るるの日記

なんでも書きます

古事記・景行天皇御子倭建命・倭武天皇と皇后弟橘比売命・東国征伐・

2021-02-08 15:42:56 | 日記
其れより入りいでまして、【走水海(はしりみずのうみ)】を渡りましし時、其の【渡】の神、浪を興し船を廻らして、得進み渡りたまはざりき

ここに其の【后】、名は【弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)】のしたまはく、「妾(あれ)、【御子にかはりて海に入らむ】。御子は遣はさえし【政(まつりごと)】を遂げて覆奏(かへりごとまを)したまふべし」とまをしたまひて、海に入りまさむとする時、【菅畳八重(すがだたみやえ)・皮畳八重・きぬ畳八重を波の上に敷きて】、其の上に下り坐しき

ここに其の暴浪自ら伏(な)ぎて御船得進みき。ここにその后うたひたまはく

【さねさし】
相武の【小野】に
燃ゆる火の
火中に立ちて
問ひし君はも

とうたひたまひき。故七日の後、其の后の御櫛(みくし)、海辺(うみへ)に依りき。乃ち【其の櫛を取りて、御陵(みはか)を作りて治め置きき】

★走水海(はしりみずのうみ)
※今の浦賀水道
※走水→潮流の速いこと
※横須賀市走水に走水神社があり、倭建命と弟橘比売を祀る

★渡
渡し場、海峡、船で渡る場所

★后
天皇の夫人に用いる語で、ここでは「妃」であるべきであるが、倭建命を天皇に準じて扱っている

★弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)
※景行紀に「穂積氏忍山宿禰(おしやまのすくね)の女(むすめ)」とある。
※穂積氏は饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫で物部氏と同祖
※常陸国風土記に倭建天皇の皇后として、大橘比売命が見える
※古事記伝には垂仁朝に常世国から渡来した。橘の名で称えたとある

★御子にかはりて海に入らむ
海が荒れるのは海神の怒りという考えから、人身御供となって入水する意味

★政(まつりごと)
※天皇の政治は祭祀に根元を発するという観念から、政は祭事と政事の両義に用いた
※天皇から委託された政事には、その成果を報告することを伴う。その複命を「覆(かへりごと)」という

★菅畳八重~波の上に敷きて
※敷物を何枚も重ねること
※敷物を重ねたのは、海神の妻として供せられる弟橘比売を神聖視したため

★さねさし
相模の枕詞

★小野
固有名詞→厚木市小野
普通名刺→をは愛称の接続語

★海辺(うみへ)
上総側の海岸

★其の櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき
※櫛を陵に治めたのは、櫛には神霊の宿るものを他と区別するための標識の意味があり、また魔よけの呪物でもある

■倭建命は、相模から東へ進んで、走水海(はしりみずのうみ)を渡る時、その海峡を支配する神が怒って大波を立て、船をくるくる回して先へ進むことができなくなった

この時、倭建命の后の、名は弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が、「神の怒りをしずめるために、私が御子の身代わりとなって海に入ります。御子は命じられた東征の任務を成し遂げて、天皇に復命なさいませ」と進言して、海に入ろうと、菅や皮や絹の敷物を何枚も重ねて、波の上に敷いて、その上に神の妻として降りた
すると、恐ろしい荒波も自然に静かになって船は対岸に進むことができた

この時后は
「さねさし
相模の野原に燃える火の、炎の中に立って、私の安否を気づかい、呼びかけてくださった、夫の君よ」
と、歌った

それから七日たった後、その后の櫛が海岸に流れついた。そこでその櫛を拾って、御陵(みはか)を造ってその中に埋葬した


古事記・景行天皇御子・倭建命・東国征伐・相模?駿河?

2021-02-08 14:54:40 | 日記
【相武国(さがむのくに)】に到りましし時、其の国造(くにみやっこ)詐(いつは)りてまをさく
「この野の中に大沼有り。この沼の中に住める神、甚(いた)く【道速振(ちはやぶ)る】神なり」とまをしき

ここに其の神を看(み)に行きたまひて、其の野に入り坐しき。ここに其の国造、火を其の野につけき

故、欺かえぬと知らして、其の姨・倭比売命の給ひし嚢の口を解き開けて見たまへば、【火打】其の裏に有りき

これにまず、其の御刀もちて草をかりはらひ、其の火打もちて火を打ち出でて、【向火(むかひび)】をつけて焼きそけて、還り出でて皆其の国造どもを切り滅ぼして、即ち火をつけて焼きたまひき
故、今に【焼遺(やきつ)】といふ

★相武国(さがむのくに)
神奈川県
景行紀には駿河(静岡県中部)とあり、後出の焼津のある国としては景行紀の方が妥当

★道速振(ちはやぶ)る
※狂暴な、荒々しい
※後に神などの枕詞になった
※ちはや→いちはやの略
※いち→神威
※はや→疾し

★火打
発火用具
火打石と火打金とを打ち合わせて発火する

★向火(むかひび)
燃えてくる火に向かい、こちらから火をつけて、足もとに火が来ないようにすること。野火を防ぐ方法

★焼遺(やきつ)
※駿河とすれば焼津市
※焼津市焼津には焼津神社がある
※相模とすれば厚木市小野

■相模国に着いたが、その国造(くにみやっこ)は倭建命に嘘をついて、「この野原の中に大きな沼があります。この沼の中に住んでいる神はたいへん荒々しい神です」と言った
これを聞いた倭建命は、その神を見るためにその野原に入った。するとその国造は火をその野原につけた

倭建命は、騙されたことに気づき、叔母の倭比売命がくれた嚢の口を解き開いて見ると、火打石が中に入っていた

そこでまず叔母から授けられた刀で草を刈り払い、火打石で火を打ち出して、燃え迫ってくる火に向かい、こちらから草に火をつけて、敵の方に火勢を退かさせた

そこを脱出してから国造どもをみな斬り殺して、死体に火をつけて焼いた。それゆえ、今日その地を焼津というのである


古事記・景行天皇御子・倭建命・東国征伐・尾張国・美夜受比売

2021-02-08 14:03:24 | 日記
尾張国に到りて、【尾張国造】の祖・【美夜受比売(みやずひめ)】の家に入り坐しき。乃ち婚(よば)はむと思ほししかども、また還り上らむ時に婚はむと思ほして、期(ちぎ)り定めて東の国にいでまして、ことごとに山河の荒ぶる神、及まつろはぬ人どもを言向け和平(やは)したまひき

★尾張国造(をはりのくにのみやっこ)
※尾張(愛知県北西部)地方の豪族
※木花之咲耶姫(このはなのさくやひめ)が火中で生んだ子の火明命(ほのあかりのみこと)は尾張連の始祖

★美夜受比売(みやずひめ)
※火明命(ほのあかりのみこと)の十一代孫
※熱田神宮に仕える巫女
※尾張国造・おとよの命の子、稲種公(いなだねのきみ)の妹
稲種公は倭建命の東征に従った

■倭建命は尾張国(おわりのくに)に到着して、尾張国造(おわりのくにみやっこ)の祖先の、美夜受比売(みやずひめ)の家に入った。そして求婚しようと思ったけれど、再びここに帰ってきた時に求婚しようと思い直され、姫としっかり約束をして東国へと進んで、ことごとく山や川の荒れすさぶ荒神、また天皇に服従しない者どもを平定された



古事記・景行天皇御子・倭建命・東国征伐・天皇は私なんか死ねばよいと思っているんだろう

2021-02-08 13:30:21 | 日記
故(かれ)、命(みこと)を受けて罷(まか)り行でます時
【伊勢の大御神宮(おほみかみのみや)】に参入(まいい)り、【神の朝庭(みかど)】を拝(おろが)みて、即ち其の【姨(おば)・倭比売命(やまとひめのみこと)】にまをしたまはく

「天皇【既に】吾(あれ)死ねと思ほすゆえか、何とかも西の方の悪しき人どもを撃ちに遣はし、返り参上り来し間、未だ幾時も経ぬに、軍衆をも賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人どもを平げに遣はすらむ。これによりておもへば、猶吾既に死ねと思ほしめすなり」
と、まをしたまひて、患へ泣きて罷りたまふ時

倭比売命、【草那芸剣】を賜ひ、また【御嚢(みふくろ)】も賜ひてのりたまはく「もし急の事有らば、この嚢の口を解きたまへ」とのりたまひき

★伊勢の大御神宮
伊勢の皇大神宮。景行天皇時代に伊勢神宮が実在したとは考えられず、全身の地方神を祀る神社はあったにしても、皇祖を祀る神宮となったのは壬申の乱後だろう

★神の朝庭(みかど)
みかど→御門→皇居の門、皇居、宮殿、朝廷、天皇などの意味。ここは神の宮殿、伊勢神宮をさす

★姨(おば)・倭比売命(やまとひめのみこと)
倭建命の父、景行天皇の同母妹

★既に
全く、すっかり

★草那芸剣(くさなぎのつるぎ)
皇位のしるしの三種の神器の一つ

★御嚢
火打石を入れた袋で、ふだんは開くことが禁じられた呪具

■倭建命は勅命を拝して行く前に、まず伊勢の大神宮に参ってその神宮を拝み、それから斎宮である叔母の倭比売命に、「天皇は私なんか死んでしまえと思っているのでしょう。そうでなければ、どうして西方の悪者どもを討ちに私を遣い、都へ帰って来てからまだいくらも経っていないのに、兵士らもつけないで、今再び東方の十二国の悪者どもの平定に遣わすでしょう。これを思うと、天皇はやはり私なんか死ねばよいと思っているようです」と言った

嘆き泣き悲しみながら退出しようとした時に、倭比売命は神宝の草薙剣を授け、また御嚢も授け「もし急なことがあったら、この嚢の口を解きなさい」と言われた



古事記・景行天皇の御子・倭建命・東国征伐 1 柊の八尋矛を授けられ出陣

2021-02-08 12:37:20 | 日記
ここに天皇また【頻(し)きて】倭建命に、のりたまはく

「【東(ひむかし)の方】、十二道(とをまりふたみち)の荒ぶる神、及(また)まつろはぬ人どもを言向け和平(はや)せ」

とのりたまひて、吉備臣(きびのおみ)等の祖、名は御すき友耳建日子(みすきともみみたけひこ)を副(そ)へて遣はす時、【ひひらぎの八尋矛(やひろほこ)】をたまひき

★頻(し)きて
重ねて

★東の方
東海道

★ひひらぎの八尋矛(やひろほこ)
※ひひらぎ→柊→柊は悪霊・邪気を祓う呪力のある木
※矛を授けたのは、後世の出征将軍に刀を授ける儀式に通じる

■景行天皇は、また重ねて倭建命に「東方の十二国の荒ぶる神と、服従しない者どもを征伐し平定せよ」といわれ、吉備臣の祖先にあたる御すき友耳建日子(みすきともみみたけひこ)という人を従わせて東国に遣わすにあたり、柊(ひいらぎ)で作った長い矛を授けた