ここに御歌にのりたまはく
「【尾張に】
直(ただ)に向へる
尾津の崎なる 一つ松
【あせを 一つ松】
【人にありせば】
大刀はけましを
衣(きぬ)きせましを
一つ松
あせを」
と、うたひたまひき
其の地をいでまして、【三重村(みへのむら)】に到りましし時、またのりたまはく「吾が足、【三重(みへ)の勾(まがり)】の如くして、いと疲れたり」と、のりたまひき。故、其の地を号(なづ)けて三重といふ
其れよりいでまして、【能煩野(のぼの)】に到りましし時、【国思(くにしの)はして】歌ひたまはく
「倭は
【国のまほろば】
【たたなづく】
【青垣(あおがき)山隠(やまごも)れる】
【倭し美(うるわ)し】」
と、うたひたまひき
又歌ひたまはく
「命(いのち)の
【全(また)けむ人】は
【畳鷹(たたみこも)】
【平群(へぐり)の山】の
【熊かしが葉】を
【うずにさせ】
【その子】」
と、うたひたまひき
この歌は【国思歌(くにしのうた)】なり。又歌ひたまはく
「愛(は)しけやし
吾家(わぎへ)の方よ
雲居(くもい)立ち来(く)も」
と、うたひたまひき。これは片歌なり。この時、御病(みやまい)甚急(にはか)になりぬ。ここに御歌のりたまはく
「【嬢子(をとめ)】の
床(とこ)の辺に
我が置きし
【つるぎの大刀その大刀はや】」
と、歌ひをふる即ち崩(かむあが)りましき。ここに駅使(はゆまづかひ)を貢上(たてまつ)りき
★尾張に
※住吉の地形では海を隔てて尾張の熱田方面はよく見えた
※美夜比売をしのんだ歌詞
★あせを一つ松
※あせを→はやしことば
※吾兄(あせ)→居合わせた男子に親しみをこめてよびかける語であるが、一つ松によびかける気持ち
★人にありせば
もし人間であったなら、、しようものを
★三重村(みへのむら)
※三重郡釆女郷
※三重県四日市市釆女
★三重の勾(まがり)
※三重に曲げた形をした餅のこと
※足が腫れていくつも紋ができたような形
★能煩野(のぼの)
三重県鈴鹿郡に鈴鹿山脈の野登山(ののぼりやま)がある。この地域に倭建命の伝説地が散在する
★国思(くにしの)はして
国に思いをはせる。思慕する
★国のまほろば
国の中でもすぐれてよい国
★たなづく
幾重にも重なり合う
★青垣山隠(あおがきやまごも)れる
※青青と樹木の繁っている垣根
※大和を囲む山々を青垣そのものとみる
★倭し美(うるは)し
し→強調の助詞
うるはし→倭建命の望郷歌とすれば慕わしい心情。国ほめの歌とすれば美しい景観
★全けむ人
※完全な人
※無事な人
※つつがなく無事に帰れる人
★畳鷹(たたみこも)
平群(へぐり)の枕詞
★平群(へぐり)の山
※奈良県生駒郡平群村西武の矢田丘陵地帯
※聖なる山
★熊かしが葉
大樫の木の葉
★うずにさせ
※かんざし。男もさした
※花や葉を髪にさすのは、その生命力を転移する呪的意味がある
★その子
命の全けむ人(無命の事な人)に呼びかけた語
★国思歌(くにしのうた)
望郷の歌
★嬢子(をとめ)
美夜受比売
★つるぎの大刀、その大刀はや
草薙剣に対する激しい愛情と、その草薙剣を美夜受比売のもとに置いてきたことに対する悔恨との交差した心情
■倭建命は歌った
『尾張国の方に真っ直ぐに向いている、尾津の岬にある一本松よ。あせを。
もしこの一本松が人であったなら、大刀をはかせよう。また着物も着せよう。一本松よ。あせを。』
と歌った
そこから進んで三重村ち着いた時
「私の足は三重に曲げた餅のように腫れまがって、ひどく疲れてしまった」と言った。ゆえにそのを名づけて三重という
そこからさらに進んで、能煩野(のぼの)に着いた時、故郷をしのんで歌った
『大和国は国々の中でも最もよい国だ。重なり合った青い垣根の山、その山々の中にこもっている大和は、美しい国だ』
『命の無事である人は、平群の山の大きな樫の木の葉をかんざしにさせ。命の無事であるおまえたちよ』
と歌った。この二首の歌は国思歌(くにしのびうた)という名の歌である。次にまた
『ああ、なつかしい、わが家の方から、雲がわき起こってくるよ』
と歌った。これは片歌という形式の歌である。この時病気が急変して危篤になった。その時の歌
『乙女の床のあたりに、私が置いてきた大刀。ああその大刀よ』
と歌い終わるやいなやお亡くなりになった。従者たちは倭建命の薨去を知らせるため、早馬の使者を朝廷に差し向けた