八幡神宗教権力への干渉が行われたのは、北九州巫祝勢力が中央を脅かすほど巨大なものであったからだ
淳仁天皇治世のとき民間巫女に類する呪師たちを禁圧したが、先帝孝謙太后の寵僧・道鏡が大臣禅師の位を得、女帝とコンビの治世に復すると、淳仁天皇を廃帝し淡路に遠ざけた
淳仁天皇的儒教合理思想がクーデターによって頓挫をきたした。一方で巫祝信仰が再び抬頭する機を得た
道鏡も有識高徳な仏僧というよりは、得意な巫術によって女帝の病を癒して寵愛を得た男巫的存在であった。道鏡の本性は巫呪信仰者
奈良律令期の宗教思想は、原始的巫呪信仰と仏教が混在し表裏の関係であった。消長の拮抗をくりかえす