るるの日記

なんでも書きます

古事記・仁徳天皇・皇后・速総別王・女鳥王の四角関係

2021-02-12 15:34:49 | 日記
また天皇、其の弟・【速総別王(はやぶさわけのみこ)】をもちて【媒(なかひと)】として、庶妹(ままいも)・【女鳥王(めどりのみこ)】を乞ひたまひき

ここに女鳥王、速総別王に語りていはく、「大后の【強(おず)き】に因りて八田若郎女(やたのわきいらつめ)を【治め】賜はず。故、仕へ奉らじと思ふ。吾(あ)は汝命(いましみこと)の妻(め)にならむ」といひて即ち相婚ひましき

ここをもちて速総別王、復奏(かへりごとまを)さざりき

★速総別王(はやぶさわけのみこ)
応神天皇の皇子

★媒(なかひと)
中に立つ人。仲人

★女鳥王(めどりのみこ)
仁徳天皇の異母妹
ここの登場人物が鳥名であるのは何か意味があるか?

★強(おず)き
気性の強く激しい

★治め
しかるべく扱う
妃として遇すること

■また仁徳天皇は、その弟の速総別王(はやぶさわけのみこ)を仲人として、異母妹の女鳥王(めどりのみこ)をご所望になった

すると女鳥王は速総別王に向かって
「皇后の気性が激しいので、天皇は八田若郎女(やたのわきいらつめ)をも妃にお迎えになりません。ですから私もお仕えはしたくありません。私はあなたの妻になりましょう」と語り、そして二人は結ばれた

このために、速総別王は仲人としての復命を奏上しなかった

古事記・仁徳天皇・綴喜に皇后を訪ねる【和解しないまま皇后は筒城宮で薨去。三年後に天皇は八田若郎女を皇后に立てている】

2021-02-12 14:58:49 | 日記
天皇のりたまはく
「しからば吾(あ)も奇異(あや)しと思へば、見に行かな」とのりたまひて、大宮より上りいでまして、奴理能美(ぬりのみ)の家に入り坐せる時、其の奴理能美、己がかへる三種(みくさ)の虫を大后に献(たてまつ)りき

ここに天皇、其の大后の坐せる【殿戸に御立たして】、うたひたまはく

「つぎねふ
山代女(やましろめ)の
木鍬(こくは)持ち
打ちし大根(おおね)
さわさわに
汝が【言へせこそ】
【打ち渡す】
【やがはえなす】
来入(きい)り
参来(まるく)れ」

とうたひたまひき
この天皇と大后と歌ひたまひし六歌(むうた)は、【志都歌(しつうた)の歌返(うたひかへし)】なり

天皇、八田若郎女(やたのわきいらつめ)に恋ひたまひて、御歌を賜ひ遣はしき。其の歌にのりたまはく

「【八田(やた)】の
【一本菅(ひともとすげ)】は
【子持たず】
立ちか荒れなむ
【あたら菅原】
【言をこそ
菅原(すげはら)と言はめ
あたら清(すが)し女(め)】」

とうたひたまひき
ここに八田若郎女答へて歌ひていはく

「八田の
一本菅は
独り居りとも
大君し
よしと聞(きこ)さば
独り居りとも」

とうたひき。故、八田若郎女の御名代(みなしろ)と為して八田部を定めたまひき

★御戸に御立たして
この段階では皇后には会えなかったとみえる

★言へせこそ
言はせばこそ

★打ち渡す
遠く見渡される

★やがはえなす
弥木生→木が繁茂する→大勢と一緒にの比喩

★志都歌(しつうた)の歌返
※宮廷の楽府(後の雅楽寮)で行われた歌曲の名
※下つ歌→調子を下げて歌う
※静歌→静かに歌う
※賎歌→庶民風に歌う
などの解釈がある
※歌返→一曲を歌い終えてから、さらに調子を変えて歌い返す

★八田
八田若郎女の八田で地名
奈良県大和郡山市矢田の丘陵地帯

★一本菅(ひともとすげ)
八田若郎女の比喩
菅(すげ)→莎草科の草

★子持たず
菅の子→蘖(ひこばえ)→木の根本や切り株などから生えてくる若芽と、八田若郎女の子をかける

★あたら菅原
あたら菅→惜しい、もったいない菅
原→軽くそえた語

★言(こと)をこそ、菅原(すげはら)と言はめ、あたら清(すが)し女(め)
※この歌の本旨
※ことばの上では「菅原」というが、本当は「清し女」だとからかったのである
※すがしは清らか、菅(すげ)と音が響き合う
※男が女を誘う心が見られる

■天皇は「それなら私もその虫を珍しいと思うから見に行こう」と仰せられ、皇居から山城へ川を上り出かけて、奴理能美(ぬりのみ)の家に入ったので、奴理能美は自分が飼っている三様に変わる虫を皇后に献上した

そこで天皇は皇后のいる御殿の戸口にお立ちになって歌われた

「つぎねふ、山城の女が木の鍬を持って、畑を耕して作った大根。その色の白くさわやかなように、さわさわと騒がしく、おまえが言い立てるものだから、遠くに眺められる木が茂るように、大勢の供人と一緒にやって来たのだよ」

と歌いになった
以上の天皇と皇后の歌いになられた六首の歌は志都歌(しつうた)という歌曲の歌返(うたいかえし)である

天皇はその後も八田若郎女(やたのわきいらつめ)をお慕いになられて、お歌をお遣わしになられた

「八田の野原に立つ一本菅(ひともとすげ)は、子を持たないまま、立ち枯れてしまうのだろうか。惜しい菅だよ。言葉の上では菅とは言うが、実は惜しむべき清々しい美女であるよ」

と歌いになった
すると八田若郎女はこれに答えて

「八田の野原に立つ一本菅は、たった一人でいようとも、大君さえそれでよいとおっしゃるなら、たった一人でおりましょう」

と歌った
かくして八田若郎女の御名代(みなしろ)として八田部(やたべ)をお定めになった





古事記・仁徳天皇・帰化人奴理能美(ぬりのみ)が飼う当時珍奇に思われていた蚕

2021-02-12 13:33:33 | 日記
ここに口子臣(くちこおみ)、其の妹口比売(くちひめ)、奴理能美(ぬりのみ)の三人(みたり)議(はか)りて、天皇に奏(まを)さしめて云はく

「大后のいでまししゆえは、奴理能美が養(か)へる虫、一度(ひとたび)ははふ虫になり、一度は殻(かひこ)になり、一度は飛ぶ鳥になりて、三色(みくさ)に変る奇(あや)しき虫有り。この虫を看行(みそな)はしに入り坐せるにこそ。更に【異(け)しき心(みこころ)】はまさず」といひき

★異(け)しき心(みこころ)
天皇に反逆する心

■口子臣とその妹の口比売、それに奴理能美(ぬりのみ)の三人が相談して、使者を遣わして天皇に奏上させるには
「皇后がここにいらっしゃったわけは、奴理能美の飼っている虫で
一度ははう虫になり
一度は繭(まゆ)になり
一度は飛ぶ鳥になる
三様に変わる珍しい虫がいます。皇后はこの虫をごらんにおいでただけで、決して変なお心があるわけではございません」というのであった

古事記・仁徳天皇側近・口子臣の妹・口比売の歌

2021-02-12 13:05:32 | 日記
ここに口子臣の妹(いも)口比売(くちひめ)、大后(おほきさき)に仕へ奉れり。故、この口比売
歌ひていはく

「山代の
【筒木の宮】に
物申す
吾(あ)が兄(せ)の君は
涙ぐましも」

とうたひき。ここに皇后、其のゆえを問ひたまひし時、答へてまをさく
「僕(あ)が兄(せ)口子臣なり」
とまをしき


★筒木の宮
奴理能美の家であるが、皇后がいるので「宮」といった

■ところで口子臣(くちこおみ)の妹の口比売(くちひめ)は皇后にお仕えしていた。それで兄の様子を見かねた口比売は歌った

「山城の綴喜(つづき)の宮で、皇后にものを申し上げる私の兄君を見ると、涙がこぼれそうでございます」と歌った

これを聞いて皇后がそのわけを尋ねたので、口比売は答えて
「あれは私の兄の、口子臣でございます」と申し上げた

古事記・仁徳天皇御歌を託された口子臣、雨の中皇后に拒絶される

2021-02-12 12:46:49 | 日記
この口子臣(くちこのおみ)、この御歌を、まをす時、大(いた)く雨ふりき

ここに其の雨を避けず、【前つ殿戸(とのど)】に参伏(まいふ)せば、違(たが)ひて後(しり)つ戸に出(い)でたまひ

後(しり)つ殿戸(とのど)に参伏(まいふ)せば、違(たが)ひて前つ戸に出でたまひき

ここに、はらばひ進み赴きて、庭中にひざまづく時、にはたづみ腰に至れり

其の臣、【紅き紐つけたる】【青ずりの衣(きぬ)】をきたりければ、にはたづみ紅き紐にふれて、青皆紅き色に変(な)りぬ

★前つ殿戸(とのど)
皇后が身を寄せている家の居殿の前面の戸口

★にはたづみ
雨でにわかにたまった水
には→庭、にわか
たづ→夕立
み→水

★紅き紐
赤く染めた胸紐

★青ずりの衣
山藍などをすりつけて染めた衣
当時の正装であったから、これを雨水で汚すのは、たいへんな出来事


■口子臣(くちこのおみ)が、綴喜(つづき)の韓人(からびと)奴理能登美(ぬりのみ)の家に身をよせる皇后のもとに参上して、仁徳天皇から託された御歌を申し上げようとしたが、その時、激しく雨が降ってきた

それでも口子臣は、雨を避けずに御殿の表の戸口に参って平伏すると、皇后は会うのを嫌われて、行き違いに裏の戸口に出て、また口子臣が裏の戸口に参って平伏すると、皇后は行き違いに表の戸口に出た

ついに地面に腹ばいに進んで行って、庭の中にひざまづいていたが、そのうち雨水は、口子臣の腰まで届いてしまった

その臣(おみ)は赤い胸紐を締めた青染めの衣をつけていたので、溜まり水に赤い紐が浸り、衣の青がすっかり赤色に変わってしまった