【天下(あめのした)治めたまはむとせし間(ほど)に】、【平群臣(へぐりのおみ)】の祖、名は【志毘臣(しびのおみ)】、【歌垣】に立ちて、其の袁祁命(おけのみこと)の婚(よばま)むとしたまふ美人の手を取りき。其の娘子(おとめ)は【菟田首(うだのおびと)】どもの女(むすめ)、名は大魚(おふを)なり。ここに袁祁命もまた歌垣に立ちたまひき
志毘臣、歌ひていはく
「【大宮】の
【をとつ端手】
隅傾けり」
とうたひき。かく歌ひて其の歌の【末】を乞ひし時、袁祁命うたひたまはく
「【大匠】
【をぢなみ】こそ
隅傾けれ」
とうたひたまひき
ここに志毘臣また歌ひていはく
「【王(おほきみ)】の
【心をゆらみ】
【臣の子の】
【八重の柴垣入り立たずあり】」
とうたひき。ここに王子また歌ひたまはく
「【潮瀬(しほせ)】の
【波折】を見れば
遊び来る
鮪(しび)が鰭手(はたで)に
妻立てり見ゆ」
とうたひたまひき。ここに志毘臣いよいよ怒りて歌ひていはく
「大君の
王子の柴垣
【八節結(やふじま)り】
【結(しま)り廻(もとほ)し】
切れむ柴垣
焼けむ柴垣」
とうたひき。ここに王子また歌ひたまはく
「【大魚よし】
【鮪(しび)突く海人(あま)】よ
【其(し)があれば】
【うら恋(こほ)しけむ】
【鮪(しび)つく志毘】」
とうたひたまひき
かく歌ひて、【闘ひ明かして】各退りぬ
★天下(あめのした)治めたまはむとせし間(ほど)に
※袁祁命(おけのみこと・顕宗天皇)がまだ天皇の位につかなかった間
★平群臣
※平群→大和国平群郡平群(生駒郡平群村)
★志毘臣(しびのおみ)
しび→まぐろ
★歌垣
男女が集まって、舞踊や歌の掛合をし、また性的解放を行った風習
★菟田首(うだのおびと)
大和国宇陀の土豪
★大宮
袁祁命(おけのみこと)の御殿
★おとつ端手(はたで)
※おと→おち(遠)
おとつい(一昨日)
おととし(一昨年)
などの、おと
※端手→端の所→軒
★末
歌の上の句→本
歌の下の句→末
★大匠
※匠→工匠→大工
※大→工匠の長、頭梁
※前歌の「大宮」に対して「大匠」とつけたのも巧妙
※この答歌は前歌の末句を繰り返して、付句した片歌
※悪口に対してうまく弁明し、相手の出鼻をくじいた
★をぢなみ
へた、つたない
★王(おほきみ)
袁祁命(おけのみこと)
★心をゆらみ
ゆるやかだ
(だらしがないの意味か?)
★臣の子の
志毘臣
★八重の柴垣、入り立たずあり
※乙女の手を取っている自分の所に、皇子が近寄れないことの比喩か
※「八重の柴垣に入れないなんて、何とまあだらしがない」という揶揄
★潮瀬
潮の流れている早瀬
★波折
波が折り重なっている所
前歌の八重の柴垣からの連想
★鮪(しび)が鰭手(はたで)に
※魚の鮪(しび)に名前の志毘をかけた
※はたで→魚のひれ→しびのかたわらの意味をかける
乙女の手をとっている志毘を嘲笑している答歌
★八節結(やふじま)り
※柴垣を網で結んで結び目が多い
※じまる→むすぶ
★結(しま)り廻(もとほ)し
※縛りめぐらしても
※王子の御殿の柴垣はやがてダメになると悪態をついている
★大魚(おふお)よし
※鮪の枕詞
※大魚→鮪
※よし→「あおによし」のよしで、詠嘆の助詞
★鮪(しび)突く海人(あま)よ
鮪→乙女
海人(あま)→志毘臣
★其(し)があれば
し→鮪
あれ→遠のく、離れ去る
★うら恋(こほ)しけむ
※うら→裏・心
※こほしけ→恋ひしの古形
★鮪(しび)突く志毘
第二句の海人を志毘に言いかえた繰り返し
★闘(かが)ひ明かして
歌を詠み戦わす
■袁祁命(おけのみこと・顕宗天皇)が天下を治めになろうとしている頃のこと、平群臣(へぐりのおみ)の祖先で名は志毘臣(しびのおみ)という者は、歌垣に参加して、その袁祁命が求婚なさろうとする乙女の手を取った
その乙女は菟田首(うだのおびと)の娘で名を大魚(おうお)といった。そして袁祁命もこの歌垣に参加された
志毘臣が袁祁命に挑んで歌った
「大宮の、あなたの御殿のあっちの軒は、その隅が傾いていますよ」
こう歌って、その下の句を所望した時、袁祁命はそれに付けて歌った
「大匠、頭梁の大工の腕がつたなかったので、その隅が傾いたのだよ」
すると志毘臣がまた歌った
「王の、皇子さまの心がしっかりしていないので、私の家の幾重にも厳重に巡らした柴垣の中には、お入りになられずにいらっしゃる」
これに答えて、皇子は歌った
「潮の流れる早瀨の、波が幾重にも折り重なったあたりを見ると、泳いでくる鮪(しび)のひれのところに、妻が立っているのが見える」
これを聞いた志毘臣は、怒って歌った
「大君の、皇子さまの御殿の柴垣は、結び目を多く縛り、しっかりと縛りめぐらしてありますが、やがてその結び目も切れる柴垣ですよ。焼ける柴垣ですよ」
そこで皇子はまた歌った
「大魚よし、鮪(しび)を銛(もり)で突く海人(あま)よ。その鮪の乙女が離れて行ったならば、さぞ恋しいことだろう。鮪を突く志毘臣よ」
このように歌って、歌を詠み戦わし夜を明かしてから、それぞれ歌垣の場を去って行った