天皇のりたまはく
「しからば吾(あ)も奇異(あや)しと思へば、見に行かな」とのりたまひて、大宮より上りいでまして、奴理能美(ぬりのみ)の家に入り坐せる時、其の奴理能美、己がかへる三種(みくさ)の虫を大后に献(たてまつ)りき
ここに天皇、其の大后の坐せる【殿戸に御立たして】、うたひたまはく
「つぎねふ
山代女(やましろめ)の
木鍬(こくは)持ち
打ちし大根(おおね)
さわさわに
汝が【言へせこそ】
【打ち渡す】
【やがはえなす】
来入(きい)り
参来(まるく)れ」
とうたひたまひき
この天皇と大后と歌ひたまひし六歌(むうた)は、【志都歌(しつうた)の歌返(うたひかへし)】なり
天皇、八田若郎女(やたのわきいらつめ)に恋ひたまひて、御歌を賜ひ遣はしき。其の歌にのりたまはく
「【八田(やた)】の
【一本菅(ひともとすげ)】は
【子持たず】
立ちか荒れなむ
【あたら菅原】
【言をこそ
菅原(すげはら)と言はめ
あたら清(すが)し女(め)】」
とうたひたまひき
ここに八田若郎女答へて歌ひていはく
「八田の
一本菅は
独り居りとも
大君し
よしと聞(きこ)さば
独り居りとも」
とうたひき。故、八田若郎女の御名代(みなしろ)と為して八田部を定めたまひき
★御戸に御立たして
この段階では皇后には会えなかったとみえる
★言へせこそ
言はせばこそ
★打ち渡す
遠く見渡される
★やがはえなす
弥木生→木が繁茂する→大勢と一緒にの比喩
★志都歌(しつうた)の歌返
※宮廷の楽府(後の雅楽寮)で行われた歌曲の名
※下つ歌→調子を下げて歌う
※静歌→静かに歌う
※賎歌→庶民風に歌う
などの解釈がある
※歌返→一曲を歌い終えてから、さらに調子を変えて歌い返す
★八田
八田若郎女の八田で地名
奈良県大和郡山市矢田の丘陵地帯
★一本菅(ひともとすげ)
八田若郎女の比喩
菅(すげ)→莎草科の草
★子持たず
菅の子→蘖(ひこばえ)→木の根本や切り株などから生えてくる若芽と、八田若郎女の子をかける
★あたら菅原
あたら菅→惜しい、もったいない菅
原→軽くそえた語
★言(こと)をこそ、菅原(すげはら)と言はめ、あたら清(すが)し女(め)
※この歌の本旨
※ことばの上では「菅原」というが、本当は「清し女」だとからかったのである
※すがしは清らか、菅(すげ)と音が響き合う
※男が女を誘う心が見られる
■天皇は「それなら私もその虫を珍しいと思うから見に行こう」と仰せられ、皇居から山城へ川を上り出かけて、奴理能美(ぬりのみ)の家に入ったので、奴理能美は自分が飼っている三様に変わる虫を皇后に献上した
そこで天皇は皇后のいる御殿の戸口にお立ちになって歌われた
「つぎねふ、山城の女が木の鍬を持って、畑を耕して作った大根。その色の白くさわやかなように、さわさわと騒がしく、おまえが言い立てるものだから、遠くに眺められる木が茂るように、大勢の供人と一緒にやって来たのだよ」
と歌いになった
以上の天皇と皇后の歌いになられた六首の歌は志都歌(しつうた)という歌曲の歌返(うたいかえし)である
天皇はその後も八田若郎女(やたのわきいらつめ)をお慕いになられて、お歌をお遣わしになられた
「八田の野原に立つ一本菅(ひともとすげ)は、子を持たないまま、立ち枯れてしまうのだろうか。惜しい菅だよ。言葉の上では菅とは言うが、実は惜しむべき清々しい美女であるよ」
と歌いになった
すると八田若郎女はこれに答えて
「八田の野原に立つ一本菅は、たった一人でいようとも、大君さえそれでよいとおっしゃるなら、たった一人でおりましょう」
と歌った
かくして八田若郎女の御名代(みなしろ)として八田部(やたべ)をお定めになった