、私が世話をするよ。いとしい妻よ、ああ】
【隠り処の、泊瀬の川の上流の瀬に、斎み清めた杭を打ち、斎み清めた杭には鏡をかけ、立派な杭にはみごとな玉をかけ、そのみごとな玉のように私が大切に思う妻、その鏡のように私が大切に思う妻
その妻が家にいるというのならば、家にも訪ねて行こうし、また故郷も懐かしく思おう。しかし妻は家にも故郷にもいないのだから、その家も故郷も偲ぶかいはない】
と歌いました
このように歌って、そして二人一緒に、みずからの命を断たれたのです